表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

第一章 狙われた人気アナウンサー

「――探偵長ォ、ぼちぼち帰りましょうや」

 隣のデスクで書類へハンをつき、タイプ係から突き返された手書きの原稿へ赤字を入れていた猫目大作の呟きに、山藤悠一はインキ壺へ伸ばしたつけペンをひっこめた。秋風が頬を撫でる、十月下旬のある夕方のことである。

「まだ四時だぜ、早すぎやしないか」

「それがねえ、このあと都心環状線でリフレッシュ工事の第一弾があるンすよ。うかうかしてると、探偵長みたいなマイカー族と、都バス組の僕ァえらい目に遭うんですから……」

「そういや、そんな記事が新聞に出てたっけなあ。――あんまり遅くなると、妹がうるさいんだよなあ」

 書類の最後に署名と押印を済ませながら、山藤悠一は家族のことをぼやき、乾ききらない両者の上に吸い取り紙をそっと添えた。

「でしょう、だからさあ、たまにゃあ早引けして家でまったり――」

「さて、そいつはどうかな……?」

 山藤悠一は椅子から立ち上がると、猫目の耳にはまっていたイヤホンの元栓を引っこ抜き、ペン立ての隣に控えている小ぶりの卓上ラジオのボリュームをグイと上げた。

 スピーカーから流れてきたのは、ラジオ東京の夕方のワイド番組「東京ダイヤル二〇〇一」の担当アナウンサー・松脇正作の魅惑的な低い声であった。

「――では、交通情報に続く四時台はお待ちかね、イージーリスニングのお時間です。本日の一曲目はレイモン・ルフェーブルオーケストラの演奏で『思い出のラストキッス』をお送りいたします……」

 国立大を卒業後、ラジオ東京のアナウンサーとして採用された松脇アナは、日本人には稀なバリトンの持ち主である。当初、どんな些細なニュースでも彼の声にかかるとひどく重大に聞こえるということで局内ではその使い道に困り、かなり疎んじられていた時期もあったのだが、ある番組のアシスタントを担当した際の甘い語り口が主婦層の人気を呼び、先代アナウンサーの退職に伴いポッカリと空いた「東京ダイヤル~」の司会を受け持つことになったという、現代版シンデレラとでも言うべき、愛すべき若きアナウンサーであった。

「おおかた、この後のラジオ帝都の『木場美沙緒の金曜日の使者』が聞きたいんだろうが、そうはいかないぜ。キッチリ、定時まで仕事してもらうぞ……」

 ラジオのスイッチを落とすと、山藤悠一は椅子へ戻り、タイプ係へ原稿の進捗具合を確認するべく受話器を取った。その横姿をうらめしそうに眺めながら、猫目大作は早く五時になればいいのに……と、ふたたび原稿の赤字へ目を通すのであった。

 そんな一幕から幾日か経った頃、昼食から帰った二人は、部屋の中で黒電話がけたたましく鳴っているのに気付き、駆け寄った猫目が慌てて受話器を握った。

「ハイ、探偵長室……ハイ、ハイ、了解、つないで……」

「猫目、どこからだ」

「ラジオ東京の編成室からです。なんでも、重大な依頼だとかで……」

 ラジオ東京、という名前に、山藤悠一は身構えた。それは、東のラジオキー局でも最大手である、ということもあったが、何よりもマスコミ関係からの依頼は基本的に危険なものが多い、ということが強い意味をはらんでいた。

 とにかく、猫目から受話器を受け取り、交換室へ相手とつなぐように頼むと、山藤悠一は机に腰を下ろし、相手の出るのを待った。

「――もしもし、お電話代わりました、山藤悠一です。――ええ、ええ、ええ……なんですって、それはまた…………わかりました、では、二時にそちらへお伺いします。はい……では」

 受話器を下ろすと、山藤悠一は猫目のほうを向いて、

「――『東京ダイヤル二〇〇一』のプロデューサーさんからだ。番組に、松脇アナウンサーを殺害する、という物騒な脅迫状が来ているそうだ」

「さ、殺害! 穏やかじゃないッスねえ」

 驚く猫目をよそに、山藤悠一はブレザーを脱ぎ、机の引き出しからホルスターに収まったポケットコルトを出し、弾倉の中身を確認する。

「――まさかとは思うが、会う直前に襲われるということも否めない。銃の支度はぬかりなくたのむぜ」

 ホルスターのベルトをシャツの上に這わせ、上着をまとう山藤悠一に対し、詰襟服の猫目は念入りに安全装置を確かめてから、コルトをズボンのベルトにぐいと押し込み、これでよし、と手を払った。

「いい加減、背広の一つ二つ、作ったらいいじゃないか」

 ブレザーのように前を開けない詰襟服の不便さを、山藤悠一は苦々しい顔で指摘したが、当の猫目は涼し気にこう返す。

「悪いけど、そいつぁ無理な相談ですね探偵長。僕ァ詰襟がトレードマークなんですよ」

「おいおい、ベルトに変な力がかかって銃が暴発したらどうするつもりなんだ。ことと次第によっちゃ……」

「その時は車いすでおっかけますよ。まあ、そんなへまするようなら、当の昔に探偵やめてますがね。へへへ……」

 といって、椅子へドッカと腰を下ろすと、猫目はいつものようにラジオをイヤホンで聞きながら、各調査課から送られてきた今月分の最終報告書へと目を通しだした。

 ――まあ、猫目が銃でヘマしたことはないからなあ。

 言うだけ野暮だった、と自分の発言を食いると、山藤悠一は清書に送る前の原稿にミスがないか、念入りに目を通すのだった。

 そして約束通り、二時に田村町のラジオ東京本社ビルの中央玄関をくぐった二人は、待ち構えていた番組プロデューサー・山根と、編成部長の大西に丁重な挨拶を受け、そのまま「東京ダイヤル~」本番直前の五〇七スタジオへと案内された。

「――松脇くん、山藤探偵と猫目探偵がお越しになりました」

 すっかり頭の禿げ上がった、丸眼鏡の山根プロデューサーの紹介に、松脇アナは顔を上げる。

「やあ、あなた方があの有名な……」

 すでにスタジオ入りし、キューシートに目を通しながら、ガチョウの首のように曲がったマイクロホンの前でコーヒーをすすっていた松脇アナは、一八〇センチ近い長身の、どことなく悪漢じみた目つきの、それでいて非常に人懐こい、芯からの善人ぶりがうかがえる口元で、二人へ敬意を示した。

「申し訳ありません、何分、本番直前しか空きがなかったもので……」

 運ばれてきたコーヒーをめいめいに配りながら、松脇アナが詫びると、山藤悠一はいえいえ、と前おいてから、

「なかなか、こういう機会でもないと放送局の中は見られませんからね、いいチャンスでしたよ。――それで、脅迫状のほうですが……」

 と、山藤悠一が口にしたとたん、山根プロデューサーの目配せで、コーヒーを配っていたアシスタントが乱暴に戸を閉め、コンソールで何か操作をしてから手でマル印を出した。ほんの、一〇秒ほどの間の出来事である。

「すいません、なにぶん内容が内容ですから、副調とのインカムを元から切ってもらったんです」

 山根の説明に納得がいくと、山藤悠一は話を戻し、第一報に接した張本人である松脇アナから事情を聞くこととなった。

「――ちょうど三週間ほど前のことだったのですが、番組あてに届いた封書の中に、『松脇、お前の命はじきに消える』という、物騒な文面のものがあったんです。そのときは単なるいたずらだろうと思って、私も山根さんも相手にせず、捨ててしまったのですが……」

「そのしばらく後に、番組内の中継コーナーで使っているラジオカーのブレーキオイルが抜かれるという事件が起こったんです。ちょうどその日は、スタジオを離れて、ラジオカーに乗りながら番組を放送する予定だったので……」

 その時のことを思い出してか、山根プロデューサーは青い顔をして震え、気を鎮めようとコーヒーを含んだ。

「そこで改めて、あの封書のことが話題に出たのですが、単なる整備不良というセンも否めずに、当日は別の車両を使って放送を行いました。ところが……」

 編成部長の冴えない顔色をうかがって、ふたたび松脇アナが口を開く。

「――つい、一昨日のことでした。番組スポンサーの大王薬品からの差し入れ品である栄養ドリンクを飲んだアシスタントの女の子が、のどを抑えて倒れてしまったんです。警察に頼んで調べてもらったら、彼女のビンにだけ、水銀が仕込んであったそうです。もし何かの手違いで私が飲んでいたら、今頃声が出せなくなっていたでしょう……」

 生来のバリトン・ボイスが手伝って、松脇アナの話に、二人はすっかり聞き入ってしまった。声が命のアナウンサーののどへ毒牙をかけようとした誰かがいる、という事実に、スタジオの中はすっかり凍り付いてしまった。

「――ひとまず、所轄の丸の内署には任せてありますが、それだけではどうにも心もとないと思いまして、お二人をお呼びした次第です。何卒、松脇くんを守ってはいただけませんでしょうか」

 編成部長が頭を下げると、しばらく腕を組んだまま、話を整理していた山藤悠一は、

「わかりました、お引き受けしましょう。――ときに、証拠となりそうな一切は、みんなもう丸の内署のほうへ移してあるのですか」

「ええ、もうすべて……それが何か」

「あ、いえ、何か問題があるとか、そういう話ではありませんよ。ちょうど、丸の内署には顔なじみの刑事さんもいますから、ことの運びがスムーズだと思いましてね……」

 と言って、いつぞやの日比谷公会堂での事件の折、とんだ珍プレーを披露してくれた山岸・犬井の両刑事の顔を思い出しながら、山藤悠一は手帳へ今の話の要点を書きつけるのであった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ