名前似てるね。
目が覚める。朝の眩しい太陽の光が目に刺さる。昔から「朝日は浴びなさい」と今は亡き僕のばあちゃんから、よく言われていた。母さんはともかく、ばあちゃんの言うことには昔から従順だった僕は、15になった今でも教えを守っている。実際どうかは知らないが健康な気がする。錯覚なのかもしれないけど。
ベッドから出て、背伸びを入念にして部屋を出る。僕の朝はまず、洗顔から始まる。顔を洗い、歯を磨くことで一日のスタートダッシュを決められる。これもばあちゃんからの教え。情けなくはない。だってばあちゃんの言ったことだから。
「目玉焼き焼けたわよー」
食卓に向かい、今日は一段と綺麗な目玉焼きを前に食欲を唆られ、席に着く。
「いただきます」の掛け声とともに目玉焼きを食べる。
食事を終え、歯を磨き、自分の部屋に戻る。ベッドの横に掛けてあるまだ着たことの無い真新しい制服を手に取り、腕を通す。
着替えを終えたら学校指定の鞄を持ち、「行ってきます」の言葉をそれなりに声を出し家を出る。母は「行ってらっしゃい」の一言だけを僕に向けて投げかける。
今日は入学式。大学を目指さない僕にとっては、最後の入学式。
どうか平和でありますように。
入学式は意外にも早く終わった。「もっと時間をかけて新入生を祝うものなのではないのか?」と、若干不安を募らせながらも、緊張の方がそれをすぐにかき消した。
僕が今年一年間お世話になる学級へと移動する。道中、校舎を見渡してみたが、かなり綺麗で新しさを感じた。だが、見た目よりかなり古い校舎と聞いている。入学式でも、校長が話してた気がする。綺麗に見える理由は何だろうか。掃除?そう言えば掃除にも力を入れているとかも言ってたっけ?なるべくトイレ掃除だけは避けたい。
頭の中でトイレ掃除の辛さを思い出そうとしているところで、教室に着いた。中に入り自分のカバンが置いてある机に座る。
しばらく呆けて過ごしていると、学級担任らしき女教師が入ってきた。その女教師は簡単な自己紹介をし、出席をとりだした。
「それじゃあ、出席をとります。浅倉くん」
「はい」
僕は、皆が聞こえるように、それなりに大きい声で返事をした。朝の「行ってきます」くらいで。
その後も、先生はほかの男子の名前を次々と読み上げていった。そして、僕はあることに気付く。
「○○くん」
よく聞いていると、僕以降の男子には皆、名前で呼んでいる。僕は苗字のみで素っ気なく名前で呼ばれた。
一体何なのだ?差別というやつか?あんまりだろ。入学してまだ一時間も経ってないのにいじめ?
その後、僕以外に苗字のみ呼ばれた者は誰一人としていなかった。これはちょっと悲しいな。
出席をとり終えて、担任は思い出したように話し始めた。
「そういえば、このクラスにはもう一人女の子がいます。席は浅倉くんの隣で、今は学校に行きたくないって感じなんだけど、『岩倉涼子』さんっていう子。これから毎日、涼子さんが学校に来るまで隣の席の浅倉涼くん、プリント類届けてね。それじゃあ、明日は係決めからスタートするからね。今日はこれで以上です。解散」
やってしまった。
なかなか圧のある先生だったもので、ついプリントを届ける事にイエスしてしまった。
よくよく考えると、僕が全く知らない女子の家に行くことなど、これまで1度もなかったことだ。それに今日、新しい小説の発売日じゃないか。楽しみにしてたから、なるべく早く終わってくれることを願うしかない。
色々考えていると、『岩倉涼子』という女の家に着いた。ちなみに住所は担任に教えて貰った。僕の家からそう遠くないのが幸いだった。
一軒家で、いたって普通極まりない家だった。僕の家はマンションなので、昔から一軒家は憧れだった。
チャイムを鳴らす。馴染みある2音の音が、室内で鳴り響いているのが外からでも分かった。
「はーい」
ドアが開き、綺麗な女性が出てきた。母親だろうか。美しい。つい、自分の母親と比べてしまった。あまりの差に、少し悲しくなった。心の中で母さんに謝っておく。
「どちら様?」
「えっと、あの、きょ、今日は○○高校の入学式で、岩倉涼子さんとクラスが同じになりまして、プリントを届けに来ました。」
やはり、赤の他人とは会話するべきではないと、心から誓った僕だった。変な汗が止まらん。
僕が説明すると、母親らしきその人はにこやかに微笑み、「そうなのね。よろしければ上がってお話でもして下さらない?」と頼んできた。僕は正直に断るのが正しいと思っていたが、その人の笑顔につい、「では、お言葉に甘えて」という感じで上がってしまった。
全てはこの人の美貌が罪なのだ。いや、しかし、その美貌に負ける僕も罪なのでは?
そんなことを考えていると、食卓テーブルに案内され、四つ席のあるうちのひとつに座らされた。
「すみませんね。今お茶入れてきますね。」
「すみません。ありがとうございます。」
部屋は、それなりに広く、過ごしやすい環境ではあった。だが、それに染み付くように寂しさと静けさもあった。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
数秒間沈黙が続く。
僕から話を切り出そうとしたが、人見知りがここで発動した。言葉を発すると見せかけて、お茶に手を伸ばしてしまった。これは僕の昔からのくせで、話そうとすると自然に手が動く。
僕は、一口お茶をすすり、再び元の位置にお茶を置く。
すると、今度は相手の方から話をし始めた。
「今日はわざわざ来て頂いてありがとうございます。先生の方からは聞いていると思いますが、うちの子は、中学の時から学校に行かなくなった子です。不登校生です」
ようやくこの人が『岩倉涼子』の母親だということに確信を得た。というか、先生からはほとんど何も聞かされてない。
母親は、ゆっくりとどこか寂しげに『岩倉涼子』について話し始めた。
「学校に行かなくなった訳では無いんです」
「え?それはどういう事ですか?」
矛盾発生?
「教室に行くのを拒むようになったという方が正しいんですけど、私としては、教室に戻って欲しいと思っておりまして」
その後、母親から彼女の話を聞かされた。
彼女は中学三年生の夏頃に、学校に行かなくなり、心配になった母親は理由を聞き出そうとするが、何も話してくれなかったという。しかし、一ヶ月後、「別室での登校なら行く」と言い、別室登校という形で学校に行くことになった。そして、無事、高校に進学したものの、教室に戻ることは無く、母親も理由を知ること無く今に至るという事だそうだ。
「そこで、涼君に会ってもらいたくて…駄目、かな?」
「え?」
いや、意味がわからん。
今の話の流れで僕が関わる内容は無かったはずだ。僕が彼女とご対面する要素を含めた発言は受けていないはずだ。
「友達を作って欲しいの。見た感じ、とてもいい人そうだから、あなたにその大役を任せたいの」
人を見た目で判断するな、と言いたいところだが、やめておいた。
いや、待て。友達だと?僕にそんなもの作れるはずがない。唯一の楽しみといえば、読書やピアノ、あと、ゲームくらいだ。こんな僕にたくさん友達がいるとでも思ったのだろうか。しかも何だ「大役」って。完全にこの一言でフラグ立てられたよね。怖いよ。女怖い。
僕は、無駄に抵抗せずに、丁重にお断りするよう心掛けた。
「申し訳ありませんがお母様、僕にはここ数年間、友達というものを持ったことが無いのです。そんな僕に大役を任せられましても、成功は難しいかと…」
「そうなのね!なら、尚更会ってもらわないと!」
僕が話している途中で母親は目を輝かせて言う。
僕は、きっぱり諦めることにした。
結局は、今後岩倉涼子とは関わらなければいいのだ。後で、プリントを届けさせる相手を変えればいいのだ。
僕は、そう決め込んだ。
「分かりました。それでは、会わせてもらいます」
「そう!それじゃあ、こっちに来て」
僕の了承を得た母親は、さらに嬉々として、岩倉涼子の部屋へと案内をした。
「ここよ」
二階に上がりすぐの所に彼女の部屋があった。
ドアには、『涼子』と書かれた、看板のようなものが掛けられていた。手作り感満載のそれは、かなり年季が入っていた。
「涼子ー。寝てるのー?」
母親はドアに向かって呼びかける。すると、
「起きてまーす」
と、返事が聞こえた。眠そうな声だ。
「新しい高校の人が来てくださったわよ。同じクラスの子だけど、話だけでもしてみない?」
「下で待ってて。」
僕は驚いた。僕のイメージする不登校生は、部屋から出ないで、一日中部屋に引きこもっているものだと思っていた。案外すんなり出てくるもんなんだな。
「それじゃあ、下で話でもしましょうかね。」
「はあ」
え?また?
しばらく、僕の趣味の話などをして時間が過ぎるのを待っていると、階段から足音が聞こえてきた。
「もう、遅いじゃないの。こんなに待たせて」
「いや、大丈夫ですよ。会話もそれなりに楽しかったですし」
実際に待たせれた時間は、約二十分間。そこそこ待たされたんじゃないかな?おしりが痛いんだけど。
岩倉涼子が現れた。
顔は母親と少し似ていて、身長は女子にしては高い方で、まあ、美人な人だった。
「この人が、同じクラスの浅倉涼君。これからもプリントを届けてくれる人よ」
ちゃっかり、決定事項になってしまった事に数秒間気づかず、慌てて否定する。
「いや、別に僕が毎日ということはないと思いますけどね」
危なかった。
それにしても、パジャマで登場とは大した勇気だな。僕だったら恥ずかしすぎて変にオシャレをしてしまうけどな。
「こんにちは。ええと、岩倉涼子といいます。同じクラスになった、涼くん、だっけ?よろしくね」
「ああ、よろしく」
なんだ。普通に明るい人なんだな。馴れ馴れしいな。気が合わなそうだな。
「ねえ、涼くんって、あたしと名前似てるよね」
「へ?」
急に言われたので素っ頓狂な返事をしてしまった。
まず、話しかける内容がそんなことだとは誰も予想しないだろう。普通であれば、ちょと詳しく自己紹介とかじゃないのか?僕の常識はたまに、他人の思考を困惑させる事があるがな。
彼女は話を続けた。
「ほら、浅倉と岩倉とか。名前も涼と涼子で似てるでしょ?これは何かの運命なんだよ!」
「う、うん。でも、そういうの結構あるものじゃないかな」
「いや、少なくとも私はなかった。高校生になって初めて会えたのが君で良かった。これからもよろしくね」
「よ、よろしくお願いします」
ちょとうっとうしいくらいテンションが高く、笑顔が眩しい。
本当に学校に行けないのか?ちょっと信じられないな。こいつの、この笑顔が、僕の想像していた岩倉涼子を凌駕してきたぞ。
やっぱり、女怖い。
その日はそれだけで、プリントを渡して、そのまま帰った。家を出る時も彼女は笑顔で、どこか寂しげな表情をしていた。
僕には分かる。その表情の理由を。
前までの僕もその顔をしていたから。