起②
二十分ほど電車に揺られる。途中でバドミントン部三人を見送って、僕らの電車は目的の駅に到着した。鳥羽は金魚が酸素を求めるみたいに一目散に電車から駆け下りた。
「じゃ、今日はありがとう。祝辞は確かに受け取ったよ」
鳥羽はくるりと僕に背を向けて歩き出した。僕はその後を追って隣に並んだ。
「……家、反対の出口じゃなかったっけ?」
「実は引っ越ししたんだ」
「今朝、反対側の入り口から入ってきたの見た気がするんだけど?」
「そうか? 見間違いだろ」
「そうは見えなかったけどなあ……?」
鳥羽の声色には、明らかに疑いの響きが混ざっていた。
階段を上がって地上へ。夜のとばりの下、お店やビルの明かりがぽつぽつと消え始める。町は一日の仕事を終え眠りにつこうとしているみたいだ。早足に歩く鳥羽に僕は着いていく。車の多い大通りを歩く、交差点を超え、しばらく歩くと背の高い建物が減ってくる。住宅街と繁華街の境界は、つぶれた商店や倉庫、使われなくなったビルが立ち並び、人通りもあまり多くない。道路脇に立つ街灯が、明滅を繰り返した末に消え、二度と点滅しなくなった。
「同じ駅にいても、全然顔を会わせないもんだな
「そうだね」
鳥羽の声は沈んでいた。もう僕とは目を合わせようとしない。そんなことは別に問題じゃないのだ。今日、この瞬間、鳥羽と一緒に歩いているということに意味がある。
僕は周囲を観察した。シャッターの降りた商店、もう明かりの灯ることのない居酒屋。道路の両脇にそびえるコンクリート塀の汚れ、僕の探している場所は、すぐ近くにありそうだと、そんな気がしていた。
「……どうしたの? 何か探してるの?」
「周囲を警戒してるんだよ」
鳥羽は笑った。当然か。僕の耳にだって冗談にしか聞こえない。
「愛知県の連続通り魔事件、知ってるだろ」
鳥羽は視線を宙にさまよわせた。
「一宮市と、春日井市、弥富市と、対馬市……だっけ?」
「よく覚えてるな」
「地理好きなんだよ」
「次は名古屋市内で起こるかもしれないだろ」
鳥羽はなかなかピンと来ていないようだった。
「早く捕まって欲しいけど……意外と大げさだなあ」
後に一分も歩けば曲がり角に差し掛かる。僕は鳥羽の一歩前に出た。
「何?」
「ちょっと待ってくれるか?」
僕は走った。曲がり角から顔を出す。そこから見えた景色は、僕が想像していたものとぴったり一致していた。
左右にコンクリート塀が立つ息苦しい一本道だった。建物もお店も面していない不気味な場所。道の片隅には一本だけ街灯が立っているけれど、壊れかけているのか明滅し、周囲を照らす明かりとしては心もとない。
僕は駆け足で鳥羽の元に戻った。
「まっすぐ行こう」
「え? それじゃあ遠回りになるよ。私はあっちにいくから」
「それは駄目なんだ」
僕は手首を握ろうとしたのを、鳥羽は思い切り振り払った。
「さっきから何なの?」
鳥羽の声には感情がこもっていなかった。
「だから通り魔が」
「意味わかんないよ。どうして」
鳥羽は口を一文字に結んで僕をにらみつけていた。
「私は帰るから、着いてこないで」
鳥羽は僕に背を向けた。僕は肩を思い切り掴んだ。
「離して」
「駄目だって言ってるだろ!」
鳥羽の肩がびくりと震える。僕は頭のおかしい奴になり切ろうと決心した。突然狂った昔馴染み。従わないとどうなるかわからない。
僕が腕を引っ張ると、鳥羽は魂が抜けたみたいにふらふらと僕の後ろをついてきた。無言で歩く。どこまで歩けばいいのだろう。一区画を過ぎ、二区画目の曲がり角に行き着く。
「どこまで行くの?」
鳥羽の声は震えていた。
「次を曲がるよ。悪かった。でも家までは一緒に行かせてくれ」
狂人ぶろうと思ったのに。僕の声は落ち着いていた。演じ続けるのには気力も知力もいる。僕には苦手なことだ。
「ねえ、今、何か聞こえなかった?」
鳥羽はほっとした様子だった。
「何か?」
僕は鳥羽の手を離した。鳥羽は一歩、二歩と僕から距離を置いた。耳を澄ます。確かに何か聞こえた。人の声。何かを叫んでいるような。それから、コンクリートを叩くぱたぱたという足音が聞こえ、遠ざかっていた。
鳥羽はふいに駆け出した。
「待て、次の区画まで行ったほうがいい」
鳥羽の足は止まらない。僕は彼女を追った。住宅街の夜を駆ける。鳥羽の姿が曲がり角の向こうに消えた。と、僕は何かに躓いて思い切り転んでしまった。足元を見ると、靴の紐がほどけていた。くそ、僕はどれだけ失態を演じれば気が済むというのだろう。立ち上がって、思い切り力をこめて、足が痛くなるくらいに紐をきつく締めた。
「鳥羽!」
僕の呼びかけに答えるように、短い悲鳴が夜の住宅街にこだました。背中に冷たい感覚。地面を蹴って駆け出すと、足首に鋭い痛みが走った。変な転び方をしてしまったみたいだ。痛みを押して鳥羽を追いかける。震えているのに、全身からは汗が噴き出していた――ここで、僕が間違えれば、鳥羽は。
「鳥羽!」
曲がり角の向こうに後ろの姿を捉えた。一本に結んだ髪が、途方に暮れたみたいに後頭部から垂れている。鳥羽は崩れ落ちるようにその場にへたりこんだ。
「大丈夫か」
両肩に手を置く。鳥羽は震えていた。僕を振り返ったその目は色を失い、それに代わって恐怖と絶望が埋め尽くしていた。
「え……なんで? どういうこと」
「良かった、無事で。僕は、てっきり」
鳥羽は口をぱくぱくさせていた。僕は鳥羽の目の前に、何かが横たわっているのに、今になってようやく気が付いた。
電灯の明かりに慣れた目が、徐々に暗闇に適応しつつあった。僕は、鳥羽の目の前にある何かの正体に、やっと気が付いた。
それは人の体だった。体を丸めて地面に四つん這いになっている。。制服姿は僕と同じ。その顔かたちを見て、僕は、全身を巨大なハンマーで叩きつぶされるみたいな衝撃を受けた。
「陸田?」
僕が呼びかけると、制服姿の男は、息も絶え絶えと言った様子で顔を上げた。見知った顔。陸田陸の顔だった。その腹部からは、どす黒い液体が絶え間なくあふれ出ている。陸田は、片方の手でそれを押さえているけれど、指の隙間から零れ落ちる血液を止めることはできない。
「なんで、陸田? なんでお前なんだ」
茫然とする僕は、自分でも何が言いたいのか全然わからなくなっていた。
「大丈夫か!」
複数の足音が近寄ってくる。僕は顔を上げた。数人の大人が路地から飛び出してきた。頭が真っ白になった僕の視界を、まばゆい懐中電灯の明かりが照らす。僕はもう、何も考えられなくなっていた。




