第23話 みだれ髪
泣きそうになってカップルシートを出ると入り口に向かって走り出した。
「カブラギ?」の声に振り返る。
あ……タカハシ…………。
そこにはカバンとコートを手に持ち漫画コーナーに突っ立っているタカハシがいた。
◇
「先生。何してるんですか?」
「漫画を選んでいるんだ」
そりゃそうだー。
カブラギはへたり込みそうになった。
「帰ったのかと思いましたよー」
「あ…………その手があったか」
ないわっ。
カブラギはカバンをタカハシから奪った。
◇
漫画を3冊手にしたタカハシに言われた。
「カブラギ。飲み過ぎはダメだ。酔いが覚めたら帰るからね。ほら。横になりなさい」ブランケットを掛けてくれた。
カブラギから少し離れたところで漫画を読み出したタカハシを見つめ、上半身を起こすとそのままタカハシのところへにじり寄った。
そしてアグラのタカハシの太ももに頭を乗せた。
!?
「…………カブラギ。何やってるの?」
「ひざまくらです」
「見ればわかるよ。離れなさいっ。枕ならブランケットをもう1枚たたんであげるから」
「周防内侍ですね」
「え?」
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春の夜の 夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそ惜しけれ
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「百人一首。だいろくじゅうななばんー」
「あれは『手』の枕だよ」
「はるのよのー。ゆめばかりなるひざまくらー。かいなくたたむなこそおしけれー」
「1字変えただけだろ」
「『枕はいただきませんわ。春の夜の夢のような儚いあなたのお情けにすがって手枕をしていただいても、ウワサが立つばかり。そのことが口惜しいのです』って意味ですよね」
「そうそう……」タカハシが解説してくれた。
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後冷泉天皇中宮(中宮=妻)であった章子内親王の御所に集まり人々が夜通しおしゃべりをしていた。ふと周防内侍が「枕がほしいわ」とつぶやくと藤原忠家が「これを枕に」と御簾の下から腕を差し入れてきた。そこで周防内侍がとっさに詠んだ歌
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「手枕を差し出した方も冗談だし、断った方も機知で返したということだね」
カブラギは黙ってタカハシの膝を撫でた。
タカハシが片手でネクタイをシュル〜ッと外す。うわぁ。今の仕草色っぽい〜。
「ネクタイきついんですか」
「ネクタイしたままだとカブラギに何されるかわからないからだ」タカハシがちょっぴり怒ったような声になった。
ふふっ。
「思い出したんだ〜。この間のキス〜」
ぶっ。アイスコーヒーをタカハシが吹いた。慌てて床をタオルで拭く。
「カブラギッ人がものを飲んでいるときに変なこというなっ」
「動揺してお茶の代わりに蕎麦つゆ飲んだってほんと?」
タカハシがギックウという顔になった。
「誰から…………そんなことを……サトルか」
「サトルだよ。学校中に話したらしいよ」
タカハシがグシャッと前髪をかき上げた。左目が見えた。
「サ〜ト〜ル〜。お〜ぼ〜え〜て〜ろ〜」
「私はやり返しただけだもん。花火みたときそっちからキスしてきたじゃーん」
ダンッ。タカハシがアイスコーヒーのグラスを床に置いた。危ない、危ない。またコーヒー吹くとこだった。
「せんせー。いーこと教えてあげるー」
タカハシがバッと両耳を塞いだ。聞きたくない聞きたくない。どうせろくなことじゃない。
カブラギは起き上がり、構わずタカハシの右手を耳から外しささやいた。
「あれがね〜。私のファーストキス〜」
◇
アッチャー聞いてしまったー。
意外なことにタカハシの顔が赤くなった。この人顔が赤くなったりするんだ。
「そっ。その節は大変申し訳ございませんでした」タカハシに頭を下げられるがカブラギは許さない。
「説明しろよな〜」
「え? 説明?」
「なんであの時キスしたかだよー」
「そんなこと聞いてどうするの!?」
「人のファーストキス奪っといて『聞いてどうするの?』はないだろ。説明責任を果たせよ高橋是也くんっ」
ジリジリと後ずさるタカハシとジリジリと追い詰めるカブラギ。狭い室内であっという間に間仕切りに当たった。
「あれはどういう意味なの〜?」
◇
タカハシにいきなり抱きしめられてカブラギは驚いた。カブラギの耳にタカハシがささやいた。
「説明するから大声はあげないでくれる?」
さすがタカハシ。ネットカフェで大声は禁物である。どんなときでもルールを守る男。
「だっ。だから理性が飛んじゃったんだ」
「理性が飛んだとは?」
カブラギもタカハシの耳にささやき返す。
「普段は我慢してるんだ」
「我慢て?」
「だっだから……」
カブラギの肩に顔をうずめてしまった。
「普段からカブラギを抱きしめたりキスしたいと思っているけど『やってはダメだ』って自分を抑えているんだ」
ええええー!? えええええええー!?
◇
タカハシはミステリードラマで崖から飛び降りる前の犯人のようにペラペラ本音をしゃべった。
「カブラギみたいな。『ほぼ犯罪』みたいな可愛さの子に『好き』って言われたら、そりゃもう嬉しいし。そのまま抱きしめたいけど! こんなオジサンと付き合ったところで2年も持たないし。ていうかまずなんでカブラギみたいな若い子が俺を好きなのかがわからないし。カブラギは何かよくわかんない魔法にかかってるだけだし! すぐ飽きられるに決まってるし。別れるってわかってるから付き合えないし。付き合えないからキスもできないの! したいけど!」
え? は? え?
「それがあの時は俺は怒っちゃうしカブラギは泣いちゃうしで理性が飛んで! 気がついたらキスしちゃってたの! ごめんなさい!」
耐えられなくなったのかカブラギをぎゅうっと抱きしめた。
「せんせい……」
「はい……」蚊のなくような声。
「私のこと。相当好きですよね?」
首の付け根まで赤くなったタカハシが顔をあげた。眉が『八の字』になってる。水かけられた犬みたいなご面相だ。
「………………大好きです………………」
◇
カブラギは卑怯であった。タカハシが真面目で。ルールを必ず守る人間で。『ネットカフェ』みたいな大声厳禁の場所では例え刺されても声をあげないような性格であることを熟知していた。
「先生。先生が私と結婚できないというのはこの間うかがいました」
「…………はい」
「じゃあ。これから起こることは私、明日の朝には忘れます」
「え?」
「忘れるから。今だけ。『夢ばかり』ください」
壁にタカハシの体を押し付け自分の両腕の間に閉じ込めると、そのまま唇を奪った。
◇
翌朝。
うわあああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああっ。
と叫ぶのをタカハシはなんとかこらえた。ネットカフェは大声厳禁なのである。どんな時でもルールを守る。それが高橋是也。
昨日離れて眠ったはずの鏑木紫陽がタカハシの体にべったりからみついていたからだ。
タカハシの右腕に頭をのせて『スースー』と可愛らしい寝息を立てていた。ジャケットを脱いだキャミソール姿で鎖骨がすっかり見え、ついでに胸の谷間もバッチリ見えた。
いやもうどういうことでしょうか? おっぱいが『たれぱんだ』みたいにぺったりと床で潰れている。餅なの? この人のおっぱいつきたて餅なの?
ミニスカートの下にはいていた薄手のタイツ。キツかったのだろう脱いでしまい、つまり生足でタカハシの足と足の間に自分の太ももを差し入れていた。両腕はしっかりタカハシの胴に巻きついている。
しかも…………。ああ〜。
パンツが見えちゃってるよ〜。
タカハシはソーッと巻きあがったスカートを戻した。
昨日の記憶がまざまざと蘇りジタバタしているうちにカブラギが目を開けた。
まだ完全に意識が戻っていないらしく『トローン』としている。
「あ……せんせい……おはようございます……」
そのまましどけなく上半身を起こし乱れた髪に手をやった。
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くろ髪の千すぢの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる
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タカハシ。与謝野晶子の歌を思い出している場合か。
フェロモンの塊みたいなハタチが言った。
「あの……私昨日のことはすっかり忘れちゃったんですけど…………」
はっはい。
「先生の腕枕。最高でした…………」
もう。撃沈するしかなかった。




