始まりの祈り
「まーた、オンボロ教会へのお祈りかい?ミサの日付は過ぎたはずだけれどねぇ」
常人より少し甲高い声が、礼拝堂に響き渡る。それに次いで注目を促すかのように、軽い調子で扉をノックする音が奏でられた。
猫に視線を合わせていた青年は、振り向きもせず淡々と口を開く。
「いやぁ?子猫ちゃんと話してただけだ。聖書の音読より、よっぽど有意義な時間だったぜ」
「猫?……あぁ、それのことか」
もう一人の青年より背丈がいくつか低い青年は、ちらりとバレないよう猫を睥睨する。すると猫は尻尾でもう一人の青年の脚を叩くと、破れた窓から出て行ってしまった。
「ありゃ、フラれちまった……。可愛い子だったんだけどなぁ」
「ははは、君がフラれるとは珍しいね。リュウくん」
カラカラも乾いた笑い声が、二人以外誰もいない礼拝堂に無情に響いた。リュウと呼ばれた青年は、少し不機嫌そうに視線をようやく話し相手に移す。
そこにはシルクハットの下に笑みを浮かべる男が壁に寄りかかり、佇んでいた。常人より少し甲高い声、低めの身長、痩せ干せた体格は中性的な幼い印象を受ける。だが、それも────
「すまないが、一服させてもらうよ。随分と君を探したんだ。これぐらいは許してくれるよね?」
「へいへい……」
ポケットの中の大量の煙草を、見てしまうまでの話だが。
青年は煙草に慣れた手つきで火を灯すと、ため息を飲み込むように煙草を口にあてがう。ふわりと煙草独特の香りと煙が、礼拝堂を満たした。リュウは煙に顔をしかめながらも無言で立ち上がり、破れていない窓を開けて新鮮な空気を取り込む。
「んで?今回はどんな厄介ごと押し付けられたんだよ、ソラ。また『神殺し』のお誘いか?」
「……なーんだ、気付いてたんだ。御名答だよ、クソ野郎」
ソラと呼ばれた青年はシルクハットを目深に被り、しかし器用に煙草を吹かしながら話し始めた。
「何処の神だかは知らないけど、カジノ使って洗脳してる奴が居るって上からの報告。まだ被害は少ないけれどね」
「信仰者は?」
「ざっと百人ちょい。脳まで影響が出てる重傷者が五、六人てとこ」
「ったく……。よりにもよって今日かよ」
リュウは無作法に頭を掻き毟ると、舌を打ち鳴らす。
近くの会衆席に座りなおしたソラは、口角を上げニヒルな笑みを浮かべた。
「なんだい?今夜は何処ぞの猫様とデートの予約でもしてたのかな」
「あいにく俺は趣味一筋だ、浮気はしねぇよ」
不機嫌そうに俯くと、リュウは礼拝堂の汚れきった床をボンヤリと見つめる。土と草が混じったコンクリート製の床は、微かに月明かりを反射していた。
「じゃあ、なんで……あっ、そっか」
ソラはしばらくは怪訝な表情をしていたが、すぐに何かを思いついたように目を大きく広げた。
その紅が混じった黒の瞳には、未だにリュウの不機嫌そうな顔面が映されている。
「もう、あの日から二十年も経ったんだね。神が概念から実物に変化したあの日から」
ソラは目を細め、昔のことを懐かしむように過去を思い出した。シルクハットは風のそよぎを受け、自然とソラの顔を覆い隠す。まるで苦悶の表情を、もう一人の青年から隠すように。
統一歴・四千七百二十七年。今から丁度二十年前のこと。
────端的に言って神々が誕生した。いや、現れたという方が的を得ているかもしれない。
なんの前触れもなく、突然現れた数人の男女は自らを『神』と名乗った。それも世界の様々な地域で同時多発に。
だが言動とは裏腹に、『神』達は見た目も性格も人間とあまり差がない。なので、当初はテロやカルト集団として政府から敵視され、良いとは言えない処遇を受けていたのだ。
だが、それもほんの数日の間だけであった。
一周回って想定内の事だろうが、あえて言わしてもらおう。彼らは人間の長年の夢、言うなれば決して叶うことのない人間には実現不可能なある事が出来たのだ。
────それは、魔法。いわゆる超能力という、説明することのできない超奇現象だ。
それぞれの『神』によって使える能力も威力も様々だったが、そのどれもが凄まじいものだった。
マジックと本物の魔法との差が歴然とするほどの、飛び抜けた魔法。それらが人間達を魅了するのには、そう時間はかからない。
そこまで言えば、あとは簡単。現在の、人が神に依存する世界の完成だ。
四千年程生き抜いてきた人間達は、数日で『神』様達のペットに大変身。
さらに『神』を信仰すると、ある特別な機械により"信仰量"というものが割り出される。
そしてその信仰の大小により、神が人に授ける『祝福』も比例して高価にも、質素にもなったりするのだ。
この祝福は富を得ることも、性欲を満たすことも、なんでも出来る"万物の宝"。用意された豪華な祝福に誰もかれもが飛びついた。
大半の人間は仕事を辞め宗教活動に勤しみ、金銭はゴミ屑同然、国家は破綻寸前にまで堕ちた。そして否応なしに残された無宗教の人間も『神』を信仰しなければいけない状況に陥る。
そうして『神』達は全世界で完全な、『超宗教依存社会』を実現させたのだ。
だが────
「おーい、そろそろ起きろよ。寝てんなら置いてっちまうぞ」
突然の光明にソラは瞼を瞑ると、頭上でおどけた声が聞こえてきた。目を開くと先程まで、不機嫌な子供のような行動を取っていた男が見下ろしていた。手にはこちらの私物であるシルクハットを持ち上げ、クルクルと指で回している。
「……うるさいなぁ。機嫌は直ったのかい、リュウ」
「いいや、全然。ストレス発散していいか?」
「どーぞ、ご勝手に」
やった、と声を上げ青年は会衆席から身軽に立ち上がる。そして帽子を投げ捨てると、何処かへ行ってしまった。シルクハットは宙を舞い、ソラの頭へ着地する。
「まったく……、ここらの住人は自由すぎるのも考えものだね」
ここは所謂、下町と呼ばれる普通に生きられない人間が住まう町だ。世界でも指折りの、未だに金銭を使っている数少ない場所でもある。
望んで此処に来た者は少なく、大半の人間は様々な理由で信仰活動が出来なくなったり、宗教から追い出された訳ありがほとんど。自分だってそうだ。
ソラは胸元にある銀色のペンダントに指先で触れ、唇を噛みしめる。
それと同じタイミングで、礼拝堂の二階からリュウの声が響き渡った。
「おーい、ソラ!お前、ちょっと教会出ていってくれないか!」
「わかってるよ。教会出たら合図するから、ちょっと待って!」
だが、時たまにそうではない人間もいる。宗教派閥の犠牲になった訳でも、祈りが捧げられなくなった訳でもない奴が。
ソラはシルクハットを被り直し、服装を整えると教会の扉を開いた。そして、数歩教会を出ると入り口に向き直り、声を上げた。
「もういいよー!」
シン、とした教会の建物全体に伝わるように声を張り上げる。しばらくしてパチパチと何かが弾ける音がした。
ソラは溜息を吐きながら、もう数歩奥へ足を進める。その瞳には教会が、轟々と燃え上がる様がしっかりと映っていた。
「相変わらず、火をつけてから燃やすまでが早いなぁ」
炎の音にかき消されてしまうような声色でボソリと呟いた。先程までそこに佇んでいた教会はどんどんと、音を立てて崩壊していく。
火の粉がかからないギリギリの所で、ソラは教会の炎を見つめていた。
すると突如目の前の炎が揺らぎ、リュウがひょっこりと姿を現した。表情は先程とは打って変わり、満面の笑みが浮かべられている。
「あー、スッキリしたぜ!じゃあ仕事に向かうか!」
「君のストレス解消法、もう少し考え直してみたらどうだい?」
「んー、いやだ」
男はにっこりキッパリと即座に提案を却下した。そして鼻歌を歌いながら、淡々と歩いていってしまう。
多分彼の中には、教会を燃やした罪悪感も何もないのだろう。こんな行為、現代の神の管轄内でやったら速攻で処罰されてしまう。
しかし彼は何のためらいもなく、行えてしまうのだ。
そう、リュウはこの町の数少ないカテゴリーの人間。
すなわち───────
異常なほどの『神』への信仰の欠如。または純粋なまで『神』へ敵意・悪意を持った人間なのだ。
この世界ではそんな人間達を総称し、悪意や見下しを込めてこう呼ばれている。
異端者、と。




