第20話 いさめないでさとさないでお願い
タカハシが自転車の後ろ荷台に乗せてくれた。
カブラギはタカハシの背中にピッタリくっついてお腹に手を回してギューッとした。
それからタカハシの匂いをめいいっぱい吸い込んだ。
先生こんな匂いするんだ〜。なんだか男の人って感じだな〜。
この匂いにたどり着くのに4年5ヶ月もかかってしまったなぁ。
しばらく自転車で走って「はい着いたよ」と言われた。土手であった。
傾斜の草むらに並んで座った。蛇行する川が9月の光に当たってキラキラした。右手で野球少年たちが白い玉を追いかけている。
「カブラギ」
「はい」
「ごめんね」
「何がですか」
「誕生日の日にわざわざ高校まで告白してきてくれたのに。邪険にして」
「あっ。はい。私も突飛なことしてすみませんでした」
「カブラギが突飛なのは昔からじゃないか」
「生まれた時からです」
2人で同じ方向を見て笑った。
「それで。あの時は呆れてしまったというか。『お前まだ高校生活引きずってんのか』って感じだったんだけど」
「はい」
「違ったね。引きずってたのは俺の方だった。先生でいることにこだわってた」
「………………」
カブラギはドキドキしてきた。これは、あれか? 逆告白か?
『はい。喜んでお付き合いします』と心に準備した瞬間に言われた。
「それで。先生じゃない高橋是也として考えたんだけどやっぱりカブラギとは付き合えないよ」
◇
え!?
ええっ!?
カブラギはポカンとしてタカハシを見つめた。いいいい今、なんとおっしゃいました!?
「付き合えない…………」声に力がでなかった。
「カブラギ。俺がね。20歳なら喜んでカブラギと付き合ったんだよ。一も二もなく飛びついたよ。カブラギはなんというか……その……魅力的だし」
「はあ」
え? 何? じゃあなんでダメなの?
「でももう俺は37歳で時間がないんだ。正直結婚できるかできないかくらいの瀬戸際にいると思う。40超えるのもすぐだ」
「じゃ、じゃ、じゃ、じゃじゃあ! 私が結婚しますっ。ちょうどいいじゃないですかっ」
カブラギは『ハーイ! ハーイ! ハーイ!! 挙手します!』みたいに右手を上げた。
「カブラギ。大学はどうするの?」
「大学……出ます……」
「それがいいね。就職は?」
「…………します」
「で、子供はいつ産むの?」
はぁ!? こっ子供っ?
「いいいい。いつでもっ。あの就職したらすぐとか。23歳くらいで」
「『先生』になるのが目標なんだよね? 教職はそんなに甘くないよ」
カブラギは冬の海のように沈黙した。
◇
「俺はもう15年教職についてるけど、同僚の先生方はみんな30超えてから産んでるよ。就職して1年2年は仕事でいっぱいいっぱい。そうこうしているうちにあっという間に30歳になって。そろそろといいかと順調に妊娠できたとして、出産が31歳。そのとき俺は何歳だと思う?」
「48歳です……」
「そうだよね。それで生まれた子が中学に上がる頃、定年を迎えるんだよ」
「あっ」
「松桜高等学校の定年は60歳だ」
カブラギは混乱してきた。
「え? あ。じゃあ専業主婦! 専業主婦になるとか」
「家族がいつまでも生きているんだと思うんじゃない!」
ピッシャア! と切られた。
「少なくとも俺の『家族』は18歳で全滅したよ。手に職もなくて子供抱えてさまようのはカブラギ本人だよ。カブラギは2001生まれだろ? 21世紀の子だろ? 家事は外注してでも働きなさい」
生徒指導かよ……とツッコむ元気もなかった。
「俺が60歳で、子供が中学で、カブラギが大黒柱になって一家を支えるというの? 俺も仕事は探すけど、収入は大幅にダウンするよ。それでカブラギ本人に何かあったらどうするの? カブラギが選ぶべき伴侶は俺じゃないよ。もっと何年もかけて探しなさい。まだ20歳だしこの後いくつか恋愛しても充分間に合う」
カブラギは泣きそうであった。
「で……でも私には『与謝野晶子と鉄幹みたいな夫婦になるんだ』という夢が」
「夢の話なんか聞きたくないね! 俺は生活の話をしているんだ」
カブラギはもう何も言えなかった。子供たちの赤い野球帽が元気に走り回るのを目に映すだけで精一杯だった。
頭がグワングワンして目に涙がたまった。
「カブラギ…………」
タカハシはカブラギを見つめて引かれた弓のように目を細めた。
「お前はもっと高望みしなさい。俺なんか足元にも及ばないようないい男が世界中にいっぱいいるんだから。それだけ綺麗で、賢くて、ちょっと突飛だけど純粋で。俺はカブラギとてもいいと思うよ。こんな37歳のしょぼくれたおじさんのことなんて早く忘れなさい」
カブラギは耳を塞いだ。聞きたくない! あんたのお説教なんか聞きたくないんだ。
「俺も足元を見て『ちょうどいい人』を探すよ。カブラギは俺にとっては無理して買ったスポーツカーみたいなものだよ。その時は最高でも、負った借金や、メンテナンスや税金がジワジワと生活を苦しめてしまう。そんな身の丈に合わない買物はできないんだよ。ごめんね」
カブラギは耳を塞いだままであった。
「でもカブラギみたいな綺麗な子に『結婚したい』と言ってもらえてとても嬉しかったよ。ありがとう。一生の思い出にするよ」
そしてカブラギの頭をポンポンと叩いた。
タカハシが「送るよ」と言ってくれたが「1人にしてくださいっ。もう子供じゃありませんっ。自分で帰れますっ。馬鹿にしないでっっ」とカブラギは泣きながらキレた。
タカハシはなんとも言えない辛そうな顔で帰っていった。カブラギは与謝野晶子の『みだれ髪』の歌を思い出してボロボロと涙をこぼした。
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いさめますか道ときますかさとしますか宿世のよそに血を召しませな
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いさめたり道理を語らないで。私の未熟な考えに正しさでさとすのはやめて。
ただ抱いてキスして。
お願い。
 




