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攻撃的尊敬謙譲論

作者: 炉谷義露

 私は幸運にも、無為な悪意に晒された試しが無い。或いは有ったのかも知れないけれども、此れも又た幸運にも覚えて居ない。絶好の条件は揃って居ると自覚しているのだが僥倖であった。

 人間は他者を攻撃為勝ちである。彼れは良くない、此れは悪い、其れは嫌い、何れは憎い。然う為た時、攻撃為れた個体は怒ったり傷いたり恨んだり泣いたり、果たして故意に見ざる聞かざるを貫いたりと忙しい。其処で私は考えたのであるけれども、対象を敬い、自分を遜っては何うだろうか。

 例えば私には母親しか居ないのであって、父親と死別為たと云う訳ではなく、純粋に環境が荒れて離婚為た。斯う為た家庭を指して、常識が無いとか、両親が拙いとか、思想が貧しいとか、人格が卑しいとか、然う云った類いの言葉を吐く個体は少なからず存在為るだろう。其れを事実か何うか認めるのは私の職務ではないので、彼方が然う仰るのであれば然なのだろうと云った感じで向こうの主張を頷いて聞く。向こうは何かの根拠を持って言っているのであろう、其れは彼方の人生かも知れないし、哲学かも知れないし、研究かも知れないし、体験かも知れないし、学問かも知れないし、或いは私の想像も及ばない知見から導出為れた崇高な主張なのだと。感嘆為可き結論が用意為れて在り、若しくは其の攻撃こそが尊き結論なのだと。

 根拠に乏しい推察、自身の空想や妄想、自身の利益や悦楽のみを求め、又たは一部の個体が遣り取り為る狭い見識を以て、違う個体を攻撃為る稚拙な個体が社会に然う居るだろうか。要るだろうか。其の様な無知で無礼で無様な個人は居る筈が無い。其の様な廃品と関わる筈が無いのであるから、向こうは貴く賢い個体であって、吾人は真摯に聞き入れなければ成らないのである。常識が無いと言われれば、相手は常識の確固たる定義を知って居らっしゃって、私の如何なる部分が常識に欠けて居るかを解説為得、又た其れが人間の社会に於いても当然と適用される事を判然と証明出来、私の事を極めて詳細に知って呉れて居るのである。其の様な指摘を頂けるとは全く有り難い。

 尤も、私は愚かな個体である事を自覚為て居るので、其の仔細を尋ねるし、分からなければ幾度と説教を求める。私の愚考も糺して頂く可く、照らし合わせも希う所存だ。否定は先ず為ない。賢人たる向こうも其れが分かって居て、私に講釈を行って呉れて居るのである。遠慮は却って礼節を欠くだろう。

 此処で忘れては成らない事は、事実であれば受け容れる事だ。怒ったり傷いたり恨んだり泣いたり、故意に見ざる聞かざるを貫いたり為たくなる事も在るだろうが、其れは忍ぶ可きである。例えて稼ぎが少ない家庭だったろうと言われれば、確かに弟妹も居るし、収入は母親に頼り切りで、学生を終える事は出来たが、裕福な家庭とは言い難かったと認める。其れが安泰だ。

 但し、此れは何も向こうに死ねと言われれば死ぬるの覚悟に非ず、此れは突き詰めると尊敬と謙譲を以て他者を排斥為、恭しく攻撃為る事が結論であるから為て、其処を取り違えては成らない。

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