第19話 『高橋是也個人として来た』
タカハシが弁当屋に来なくなってしまった。
高校と弁当屋『おないつ』は徒歩3分であるが、高校の門を出て右に曲がらないと見えない。
高校の門を出て左に曲がれば弁当屋の前を通らず駅につけた。タカハシはカブラギを避けているに違いなかった。
弁当屋は相変わらずカブラギ目当ての客でいっぱいだったが心は晴れなかった。
「君さぁ。なんでこの弁当屋で働いてんの? 港区で『パパ活』すれば10倍くらいの稼ぎになるよ」と言われたが『その「パパ活」に高橋是也はいるんですか?』と思っただけだった。
先生とキスしたくて、キスしたくて、キスしたくて。
また先生を怒らせてしまいました。
◇
後輩の鈴原美鳥を呼び出した。
鈴原は演劇部の後輩で現在高校3年生。担任は高橋是也である。
鈴原は黒髪をスッキリとポニーテールに結い上げた目元の涼しいカッコイイ女子だった。
バレンタインデーにはやたら校内女子からチョコレートをもらうらしい。タカハシより全然多いらしい。タカハシ。8個くらいしかもらえないからな(しかも内5個は演劇部員。つまり身内)
「ミドリさぁ。申し訳ないんだけどコレ。私の代わりに返しておいてくれるかなぁ」と図書室の本を差し出した。
カブラギは弁当屋のバイトを『タカハシに会えるから』『アクセスが良い』の他に『高校の図書室が利用できるから』という理由でも決めていた。
カブラギの高校は卒業生にも図書室を開放している。『そこにしかない本』というのがこの世にはあるのだ。
しかし今。カブラギのはすっぱな態度でタカハシを怒らせちゃっているだろう今。ううっ、とても図書室に行けない。
ミドリは「いいですけど。なんかあったんですか?」と本受け取りながら言った。
「それがさぁ〜」カブラギはホットケーキの上のバターをコネコネした。
「タカハシにフラれるばっかりで辛いのよぉ〜」
ミドリにはタカハシが好きなことも、どんなに頑張っても落ちてくれない話もしていた。
でもさ。タカハシの秘密とか、タカハシとのキスとかのことは話せないからね。
「タカハシですかー。あいつ最近おかしいですよ」
「おかしい?」
ミドリの話によると、ここ最近のタカハシ『心ここにあらず』といった感じらしいのだ。
まず国語の授業で「では教科書68ページ」といって板書を始めた。
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玉の緒よ 絶えねば絶えね ながらへば
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まで書いてミドリに「先生っ」と手をあげられた。
「どうした? 鈴原」
「68ページは『小林多喜二 蟹工船』です」
「えっ!? わっ! なんだこれ!? 式子内親王じゃないかっ」
ええ〜。現国、つまり現代国語教師なのに百人一首の歌書いちゃうの? ジャンル違くない!?
教室はザワザワした。タカハシは授業中ボケてくるような男ではないのだ。
さらにお茶と間違えて蕎麦つゆを飲んだらしい。サトルが大爆笑しながら女子高生どもに吹聴していた。
さらにさらに意味もなく廊下で突如立ち止まり「はぁ〜〜っ」と髪の毛をグシャグシャにかき回すらしいのだ。どうした! スカした鬼太郎!!
ミドリがアイスコーヒーをチューっと飲んだ「毒でも回ってるんですかね〜」
カブラギは思った。
『タカハシ。あのキスでめっちゃ動揺してんじゃん』と。
◇
この膠着状態に決着をつけたのはタカハシであった。
あの『ネクタイつかみ上げて無理やりちゅー』事件から2週間ほどして、タカハシからLINE電話があった。土曜午後3時くらいだ。
「カブラギ。今、家?」と聞かれた。
「はい」
「家のどこ?」
え? 家のどこ?
「自分の部屋です。2階の」
「じゃあ窓開けて外見てくれる?」
?
カブラギがガラッと窓を開けるとタカハシがスマホ片手に手を振っていた。自転車をそばに置いている。
カブラギのスマホからタカハシの声がした。
「今、いいかな?」
◇
カブラギはスマホとお財布だけ斜めがけバックに入れて慌てて外にでた。
「ごめんね。急に」
タカハシは笑顔であった。
「そっそれはいいんですけど、前もって言ってくださいよっ。こっこんなお家ジャージ着てメガネで髪もテキトーだし。わかってればバッチリ決めてきたのに」
「うん。バッチリ決めてこられると困ると思っていきなり来たんだ」
お見通しであった。
「せめてコンタクト〜」
タカハシが吹き出す「高校3年間メガネだったじゃない」
クスクスと笑った。
「もう見なれてるよ」
なんていうか。はい。やっぱりタカハシの顔が見れると嬉しいですね。会いたかった。
「先生。自転車できたんですか?」
「うん。自宅から乗ってきたんだ」
「やっぱり近所に住んでんだ〜」
タカハシは笑った。
「今日はね。先生として来たんじゃないんだ」
「え?」
「『高橋是也』個人として来た」
百人一首 第89番 式子内親王
玉の緒よ 絶えねば絶えねながらへば 忍ぶることのよわりもぞする




