第24話 夢の中も私で
喫茶店に入って2人でモーニングを食べた。
今日は土曜日なので、急いで帰らなくていいのだ。
タカハシは気まずさで押し黙り、カブラギは幸福でぼんやりしていた。
タカハシはバタートーストとゆで卵とサラダのセット。コーヒーつき。カブラギはアンコとホイップのトーストとサラダのセット。カフェオレだ。
「あの……先生……昨日なんですけど……」
『キター!』タカハシは目をギュッとつぶった。
「母にLINE送っておきました」
そっちかい!!
カブラギがLINE画面を見せる。
『酔いは覚めたけど終電が無くなってしまったのでネットカフェに泊まるね。高橋先生は帰ったよ』
何時間か後に
『朝ごはん食べて帰ります。10時ごろうちに着くよ』
と続いていた。
カブラギの母親からは『了解。気をつけて帰りなさい』とだけ返信されていた。
「偉いね。お母さんに連絡は欠かさないようにしなさい」タカハシが言った。目を伏せてる目を伏せてる。気まずい。元担任として本当に気まずい。このような事態になりお母さまになんとお詫びをすれば良いのかわからない。
「朝帰りなんて生まれて初めてですよー」
『てへっ』って感じでカブラギが笑った。この子本当に天然なのか小悪魔なのかどっちだ。
「次も先生と朝帰りしたいなー」
はいっ! 小悪魔の方でした。小悪魔っていうかド悪魔でした。
タカハシはコーヒーカップを持つ手が震えないようにするのが精一杯だった。
◇
「カッカブラギはペンギンが好きなの?」
沈黙に耐えかねたタカハシが言った。
「ペンギン? なぜですか?」
「いや。最初に会った時もペンギンのハンカチだったし。通学バックにも確かペンギンのキーホルダーがついていたなと思って」
「ああ。ペンギンというより『マウンテンズ』のライブグッズなんですよ」
「ライブグッズ?」
「『マウンテンズ』っていう4人組のバンドがいるんです。高音のボーカルと低音のボーカルのハモリが最高なんですけど。そのマスコットキャラクターがこのペンギン」と言ってカブラギはスマホの待ち受け画面をみせた。
「本当だ。可愛いね」タカハシがやっと笑った。
「バンドメンバーにペンギンのアバターが1匹づついてライブ中にプロジェクションマッピングで踊ったりします」
「あ、ごめんね。半分も意味わからなかった」
「ペンギンのグッズが『マウンテンズ』のホームページから通販で買えるんです」
「へぇ〜」
タカハシは興味深そうに眺めた。
「…………ていうか」
「うん」
「先生。私のパンツ見ましたね?」
タカハシが硬直してしまった。
◇
「確かにハンカチもキーホルダーも持ってますけど、今日身につけてるライブグッズはパンツだけですよ。みましたね?」
タカハシは無言でトーストをかじった。『そんなこと聞いてどうするの?』は通じないぞタカハシ。
「見たのか、見てないのかどっちなんだよ?」
カブラギはダーンッッッと右こぶしでテーブルを叩いた!
「どっちなんだよっっ!?」
ちょっとゆで卵が浮いた。
「まっ待って! カブラギちょっ。聞いて!? わざとじゃないんだ。見えちゃったんだ。カブラギは寝相がっ!」
タカハシはカブラギの前で両手の平を突き出して『STOP』の仕草をした。
「だいたい。あれだぞ。前々から思ってたけど……いや……もうこの際だから言うけどカブラギはどうしてそう露出度の高い服を着るんだ。目のやり場に困るんだよ! 異性の欲情を喚起するような服装は慎みなさいっ!!」
「校長の訓示かよーーーーっっっ!!!!」
カブラギは立ち上がった!
「どうしてパンツの外側だけ見て中身を見なかったーーーっっ!? 次は中身も見ろよわかったかーーーー!!!!」
とうとうタカハシが両手で顔を隠してしまった。
「カブラギ…………ほんと……本当に勘弁して…………」
そして隣の空いたイスに倒れ込んだ。
◇
初めて電車でカブラギを送ってくれた。定期をのぞきこもうとしたら巧く隠された。ちぇっ。今回もタカハシの自宅最寄駅わからなかったか。
駅からカブラギの自宅(徒歩15分)まで何となく手を繋いだ。今度はタカハシの方もちゃんとカブラギの手を握ってくれた。
カブラギの家が見えたところで「じゃあね。カブラギ」と言われた。
「はいっ。昨日は酔ってからんですみませんでした」
「どういたしまして」
いいなあ。タカハシのこのくしゅっとした笑顔大好きなんだよ。
小さく手を振ってくれたのでカブラギも何度も振り返り何度も手を振って家のドアを開けた。
「ただいまー」というと母親が「お帰り! あんたはもう。先生にご迷惑かけてっ」と怒られた。
母親がタカハシにカブラギの帰宅報告とお礼の電話をかけてるのがおかしくてたまらない。
タカハシ、目と鼻の先にいるのに。
◇
シャワーを浴びて、ベッドに倒れ込んでからペンギンで頭の後ろを隠して
「きゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜♡」と叫んだ。
なにあのタカハシのエッロいキス〜〜〜♡♡♡
足をバタバタ、バタバタ、バタバタさせた。
もう意外。超意外。とんだ堅物だと思っていたからあんなエッロいキス出来るなんて信じらんない。
いやタカハシが初めてだから他の男はどうかわからないけどすごいエロかった。ヨダレ垂れそう。
昨日のネットカフェでカブラギがタカハシの唇を奪った瞬間に室内の照明が落とされた。
どうやら10時消灯のようだ。室内が暗くなってもパソコンデスクにスタンドライトが付いている。必要なときはつければ良い。
限界まで落とされた照明の中でタカハシがカブラギを抱きしめた。
そのまま一言もしゃべらず床に静かに倒れ込むとあとはひたすらお互いを求めた。
カブラギはその時初めてタカハシの舌を知り、自分の肌に直接触れる手を知り、交互に重ねられた指を知った。
途中でカブラギが声を上げてしまったのでタカハシが自分の上着をカブラギとタカハシの顔にかけてその中でキスの続きをした。
額ににじむタカハシの汗とカブラギの汗の匂いが混じってこの上なく官能的な空間が出来上がる。
徐々に2人はお互いの関係を忘れた。
教師と生徒であることも。37歳と20歳であることも。1年後2年後の未来についても忘れた。
ただの肉と肉同士になった。
相手の唇が欲しいと思うから奪い。相手の背中の温かさを知りたいと思うから直接触れ。相手の首筋の匂いに自分の鼻を埋めた。
そこには何の隔たりもなくて、別々の生き物であることすら忘れた。
『もう一生朝なんて来なくてもいい』そう思った。
カブラギは気づくと眠ってしまったようだった。
目が覚めると1人で体にブランケットをかけられていた。
スタンドライトを暗闇の中から探し出してつけると、カブラギから離れたところにタカハシが眠っていた。
カブラギはタカハシのところまではっていき、彼の髪をかき上げた。
左まぶたと、生え際の白髪が見えた。目尻に細かいシワもあった。
そうか…………。先生あと3年で四十か。
出会ったときは32歳で、まだ20代の残り香があったのに4年で四十の声をきくまでになったんだなぁ。
母親にLINEする。カブラギがそっとタカハシの身体に寄り添うとタカハシが彼女をギュッと抱きしめてくれた。
『わっ♡』と思ったがどうやらタカハシは寝ぼけているようだった。急に『先生今夢の中で誰を抱きしめたんだろう』と思ったら切なくなった。
それで、与謝野晶子の歌を思い出した。
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夢にせめてせめてと思ひその神に小百合の露の歌ささやきぬ
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与謝野晶子が鉄幹の耳にささやいたのは、自分の恋敵の歌だったけどカブラギはそんなことはしなかった。
タカハシの耳に「カブラギです。夢を見るならカブラギシヨウの夢でお願いします」とささやいた。「カブラギですからねーっ」
タカハシが微笑んだ。
『白百合』とは与謝野晶子の恋のライバル、山川登美子のあだ名。『神』とは与謝野鉄幹を指す。




