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未来予報  作者: ミズノ
7/12

承③

 たった数十分がまるで永遠のように思えた。電車が止まり、駅名をアナウンスしたところで、男は目を開けた。立ち上がり外に出ていく。僕はその姿を見失わないように後を追った。

「上前津」駅の看板の前を通り過ぎる。改札を出て地上へ。夕方の通りは人通りが多くて、男を見失うことはあっても見つかることはないだろう。制服姿は不安だけれど……学生服姿だってちらほらある。不自然ではない。

 男は大通りを渡って、商店街のほうに歩いていく……買い物でもするつもりなんだろうか。三菱の赤い銀行前を通り過ぎ、大須商店街ふれあい広場へ。二本の通りが合流する広場だ。その周りにもお店が並ぶ。伊神切手社、ジュエリーズウノ、スガキヤ……男は「めいどりーみん 招き猫前店」の前で、メイドさんからチラシを受け取ると、広場の真ん中に鎮座するスクリーンの前に立った。顔を上げる。スクリーンの上には「福」の文字が描かれた小判を抱えた巨大な招き猫が僕らを見下ろしている。男はポケットにチラシをねじ込み、代わりにナイフ――ではなく、スマートフォンを取り出した。そしておもむろに写真を撮り始めた。ベンチに座って休む買い物客も、誰も男のことを気にしていない。

 何をしに来たかわかった。観光だ。そしてもう一つわかったこと。犯人の住居はこの近くにないのだ。

「何してるの?」

 僕は飛び上がりそうになった。水谷だった。制服ではなく普段着だ。

「何してるのって、水谷こそ」

「私の家ここだし」

 ほら、と通りに並ぶお店の一件を示す。『水谷屋』の暖簾が出た小さなお店だ。通りに向いた引き戸をの中を覗くと、店主がたい焼きを焼き始めたところだった。甘い匂いが漂ってくる。

「食べてく?」

「急いでるんだ」

「今なら友情価格で十円引きだよ」

 中途半端な交渉をふっかけてくる。

「隣の店は?」

「隣?」

 隣のお店『被服鈴木』の店内では、『売り尽くし!』のプラカードの下に、男女上下ごっちゃになった衣服たちが山と積み重なっていた。

「名前の通り鈴木さんが服を売ってるお店だけど」

「お店の人とは知り合い?」

「そうだよ。今は……いないみたい。店の奥にいるのかなあ」

 広場にいる男は写真撮影を終え、本格的に商店街散策を始めようとするところだった。僕は衣服の山の中にあるパーカーを羽織った。

「ねえ、この前の帰り……」

 水谷が声を落とす。僕は財布から百円玉を五枚探して水谷に押し付けた。

「悪い、渡しておいてくれ」

「え、なんで」

「いいから、急いでるんだ」

 水谷が引き留めるのを振り払って、僕は男を追いかけた。水谷は、物とお金を必ず交換しなければならないと思っている。そんな気がしたけれどやっぱりその通りだった。

「後で絶対話聞かせてよ」

 水谷の声を後に、人混みの多い通りへ移る。やっぱり制服よりもグレーパーカーのほうが目だない。僕は人を避けながら男の後をついていった。靴屋、古着屋、たこ焼き屋に花屋、ラーメン屋、アクセサリー店、ウェスタン雑貨、カフェ……個人商店がごちゃごちゃと並ぶ通りはカオスな感じだ。男は道の端で立ち止まると、ビルの壁に貼られたポスターをしばらく眺め、それから階段を上っていった。

『運命鑑定 手相占い 一階四千円。ビル二階』

 ビル二階。後を追いかけたら鉢合わせてしまいそうな狭い階段。僕は外で男が出てくるのを待つことにした。 

 からんからん、と芯のある鐘の音が耳を圧する。道の端で福引をやっているみたいだ。誰かが景品を当てたらしい。ガラガラを前に受付をしていた法被姿のおじさんが、台の下から、炊飯器の箱を取り出した。主婦らしい女性が困った顔でそれを受け取る……持って帰るのが大変そうだ。

 その隣には、宝くじ売り場がある。意外と並んでいて、五人待ち程度。ビルを上がっていった男はまだ降りてこない。僕は宝くじ売り場に並んだ。道行く人は、夕刻の時間とどんどん増え続けている。人とぶつかっても不自然じゃない環境。僕はスーツ姿の男の肩に軽く手を置いた。

 すると、目の前の現実とは別の、架空の映像が頭に浮かんだ。

 男はテーブルに着いているようだ。目の前には朝食が並んでいる。トーストにサラダ、目玉焼き、牛乳の入ったコップ。向かいの席には、見覚えのあるセーラー服姿。僕の母校と同じ、中学生の女の子。その後ろには、対面型のキッチンから妻の顔が見える。母と、娘と、父。男はテーブルの隅に置かれた新聞を広げた。ぱらぱらとページをめくり、ふっと、あるページにたどり着く。

『宝くじ抽選結果発表』

 男は財布から宝くじを取り出し、新聞の数字を比べる。そして、顔を上げた。妻がぱっと嬉しそうな表情を浮かべる。娘も、朝食の手を止めて顔を上げる。

当たり番号は九八五一。男の買った番号は八九一五。当たりだ。順番が違っても、選んだ数字が四つ一致していれば賞金がもらえるのだ。

 映像がふっと消えた。列が進む。男は、くじを一枚だけ買ってその場を去ろうとした。

「あの、すみません」

 呼びかけると、男は僕を振り向いた。

「これ、どうやって買うんですか?」

「高校生が宝くじか……まあ法律違反ではないけどさ」

 男は困ったような表情を浮かべた。男は宝くじを財布にしまうところだった。。

「褒められたもんじゃないけど、ま、こういうものだよ。四つ数字を選ぶんだ」

 男はくじを見せてくれた。選んだ番号は、八九一五、とある。

 僕の見た未来の映像と一致している。

「その番号、きっと当たると思います」

 僕の言葉をどう受け取ったのか、男は苦笑を浮かべて去っていった。僕が売り場で買ったのは、五一八九。賞金にして五万円が当たるはずの数字だ。

 くじを財布にしまう。これではっきりした。僕の予知の精度は昔と変わっていない。

 かっ、かっ、と階段を降りてくる音が聞こえた。ビルから吊り目の男が出てきた。人の流れに合流して道を歩いていく。

 一度、男の背中に触れればいい。時間は長ければ長いほどいい。そうすれば、次に、誰か、どこで殺されるのか、僕にははっきりとわかるのだ。

 男は早足だ。人混みの中を縫うように、器用に歩く。誰かとぶつかるのを避けているみたいだ。片や僕は、向かいの相手を避けた瞬間、後ろから歩いてきた人に足を踏まれる……みたいなことを延々と繰り返していた。見失いそうになりながら、なんとか男に着いていく。

 男はまた立ち止まる。何かを見つけたみたいだ。その目線の先を追う。水晶玉、紫色の布が敷かれたテーブル。ごちゃごちゃとネックレスやら金物が吊り下げられたラックに身を隠すようにして、白髪頭の老婆が座っている。ラックにかけられた看板には

『運命占い 一回二千円』

 男は、水晶玉の光にふらふら吸い寄せられていく……占いが好きなんだろうか。

「占い師さん、俺の運命も占ってくれよ」

 若い、はきはきした声だった。意外だった。もっと暗くてじめじめしたような人だと思っていた。実際は違った。自分自身に疑いのない、まっすぐな精神を持った人の態度。この人は本当に殺人犯なんだろうか。僕はひどい勘違いをしているんじゃないだろうか。

 老婆はゆっくりと頷いた。男の目をじっと見る。

「お名前は?」

 男はすぐに答えなかった。不自然な間が落ちる。

「五十嵐、春太だ」

「年齢は」

「二十七。もうおっさんだよ」

 老婆は笑った。

「そんなこと言ってりゃあすな。まだまだ若いがね。左手を見せてみ」

 老婆は左手を取り、そのしわ一本一本を子細に観察するように目を凝らした。もう一度五十嵐と名乗った男の顔を見、手を見、そして中空をにらんで目を閉じた。

「俺はこれから、どうなると思う?」

 まるで、前途に素晴らしい何かが待ち構えていると確信しているような、そんな声。老婆はしわだらけの顔を、より一層しわくちゃにした。

「もう自分自身が一番よくわかっているように、わしには見えるがね」

 五十嵐は快活に笑った。

「悪かった。言い方を変えよう。人から見た自分を知りたいのさ。俺のことは俺が一番よく知ってる。占い師さん。俺は、あんたらが手のしわとか水晶から運命を読み取ってるなんて思っちゃいない。あんたらの武器は、人がどんな行動特性を持ってるか予測できるだけの、大量の人間観察のサンプル結果だ。そんな占い師さんに、俺の姿はどう映る?」

 老婆は表情を変えない。長い沈黙、僕は、ゆっくりと男に近づいた。一歩、二歩、三歩。後は、手を伸ばせば、その肩に届く。ゆっくりと腕を伸ばし――

「触るな」

 冷たい声。銃口みたいな二つの目にとらえられ、心臓が凍り付く。

「大丈夫か、僕」

 老婆が口を開いた。難しい表情が崩れて、穏やかな笑みに変わる。

「ちょっと待ってな、この人が終わってから占ったるでな」

「俺はもういいよ。あんたが大した占い師じゃないのはわかった。代金はいい。なあ、ばあさん。もう一つ教えてくれ。このあたりで、一番鑑定料が高い占い師はどこにいる」

「大須観音の前に、毎週金曜日だけ出とる店があるが」

「恩に着る。今週末か。ちょうどいい、しばらくここにいるつもりだったんだ」

 五十嵐が立ち去った後も衝撃から立ち直れなくて、僕はその場からしばらく動くことができなかった。

「僕も占ったろうか」

 老婆が声をかけてくれてやっと我に変えった。僕は遠慮してその場を離れた。元来た道を戻る。たった一言、たった一睨み。僕はまるで小さな蛙だ。何もできない。五十嵐が何か起こすまで、じっと待っていることしかできない。

「後で絶対話聞かせて、って言ったじゃん。」

 肩に手を置かれる感覚。振り向くと、そこにいたのは水谷だった。僕の顔を見て、目を丸くする。

「どうしたの? 泣きそうな顔してるよ」

「泣きそうな顔なんてしてない」

 無茶がありすぎる反論だと自分でも思った。水谷は口を一文字に結ぶ。笑っても怒ってもいない。

「何か困ってるのはわかるよ」

 水谷は優しい声でそう言った。僕は本当に泣いてしまうかもしれなかった。

「鳥羽ちゃんに振られたのは残念だったけど……」

「振られてねーよ」

 思わずムキになってしまう自分が我ながら哀れだ。

「違うの?」

「違うよ」

 僕は水谷に事情を説明した。久しぶりに鳥羽と話がしたくなったこと(我ながら無理があった)、帰る途中で陸田が刺されたのを見たこと、通り魔の顔は見なかったこと、警察で聴取を受けたこと……水谷は、僕と鳥羽が事件に巻き込まれていたことをまだ知らなかったのだ。

「ごめん、そんなことになってるなんて全然知らなくて」

 水谷は視線を落とした。別にしおらしい態度を取ってほしかったわけじゃない。

「鳥羽と話がしたかったのは本当なんだ。あいつは、僕にじゃんけん四十連勝をさせた女だからな」

「四十連勝……?」

 水谷は人混みの多い道をすいすい歩く。僕はその後を着いていく。。

「まだ通り魔捕まってないなんて。防刃チョッキを来て毎日登下校したい気分だよ」

「……結構高そうだな」

「商店街のどこかで売ってるの見たことあるけど」

 高校生が買うにはかなりきつい額なんじゃなかろうか。

「歩き慣れてるな」

「家の庭みたいなもんだからね」

 歩きながら話しているうちに気分が落ち着いてきた。大須観音の入り口にたどり着く。五十嵐の姿はどこにも見えなかった。

「鳩散らしてく?」

 門をくぐって境内に入る。目の前に長い石段。石段を登った先には朱色を基調とした建物……浦島太郎に出てきた、絵本の中の竜宮城。それが目の前にどかんと現れたみたいだ。

「水谷?」

 いつの間にか水谷がいなくなっていった。

「こっちだよ」

 九十度回れ右をする。水谷が、僕から五メートルくらい離れたところで手を振っていた。いつの間に買ったのか、腕に何かの袋を抱いている。

「何してるんだ」

 僕が近寄ろうとするのを、水谷は手で制してきた。

「駄目。そこに立ってて」

 水谷は、袋の中に手を突っ込んだ。そして手のひら一杯に中身を掴み取ると、花咲か爺さんよろしく、その中身を空に向けてばらまいた。白くて軽い何かが、一斉に宙に舞う。

 羽音が聞こえた。背後。振り向く。巨大な灰色の群れが、僕に向けて一斉に襲い掛かってきた。

「うわあっ」

 僕は顔を腕で覆った。まるで巨大な砂嵐が通過するみたいに、大量の鳩の群れが僕の視界を覆う。鳥独特の変なにおいと、いつまでも絶えない羽音。目を開ける。鳩たちは、地面に散らばったポップコーンに群がり、地面を灰色の羽で覆いつくしていた。

「うわあっ、て……凄い悲鳴あげるな」

 水谷は、遠くから僕を眺めて爆笑していた。

「うるさいな。びっくりするだろ」

 と、今度は、ポップコーンに群がる鳩の群れに突進した。逃げ惑う鳩たちが、群れを作ってまた僕を襲う。

「止めろ! 馬鹿!」

「馬鹿で結構! 絶対止めないとしか私には答えられない」

 やがて境内には、餌を持った子どもたちが何組かやってきて、鳩の取り合いを始めた。僕らは簡単に参拝を済ませて境内を後にした。

「なにお願いしたの?」

「無病息災」

「うわっ、つまんな」

「じゃあお前はどうなんだよ」

「未来永劫商売繁盛」

 僕らはお互いにわりと堅実だった。

「そろそろ帰るよね」

「ああ、早く帰れって先生に怒られるよ。こんな時だしな」

 夕暮れ時の空は徐々に藍色に染まりつつある。家に帰り着くころには夜になってしまっているだろう。と、僕は、一つ大切なことを思い出した。

「なあ、水谷。大須観音前に、有名な占い師さんがいるって聞いたんだけど」

「うん、いた、ね」

「いた?」

 過去形?

「東京に行ったよ」

「え?」

「俺は名古屋で生涯を終える人間じゃない、ってさ。自分の才能を試したいんだって。この前はテレビにも出てた。結構うまくやってるみたい」

 僕は周囲を見回した。五十嵐春太は、もうそのことを知っているだろうか? というか、さっきの占い師さん。

「あの人、嘘ついてやがったのか」

「いいこと教えてあげるよ」

 水谷は言った。

「ほとんどの占い師さんは預言者じゃなくて最強の嘘吐きなんだよ」

「意外とリアリストなんだな」

「私も意外だったよ。占いやるんだ? 全然そういうの信じない人っぽいのに」

「水谷」

「なに?」

 僕は、次にすべきことにやっとあたりをつけることができていた。

「笑わないで聞いてほしいんだ」

「……内容によるかな」

「実は僕には……最高の手相占い師になれる資質があるんだ」

 水谷は笑わなかったけれど、代わりに怪訝な表情を浮かべて、僕の次の言葉を待っていた。

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