第12話 この人の声を聴いていたい
直径1センチほどの紫と赤と緑の花火が一斉にあがる。
花火会場までいけば、さぞや見事に見えたろう。土手では音もなく、人もいなくて、草がそよぐばかりだ。
カブラギはスマホを取り出してメモアプリを立ち上げ淡々と読んだ。
「中原中也。詩人、歌人、翻訳家。1907年4月29日生まれ」
「8歳の時に弟が風邪により病死したことで文学に目覚める。代表作は詩集『山羊の歌』内の『汚れつちまつた悲しみに』」
「1936年。当時2歳の長男文也が小児結核にかかり、中也は3日間一睡もせず看病に当たったがその甲斐なく文也は死亡。葬儀で中也は文也の遺体を抱いて離さず母親のフクがなんとかあきらめさせて棺に入れた」
「幻聴や幼児退行のような様子を見せ始めその後入院。完全に回復することなく文也死亡翌年の1937年10月22日結核性脳膜炎で死亡。享年30」
タカハシは黙ってメモを読み上げるカブラギの声を聞いた。視線は花火にあった。次々打ち上がる華のような花火に。
カブラギは唇を噛んだ。
「本当に知らなかったんです。先生をからかったとかではありません。信じてください」
カブラギは飲み終わったビールの缶をギュウッと潰した。
タカハシは前を向いたままだった。
「うん。大丈夫。わかってるからね」
うつむいてしまったカブラギの背中をポンと叩いて「30歳で死んだことすら知らないのに子供の名前なんか知るわけないよ。気に病むことはない」と言った。ふふふふ、と笑った。「それにしても俺が中原中也に似ているとよく気づいたね」
「え?」
「中原中也はね。一般的に銀座の写真館で撮った黒いソフト帽の写真しか知られていない。教科書にもそれが載ってる。授業でやったろう? 『汚れつちまつた悲しみに』。でもあれ、何度も複製やレタッチをしたせいで実際の中也には似ていないらしいんだ」
「そうなんですか……」
「そう。だから本当の中也を見るなら、それこそ専門書でも紐解かないと見れない。ネットでわざわざ検索するとかね? 俺も『似てる』と指摘されたのは大学の国文にいたときだけだからね」
電車の走行で花火の光が二つに切れて見えた。
「中也の子供の名前が『文也』だったからって気にする方が馬鹿ばかしいんだよ。血が繋がっているわけでもないんだから」
花火がキャラクター物に変わった。『ニコニコマーク』や『ドラえもん』が空に浮かび上がる。
「まあ俺の場合……顔が似てるだけじゃなくて、名前も似てておまけに誕生日も一緒なんだよなぁ」
「え? そうなんですか!?」
「そうなんだ。『4月29日』知らなかっただろ?」
知らない。タカハシは、誰にも自分の誕生日を語らないから。
「だいたいゴールデンウィークで家族以外に祝われたことがないよ」
ふふふふとタカハシは笑った。
それから残り少なくなったビールの缶を『チャプチャプ』と振り「それにしてもひどいぞ。カブラギ。俺はあんなに酒癖悪くない」というと『クックック』と笑った。
カブラギは恥ずかしさに下を向いてしまった。
そーなんである。
『中原中也』調べれば調べるほどアレな人だった(酔って太宰治に「なんだい青鯖が空に浮かんだような顔しやがって」という暴言吐いたりとか)(上手いこというな)無邪気に『似ている』といっていいかどうか迷う人なのだった。
カブラギが見た中原中也はハンサムで上品で裕福なおぼっちゃまって感じだったのだ。実際の人物像は見た目とも繊細な作風ともぜんっぜん違う。
それを知った時のカブラギの恥ずかしさったらなかった。
職員室で『同機社(大学)生なめんなよ』と啖呵切っておいて著名な詩人の顔しか知らなかったのである!!
「あ……あの……この件はご内密に……」とモジモジしてしまった。
そう。それがカブラギがタカハシを土手まで連れてきた理由なのだった。なんたる浅学ぶりか。だいたい国学の知識でタカハシに勝てるわけがない。それがまぁ。和歌一つ知ってただけで威張るわ、威張るわ。穴があったら入りたい!!
「はいはい。口止め料はいただきました」ビールの缶を振ってタカハシはおどけた。
それでまたしばらく黙って2人で『花火』を見つめた。
◇
「カブラギ」
「はい」
「それで中也の詩は読んだの?」
「あ、はい。代表作だけですけど」
「好きなのあった?」
「好きなのというか…………」
「うん」
「『すさまじいな』というのはありました」
「凄まじい」
「文也が亡くなった後に書いた『春日狂想』です」
「ああ……」というとタカハシは一節をそらんじた。
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愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。
愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。
けれどもそれでも、業?が深くて、
なおもながらうことともなったら、
奉仕の気持ちに、なることなんです。
奉仕の気持ちに、なることなんです。
愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、
もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、
奉仕の気持ちに、ならなけあならない。
奉仕の気持ちに、ならなけあならない。
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カブラギは聞き惚れた。低く落ち着いて聞き取りやすい朗読。授業中。教科書を読み上げるタカハシの声をずっとずっと聞いていたかった。
どんな気持ちでこの詩を作ったんだろう。狂ってしまう程愛した息子を喪った哀しみ。どんな日々を過ごしたんだろう。
中原中也は四十九日の間、毎日僧侶呼んで読経をしてもらい、文也の位牌から離れなかったそうだ。
『やだ。涙でそう』
人を愛するって苦しいんだなぁ。
カブラギはタカハシの横顔を見た。一心に花火を見ているように見えた。もう4年も好きな人。
「中也の詩。全部覚えているんですか?」
「いや。代表作だけだよ」
「先生」
「うん」
「どうして大学院行かなかったんですか?」
本文中引用した中原中也『春日狂想』ですが、いくつか文献を当たったところすべてが
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けれどもそれでも、業(?)が深くて、
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という表記でした。『?』は間違いではありません。
「しな『けあ』ならない」も原文通りの表記です。
『汚れつちまつた悲しみに』は現代仮名遣いに直せば『汚れっちまった悲しみに』ですが原文のままにしました。




