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おもしれー女の学園異能生活  作者: 鎚鋸太郎
2/2

【蛇は運命を這う】(2)

 木蓮亭――学園通りでひっそりと席を設ける喫茶店――へ逃げ込んだ纏は、カ

ウンターの椅子に座ってカフェオレとチョコレートケーキを注文する。纏の他に

客はいない。常連の纏を、マスターが歓迎した。穏和な態度の美男で、エプロン

がよく似合う。幾度かの会話を経て久座悠と名前を憶えると奢ってくれたチョコ

レートケーキは、纏の好物になっている。

 木蓮亭にいても縄張りは知覚の埒内なので、逢魔時が終わるまで間食をして待

てる。緊張は維持しなくてはならないが、腰を据えられるのは幸運だろう。窓越

しに見える紫木蓮を夜の帳が隠せば、表裏の世界の境界を渡れなくなる。ただし、

異形の存在を拒絶はできない。暗闇に棲みついて食指を動かし、怪事を発生させ

る場合も少なくないのだ。

 つまり、纏の動機は私心だ。自らの関知する範囲が平穏であれと、勝手に異形

を潰す異能者。偽善ですらない行いを顧みた纏は苦笑して呻く。

「んー」

「纏ちゃん、悩み事?」

「学生の本分ですから」

 久座の質問をはぐらかすのに失敗したと思いながら、纏はカップに口をつけた。

カフェオレの味に堪能し、まっとうな言葉を選んで返答を改める。

「自分の責任で善処しなくてはいけない問題を抱えただけです」

「数式や文法をやっつけるなら応援するよ。ここで勉強してもいい」

 久座が纏の学業に配慮したのは、当然の解釈だった。年下の女子学生を労わる

笑顔に心がちくりと痛み、目を伏せる。

「――もし、事件に遭ったなら、辛くても打ち明けて欲しい」

 包容に顔を上げると、互いの視線が交わった。慈しみの目色が、本気で纏を案

じていると感じさせた。久座が良識に則って続ける。

「勇気をだして嘆願すれば、きみを救う責務を果たす人たちがいる。だから、独

りで抱え込まないで」

 想定した事態を解決する最善の方法を勧めた久座に、纏は首を横に振って詫び

る。

「心配させてごめんなさい。わたしの言動が思わせ振りでした」

「纏ちゃんが無事ならよかった」

 纏を責めず、久座ははにかむ。

「ぼくこそ、おおげさに考えてしまってごめん」

 片手を挙げて話に切りをつけ、チョコレートケーキを食べる。華やかな甘さと

慎ましやかな苦さが調和して優麗に味覚を彩り、纏の口角が上がった。

「纏ちゃんはかわいいね」

「ん」

 唐突に評した久座に、纏は顔を顰めた。からかわれたのだと、数十秒をかけて

推量し、相づちを打つ。

「どうも」

 久座が破顔一笑した理由は解らなかったが、戯れに必ずしも道理が有るとは限

らないと、纏は模索を止めた。

 思考を切り替え、テイクアウトのサンドイッチを注文に足す。今日は夕食を作

れそうにない。

 転居の多い職務に就いている両親に姉弟で従っていたが、進学を機に纏は一人

で暮らしている。

「あたしたちは運命を縛られて生まれる血族だけど、あんたはとびきりだわ」

 家族を離れて生活するのをあっさりと許した母の宣告は、放逐の呪詛ではなく、

餞別の祝福だった。異能を継いだ娘に技術と知識を授け、恩愛を絶やさない母に、

纏は敬意を懐いている。両親の影響が弱まった途端に無様を晒している自分に、

独立の決意が挫けそうだが、母に泣きつかないのはせめてもの矜持である。

 澱んだ思惟に羞恥を覚え、纏は嘆く。

「わたしは――足を生やした蛇だわ」

「え?」

「でも、蜥蜴ではないの。蛇足でしかないの。きっと、飛べないのに翼も有るわ。

なんてマヌケなの。トンチキに鳴くわ。オヒョーゲギョゲギョって」

「えっ?」

 困惑する久座に構わず、纏は捲くし立てる。

「わたしが鳴けば、狐狸が踊るのヘイヘヘイ。沼の蛙は大合唱。月夜烏がさざめ

く森の荒城で、暗黒姫が宿命を嗤うわ。異世界へ転生したら闇の魔剣を継承した

亡国の王女でした。オヒョー」

「――レアリティが高くないのに制限の間隙を縫って環境のトップに君臨しそう」

 纏の綴った奇怪な物語の人物を、久座が気圧されながらも考察した。

 カフェオレを飲み干してカップを置き、深く息を吐いた纏は、虚空を両手で大

きく払う。

「暗黒姫はどこかへやりましょう」

「豪快に投げたね」

 纏が払った先を見て暗黒姫の行方を捜す久座に弁明する。

「女子は誰しも心に秘密の花園を有しているんです。時折の風に吹かれて散った

花弁がひらひらと悪戯をしてもしかたないと思います」

「うーん?」

 久座が釈然としない様子で唸った。纏は観念して有体に要望する。

「――と、考え込んだあげくに口走った自省の表現を紛らそうとしたらノッてき

て後へ退けなくなってしまったんですが、ごまかされてくれますか?」

 久座はあやふやに笑った。

 纏は窓の外を確認すると、鞄を持って席を立つ。

「そろそろ帰ります。ごちそうさまでした」

 代金を支払ってサンドイッチの紙袋を受け取り、春の夜へ踏み出す。

 人心に根を残す夜陰の恐怖に、この街の灯りは頼りないが、異形の捕食を抑制

するには充分だ。わざわざ危険を冒さなければ、人工の光を嫌う異形の餌食には

ならないだろう。

 久座が纏の背に伝える。

「またね、纏ちゃん。暗黒姫によろしく」

「オヒョーゲギョゲギョ」

 纏は鳴いて扉を閉じた。

 浮かんでは沈む事物の連鎖が解決の方法となる閃きを淡く期待し、学園通りを

歩く。だが、公園に差しかかった纏に対する男が、とりとめのない思案を中断さ

せた。

 くっきりとした美貌。月影に煌く銀髪。見透かすような蒼い瞳。白のワイシャ

ツ、紺のスラックスをラフに着こなす均整のとれた体躯。年齢は二十歳前後か。

世俗とは隔絶しているのが一目で判る。スラックスのサイドポケットに手を入れ

て佇む姿態は、超然とした異端者だった。

 立ち止まった纏を、男性は嘲笑した。

「あなたは――」

「さあ、おれは誰だろうな」 

 問いかけを遮って恍けた男に、纏は臆さずに推察する。

「暗黒姫ね」

「違ーう」

 頭を振って否定した男が、呆れた素振りで言う。

「性別の段階で判断を誤ってんじゃねーよ」

「昨今、姫に男女の性差は問われないわ」

「そもそも、暗黒姫ってのはなんだ? どこのどいつだ?」

「高レアリティでないコストパフォーマンスの良さで大暴れして調整で弱くされ

そうな闇の魔剣で戦う復讐の王女よ」

「おぉぅ……?」

 言葉のぶつけあいで優勢になった纏は、問いかけを繰り返す。

「あなたは誰なの?」

 嘆息した男が、表情を険しくして答える。

「おれにも判らねーんだよ」

「記憶喪失かしら。身分を証明できる物は持っていない? 警察に通報する?」

 威圧を躱す纏に焦れて舌打ちした男が、左側頭部の前まで上げた右手を振り下

ろす。その手が発する蒼い光が空間を断ち、低い音が生じた。光剣――光が形成

する刃を、男は纏に突きつける。

「まずはどっちが上かをはっきりさせようぜ。話はそれからだ」

「――そうね」

 自身が溶け込むだけでなく、触れた景色の陰影を屈折させた残像を囮に、纏は

跳躍した。人影が無い公園の中央に寄って着地し、噴水を囲むベンチに鞄と紙袋

を置く。光剣の間合いは外せたが、グローブを嵌める暇は無い。一本の毛髪をち

ぎって抛ると光の線になって伸び、蛇のとぐろのように荷物に巻きつく。簡易な

結界を張った纏は男へ向き直って突進する。

 瞬時に距離を詰めた纏に、男が光剣を袈裟に斬るが、裂かれたのは残像だった。

光剣を掻い潜って横に転回しながら男の右側面を抜け、右手刀で後頚部を薙ごう

とした纏は、回し蹴りを左腕で受けて後方へ短く跳ぶ。蹴りの勢いを足して光剣

を斬り上げる男の肘を、纏の左手が打った。右腕を弾かれ、崩れた体勢の腹に、

纏の右膝がめり込む。倒れた男に乗った纏は、その首を右手で掴んだ。

「わたしが上だわ」

 纏は首を放して立つ。

 噎せる男の右手に光剣は無い。纏を睨んではいるが、決着を認めたのだろう。

「あなたが自我を認識したのはいつ?」

 纏の問いに、息を整えた男が答える。

「一週間前ってとこだ」

 男は上半身を起こして右手を額に当てた。

「わたしに接触してきた理由は?」

「ここいらじゃ、おまえがぶっちぎりで強いだろ。ボスならなにか知っているっ

て考えたんだよ」

「これからどうするの?」

「自分が誰なのかを確かめる」

「自分捜しの旅ね。いってらっしゃい」

「――なんか違うんじゃねーか?」

 問答に応じた男がきょとんとすると、麗容が人懐こさを想念させる。

「おれを解放していいのかよ?」

 纏は男を見下ろして告げる。

「わたしは組織を取り仕切っていないわ。あなたは未知の存在だけれど、縄張り

を荒らさなければ関心は懐かない。こうして会話ができる理性は有るのだから、

どうとでもなるでしょう」

「おまえの機嫌に注意しろってか」

 沈黙で纏が肯定すると、男は立ち上がって服の埃を払った。

「互いに本気ではなかったとはいえ、わたしが勝ったのを考慮しなさい」

「おまえなー!」

 勝敗を強調した纏に怒声をあげた男だったが、やがて渋々と承諾する。

「まあ、損得は勘定するさ」

「話がついて助かるわ、暗黒姫」

「それは否定しただろーが!」

 抗議した暗黒姫(仮)が、咳払いをして公園の出入口へ歩きだす。

「おまえ、おもしれー女だな」

 残された評言を噛み締め、纏は呟く。

「そうかしら」

 春風にそよいだ髪が頬を撫でた。

 現実に在る月夜の静謐な公園が、幻想の舞台に想える。表裏の世界の差異は纏

が思っているよりも曖昧かもしれなかった。

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