承②
「ただの強運じゃなかったんだね。その話を信じるなら」
白い廊下を陸田の病室まで歩く。鳥羽は声を潜めた。
「もうそんなことはやってないよ」
「どうして、便利なのに」
「なんだか怖くなったんだ。変に注目浴びてさ。鳥羽と陸田のせいでね」
部屋の前かかった札を確認しながら、歩く。陸田の病室はすぐに見つかった。部屋に入って、仕切りのカーテンを開ける。
病院服を来た陸田は、真っ白で大きな枕に後頭部を預けて目をつむっていた。けれど、僕らが来たのに気が付いてか目を開けた。
「ごめん、寝てるとこだった?」
鳥羽が優しく声をかける。
「全然目は冴えてるよ。でも目をつむるくらいしかやることがなかったんだ」
陸田のベッド脇のテーブルには、何冊がの漫画が積まれていた。
「動いたり大きな声出すと、傷のところが痛くて」
「無理しないでね」
「これくらいの話なら全然大丈夫だ。お前もなんか言えよ」
僕は、陸田がから元気を出しているように見えて、なんだか落ち着かないでいた。
「ごめん、僕のせいだ」
陸田は目を丸くした。
「馬鹿、何言ってんだよ」
強い口調で言った陸田は、苦しそうに眉間にしわを寄せた。鳥羽が、いたわるようにその腕をそっと取った。
「野次馬しようとした俺が悪かったんだ。天罰だよ」
苦笑を浮かべる。
「なんで陸田はあそこに?」
「お前らが並んで歩いてるのを見つけて、何事かと思って尾行してたんだ。すまん。許してくれ」
「いいんだよ、そんなことは」
なんとか返事ができたけれど、僕の声は、自分にもわかるくらいに震えていた。僕の疑いは確信に変わった。
陸田が刺されたのは僕のせいだ。僕が鳥羽に声をかけたから、鳥羽の行動を変えることができた。その代わり、陸田の行動も変わったのだ。そのせいで、鳥羽の代わりに陸田が刺された。
僕の未来予知は完璧じゃない。未来にあふれるありとあらゆる可能性のうち、ほんの一部を拾い上げるに過ぎない。実際、僕は、じゃんけんで鳥羽に負けているじゃないか。
あの時、鳥羽はパーを出すはずだった。けれど、僕の手が変わったのに対応して、鳥羽の手も変わった。
僕が変われば、周りも変わる。それがどのくらい変わってしまうのは、僕にはわからない。バラフライエフェクト、と言えばいいのか。蝶の羽ばたきが、どこか遠くで竜巻を起こす――ほんのわずかな変化でも、その影響範囲を正確に見積もることは難しい。
「犯人の顔は見たのか?」
「陸田くん」
責めるような口調。鳥羽は息を吸って、続けた。
「その話は止めよう」
「そうだよ、陸田。ゆっくり休んでくれ。今は思い出さないほうがいいよ」
冗談めかして事件の話をする陸田の表情は硬くこわばっていた。それを、無理やり引っ張って笑い顔に変えようとしている。笑えるわけがないのだ。鳥羽が、犯人に刺される瞬間を見たからわかる。あれが目の前の現実として表れて、そして自分の体に刃物を突き立てたのだ。
「わかった」
陸田がしおらしく呟いた。鳥羽は小さく頷く。
「本当に、悪かった。せっかくお前が……」
鳥羽は首を傾げた。
「なに?」
「なんでもないよ。陸田、あんまり喋らないほうがいい」
鳥羽は明らかに不満げだったけれど、無視することにする。
「後のことは任せてくれよ」
僕は、この友人のためならなんでもしてやる気分になっていた。
「後のことって、なんのことだよ」
「犯人は、僕が捕まえるよ」
「はあ?」
二人が同時に頓狂な声を上げた。陸田は痙攣するみたいに上体を起こし、そして、痛みに押しやられて再びベッドに倒れこんだ。
*
「どういうこと? 何するつもり」
帰途に着く電車の中で、鳥羽はまだちょっとだけ怒っていた。
「僕は顔を見てる。だから会えばわかる」
「嘘、もうあの時はいなかったじゃん」
陸田が刺された日、僕らは犯人の顔を見なかった。けれど、僕は一度だけ見ている。鳥羽の視点を通して。同じような場所、同じような時間で、人をナイフで刺す人間が二人もいるとは思えない。中肉中背、短髪、薄い唇に吊り上がった両目、蛇を思わせる不気味な動作。忘れたくても、あの映像はなかなか頭から消えてくれない。悪夢だけれど、むしろ好都合だった。
「警察に……」
と、言いかけて鳥羽は止めた。僕らの話は物騒すぎる。それもあるし、鳥羽は思い出したのだ。
「僕らは、その時のことをものすごく詳細に話しだだろ?」
僕と鳥羽は、警察か聞き取りを受けた。当日の場所、時間、なぜその時間にその場所にいたか、見つけた時の状況がどうだったか。僕らは別々の部屋に呼び出され、同じ質問を何度も受け、何度も確認を取られた。
「今から新しい話を二人で作れるか? 実は顔見てました、って」
「そうじゃない。だけど絶対に止めて。危ないよ」
鳥羽の目は泣き出しそうに震えていた。僕は鳥羽の手を握った。頭の中にとりとめのない映像が流れ込んでくる。
「なに」
「鳥羽」
「だからなにって」
「今日の夕食はすき焼きらしいよ」
手を離すと、頭の中の映像がふっと消えた。食事の時、登校するとき、家まで帰る時。無数の情報が見えていたけれど、その中に、鳥羽に危害が及ぶようなものは見つからなかった……少なくとも、僕に見えた範囲には。
電車が減速を始めた。次の駅で下車すれば、僕も鳥羽も、少なくとも今日は大丈夫だと思う。
「少なくとも鳥羽は大丈夫だ」
「違う、そうじゃなくて、自分はどうなの」
体が熱くなってきた。僕は、自分が何をしたのか、この時になってやっと自覚し始めていた。
「自分のことはわからないんだよなあ」
電車が止まる。乗客がぞろぞろと出口を目指すのに乗って、僕らも車外に出た。
「なんで、あんなことするんだろう。やっぱり、社会に不満があったりするのかな」
鳥羽は心底不思議そうだった。でも、僕には少しだけわかる。時々、自分以外の全員が敵に見えて、そして、全員に危害を加えたいと思うことが、僕にはある。僕は、鳥羽よりも犯人の側に近いのかもしれない。いつ、どのタイミングで、どの方向に自分が倒れてしまうのかわからない。大多数の人々は、一本の細い糸の上を歩くみたいに、危ういバランスを保ちながら日々を生きている。きっと、鳥羽や陸田は、そこから少しだけ離れた場所にいるから、わからないのだ。
電車のベルが鳴る。改札に向かう直前、隣の車両を覗き見た。その時、氷のくいで心臓を貫かれたみたいな、冷たい衝撃が全身に走った。
「早く行こうよ」
鳥羽が僕を振り返る。
「悪い、鳥羽。学校に忘れ物したみたいだ」
心臓の拍動がどんどん早くなっていくのを感じる。発車の警笛は耳障りなくらい続けている。僕は踵を返して、電車の中に駆け込んだ。
「待って! ねえ!」
追いかけてくる鳥羽の目の前で、自動ドアが閉まった。ホームに一人、茫然と立ち尽くす鳥羽を置いて、電車はゆっくりと走り出した。
荒くなる呼吸を落ち着け、心臓の動機が収まるのを待って、僕は隣の車両を覗き込んだ。
その人物は、杖を持った老人の前で優先席車両に座り、足に両腕を乗せて前傾姿勢を取ったまま目をつむっている。中肉中背の短髪、吊り上がった目元、三十代には届かないであろう活力を感じる容姿に、そして、ねぐらで静かに時を過ごす蛇みたいな、不吉な雰囲気。間違えるはずがない。僕の頭の中に強烈な印象を残した顔。
鳥羽を刺そうとした犯人で間違いなかった。




