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作者: 大谷乱介

 初めて彼女の手を握った時、そのあまりの冷たさにすぐに手を離してしまった。後々考えると失礼な行為である。今でも申しわけなく思っている。あの時、君が見せた儚げな表情とその手の冷たさ、漫画みたいな台詞は今でも忘れることができない。

「私には、石がないの。石が」

 

 それから僕達は一ヶ月と関係が続かず、それっきり彼女と会っていない。僕よりも年上だった君はもう結婚でもしているのだろうか。

 僕はというとそれ以来交際相手には恵まれなかった。そろそろ社会人四年目に差し掛かろうとしている寒い冬も一人きりで過ごしていた。給料のいい、広告デザイン会社に入社したはいいものの何せ出会いがない。

 一人の時間が多いものだから人一倍何かについて考える時間があった。ずっと、彼女の発言の真意を考えていた。

 最初は「意思」と、聞き間違えたのかもしれないなと思った。でもそれでは前後の言動とつながらなかったし、発音も違う。何より僕は「石」の方が納得できた。何故かは分からない。あえていうならカンだろう。

 だけど、「石」と、彼女の手の冷たさの因果関係はわからないまま。

 逆になんで彼女の手が冷たかったのかも考えてみた。冷え性だったのかもしれない。冬だったから冷えてしまったのかもしれない。色々理由を考えてみる。それでも、あのゾッとするような手の冷たさの説明にはならない。こちらの体温が持っていかれるような手の冷たさ。毎晩彼女のことを思っては心配で不安になる。僕はまだ恋をしているのかもしれない。

 

 クリスマスやら年末ムードで街が華やぐ季節、仕事に忙殺される日々を送っている。先輩曰く年末は仕事が増えるという。年末ぐらいゆっくり休めよと叫びたくなる気持ちをグッと堪えて振られた仕事をこなしているといつの間にか一日が終わり、一週間が終わっている。このままこの生活がダラダラと続いていくのかと憂鬱になりながら電飾の眩しい通りをとぼとぼ歩く。行き先は大学の同期に無理矢理誘われた飲み会である。本当は行く気がなかった。しかしどうしてもと頭を下げられてしまい、最近顔を合わせることができていなかった彼らと会うために行ってもいい、と了承したのだ。実のところ早く帰って寝たい。

 

 飲み会で連絡先を交換した女性に、咲という年下の子がいた。もともとは一人として連絡先を交換しないつもりだったけれどなんとなくあの人と雰囲気が似ていて話してみたくなったのだ。

 実際話してみると全く違うタイプの子だった。なんで彼女の面影を見たのかわからないほどだ。でも、それがよかったと思う。頻繁に話すようになってから咲のことしか考えなくなったからだ。あの人のことを考えない日が続いた。何より、咲は手が暖かかった。

 

 咲と付き合って二ヶ月が過ぎていった。相変わらず仕事は忙しい。あの人と初めて手を繋いだ日からちょうどもう四年も経ったことに驚いていた。毎年二月十四日になると心臓が痛くなる。あの日のことがフラッシュバックする。とても咲と会えた気分ではなかった。咲に具合が悪いことを連絡すると、すぐに僕の家へやってきた。それはもう、あっというまだった。僕は心底嬉しかった。でも、心のどこかで一人で居たいという気持ちがあったのかもしれない。僕は相当嫌な顔をしていたらしい。咲は僕にチョコレートだけ押し付けて帰っていってしまった。申し訳ないと思いつつも一人なことにホッとした。チョコレートはおいしかったと思う。そういえば咲は料理が苦手だった。

 

 悪いことは重なる、といってもそれは流石にやりすぎだろうと、神とやらにいってやりたい。

 自主退社を進められた。

 二月十五日、出社すると滅多に顔を出さない若い社長が深妙な面持ちで立っていた。随分ラフな格好をしている。開口一番、三ヶ月以内に自主退社をして欲しい。そう言われた。理由は業績の悪化で、徐々に人員を絞っていたらしい。もしも三ヶ月を過ぎても会社にいたらリストラという形で退社させる。自主退社をしてくれれば退職金を上乗せできる、と。

 

 そのことを真っ先に咲に伝えると、彼女は一旦距離を置こう、と持ち出してきた。僕はそれを了承した。

 

 *

 

 朝、起きてみると目の前に青い空が広がっていた。おかしい。最近悪いことが重なりすぎて見た幻想かと思うぐらい、美しい青空だ。何度目を擦っても見慣れた天井は見えない。ヤケ酒でも飲んで外で一夜を過ごした……わけでもなさそうである。

 起き上がってみる。どこまでも広がる青空と草原。それらを囲む山々ら。草原の真ん中にある、大きな一本の樹。今まで見たことのない、しかしアニメやドラマのワンシーンにあるような、幻想的な景色。

 一瞬、強い風が吹いた。思わず目を瞑る。目を開けるとさっきまで居なかった黒いスーツを身に纏った男たちが樹を見上げて立っていた。

 彼らは僕に話しかけてきた。

「やっと、君にも順番ってやつが回ってきたようだね」

 痩せた、不健康そうな若い男が僕に笑いかける。顔に見覚えはなかった。ちょっと心配になる、ぎこちない笑顔だ。その声はとても彼から発せられたと思えないぐらい低く、渋い声だった。ラジオのパーソナリティをしていると言われても頷ける。

 順番、という言葉がどうも引っかかった。すると、僕は死んだのか?

「安心しろ。君はまだ死んでない。これから君は大人になるんだ」

 今度はふくよかな、少し歳をとった男が語りかけてきた。ちょっと滑舌が悪い。

 大人になる。

 とはどういうことだろうか。もう僕は三十路が近い。成人という意味での大人にはもうすでに成っている。

「おめでとう。今日から君は大人だ」

 眼鏡をかけた男性が僕に手を差し伸べる。

 わからない。

 今日から大人だと言われても、今までも大人のつもりだったし、これからも大人であるつもりだ。何か不思議な宗教にでも引っかかったか。

「ここまで生きてきた君の願いを何でもひとつ、樹が叶えてくれる」

 ますます、怪しい気がしてきた。

「しかし、あまり大きなものを求めてはいけない。あくまで君のこれまでの人生に対する贈り物だ。君が今まで頑張った分だけしか君の願いを叶えられない」

 叶わないかもしれない保証まで付けてきた。こいつはもしかしたらやばい人たちに捕まったのかもしれない。警戒はしてみるものの、ここがどこかわからないものだからどうしようも無い。

「さて、そろそろ始まるぞ」

 そうやってまた彼らは樹を見つめる。

「第二成人式へ、ようこそ」

 また、強い風が吹いた。

 

 ガラクタばかり、埃だらけ。古い工場みたいな建造物が並ぶ街を、知らず知らずのうちに歩いていた。先程の草原同様、見覚えはない。充満する腐った油の匂い。空は黒く、建物たちはすぐにでも壊れそうなほどに錆び付いている。通りすがる人などなく、それどころかネズミ一匹見つからない。都会の隙間道に迷い込んでしまった時の感覚に似ている。えらく、孤独だ。

 今は黙ってなにかを考えることさえ出来なかった。孤独とか、悲しみとか、なんかよく分からない感情たちに押し潰されそうだ。行き先が分からないのに勝手に動く足も、さっきから変わらない景色も、その感情を助長させてくる。

 

 自分の足音が自分のものだと思えない。いつもなら足音がよく響く革靴なのに今はそれが曇天に吸い込まれて聞こえない。暗い。不安。

「第二成人式って、なんだ」

 彼らの放ったその言葉に、酷く興味を覚えた。成人式は八年前に済ませている。二十歳になってふるさとに帰って旧友と酒を飲んだ。ただ騒いだだけじゃなかった。でも、あの時はまだ自分が大人だと思えなかった。薄れ始めている遠い過去の思い出。

 気がつけばここまで色んなものを捨ててきた気がする。何もかも。ふと、心臓に手を当てる。まだ温かい。熱はまだ失っていないようだ。それだけで僕は安心できた。

 

 どれだけ、歩き続けただろうか。景色は変わらない。疲労は頭からつま先まで充満してそろそろパンクしそうだ。しかし僕の足は歩むスピードを変えず進んでいる。止まりたくも、止まれない。

「人生、みたいだな」

 ポロッと、独り言を零した。その瞬間だった。

 暗かった空は勢いよくその様相を変えて瞬く間に群青となり、僕を挟んでいたボロボロでツギハギの建造物は驚く程に脆く崩れ去って行った。

 灰色の街が青い草原へと姿を変える。

 それはさっきまで黒スーツの男たちと一緒にいた、大きな樹の下だった。

「願いを一つだけ叶えよう」

 聞いたことの無い声だ。周りに人影はない。嘘みたいだろうけど、恐らく、この樹の声だろう。それとしか思えない。自分の適応能力の高さに笑みさえこぼれる。

 もう一度、その樹は僕に語りかける。

「願いを一つだけ叶えよう」

 さっきまでの黒スーツの男たちの言葉を思い出す。多分五千兆円欲しいって言ってもそれは叶わないのだろう。じゃあ、何を求めれば良いんだろう。

 僕が今求めているもの、

 僕が手に入れられなかったもの。

 それは……

 

「安定……安定が欲しい」

「その願い、叶えよう」

 

 僕の胸から何かがポロッと落ちた気がした。

 

 *

 

 朝、起きるとそこは見慣れた天井。日付を確認すると僕が退職を勧められた日の翌日。

「寝すぎたかな」

 自分に信じ込ませる。あの夢は僕の不安の塊が見せたものだ。あんなものにしがみつくより余程転職先を探す方がいい。

 一応両親にリストラされたという旨の連絡をする。すると、思わぬ返事が帰ってきた。

「従兄弟の経営する会社が、求人をしている。とりあえず面接だけでも受けたらどうか」

 僕はすぐに実家へ帰った。

 従兄弟だからなのかすんなりと面接は終わり、すぐに採用が決まった。東京の部屋はすぐに出て実家住まいになった。

 偶然地元で会った幼なじみと関係が進み、結婚が決まった。仕事も決して給料が高いと言えないが順調だった。

 二人の子供もできた。

 家を建てた。

 子供たちは喋るようになった。

 

 子供たちの手を繋ぐと彼女らは聞いてくる。

「なんでパパの手は冷たいの?」

 僕はそれを適当にあしらう。

 せめて子供たちは石を失って欲しくないな、と願いながら、温かな手を優しく握り返す。

                  

                  

                  完

 

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