第2話 桜散る渡り廊下
鏑木紫陽と高橋是也の出会いは入学式であった。
式そのものが終了し、新しい教室に向かうためカブラギは1階の渡り廊下を歩いた。
そこは北校舎と南校舎を繋ぐためにあった。簡単な屋根がついているだけの、吹きっさらしの廊下。しじゅう桜の花びらが舞い込んでいる。
桜はもう終わりかけ、緑の葉の間から容赦なく花びらが風にちぎれて降り注いでいた。
廊下のすぐ横の地面は桜の花びらで埋まっていた。
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桜の樹の下には屍体が埋まっている!
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と言ったのは誰だったか。あまりの花びらの量に死体が埋まっていても上手く隠れてしまうのではないかと思われた。
「君、君」と随分前から呼びかけられていたようだが、カブラギは気づかなかった。初日で緊張していたのである。下を向いて『入学のしおり』を両手にぎゅっと持って渡り廊下を歩いていた。
「君!」肩を叩かれた。
振り返る瞬間にカブラギは肩に置かれた手を見た。細く、長く、繊細な指。
流れで顔を左肩後方に向けるとその人がいた。
カブラギがその後4年弱も恋することになる高橋是也だ。
割と端正な顔で眉がキュッと上がっていた。目は垂れ気味で目尻が優しい。鼻はすうっと通っていて唇が微笑んでいた。
男の人にしては髪の毛が長く、毛先がシャツの襟ついていた。前髪が左目を隠している。
かっこいいいいいいっっっっ
「君。ハンカチ落としましたよ」
受け取ったハンカチがよりにもよって『ライブグッズのペンギン柄』で猛烈に恥ずかしく思った。こんな子供っぽいやつじゃなくてきれいな桜にでもするんだった。誰にも見えてないがパンツもペンギン柄なのだ。
タカハシは笑ったままでカブラギに「新入生?」聞いてきた。
「はいっ。1年A組のカブラギシヨウですっっ」
「カブラギ……」一瞬タカハシが思案した。
「金編にっ。『適当』の『適』の右側にっ。むらさきにっ。『太陽』の『陽』ですっっ」
カブラギはハキハキと説明した。『鏑木』は難読漢字なのである。小学校に入った頃から今の今まで一度に読んでもらえたことがない。何千回も説明してきたので慣れていた。
「ああ。『鏑木紫陽』さん」
「はいっ」
「現国の高橋です。それじゃあ」と言って去ろうとしたのを呼び止めた。
「あっあああのっ。下のお名前はっ」
『おやっ?』という顔でタカハシが振り返った。そして意外なことを言った。
「そんなこと、聞いてどうするの?」
どうするの!?
どうするのもどうしないのもない。カブラギはこの『カッコイイ』現国教師と1秒でも長く話したかったのである。話題はなんでもよかったのである。
焦ったカブラギはどもり気味に反応した。
「たっっ体育のっっ体育の先生も確か『タカハシ先生』だったものですからっ」
『ああ』という風情でタカハシがうなずいた。
「あちらは『はしご高』の『髙橋先生』。『髙橋正道先生』。俺は『コレヤ』『高橋是也』。一般的な『高い』だよ」と教えてくれた。
ちなみにこの『そんなこと聞いてどうするの』はタカハシの必殺技であり、この後3年どんなにタカハシのことを知りたいと思っても何一つわからない原因だった。
タカハシは自分のことを何っっっにも教えてくれない先生だったのである。
その秘密主義のせいであだ名が『得体の知れない鬼太郎』なのである。この時のカブラギは知りもしないが。
カブラギはパアアッと表情を輝かせた。
「うわあ! 『蝉丸法師』ですねっ!」
「『蝉丸法師』? 平安時代の?」
「はいっ。『これやこのー』」
「ああ……」タカハシが『謎は解けた』とでも言いたげに笑み崩れた。
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これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関
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2人同時に言った。百人一首。第10番。歌い手は蝉丸。
『クックック』とタカハシが笑った。
「カブラギさん? 君、面白いね」
面白い女いただきました〜〜!!!
カブラギはキラキラした。恋のフラグである。
いや、『面白い女』は『モテモテの俺になびかない面白い女』なのであって『人としてユニークだね』という意味ではないのだが。
『恋のフラグ』じゃなくて『面白枠』に認定されたということなのだが。
カブラギはそれですっかり『恋愛モード』になってしまったのだ。
さらにタカハシがダメ押しをした。
「それで? カブラギさんは百人一首だと誰の歌が好きなの?」
「伊勢ですっ」
タカハシが盛大にニッコリしてくれた。
「そう。まるで今の君たちだね。入学おめでとう」
それで今度こそ右手をヒョイッとあげて別れの挨拶をすると向こうに行ってしまった。
タカハシの黒い背広を背景にヒラヒラと桜の花びらが1枚、左上から右下に横切って見えた。
カブラギは渡り廊下の真ん中をボーッと突っ立った。すっかりこの秘密主義の現国教師に心を奪われてしまったのである。
春特有の強い風にあおられて、地面の花びらが一斉に舞い上がる。クルクルと円を描いて吹き飛ばされていく。カブラギはおさげの髪を抑えた。
百人一首。第61番。伊勢大輔。
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いにしへの奈良の都の八重桜今日九重ににほひぬるかな
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『桜の樹の下には屍体が埋まっている!』
梶井基次郎 『桜の樹の下には』より




