結②
授業が終わり、部活を禁止された生徒が不満げな顔で下校する。放課後、七月の空はまだ明るかった。僕は大須商店街を回って時間を潰した。宝くじを換金した五万円も全部消費する。そうしているうちに日が暮れた。携帯電話を見ると、両親からの着信履歴がストックされ続けていた。
上前津駅から鶴舞線に乗って栄駅へ、そこから名鉄瀬戸線に乗り換える。この時間の乗客は少ない。隣の車両も含めて十人いないくらいか。電車が停まる度に減り、やがて、二人だけになった。僕は目をつむった。
心地よい電車の振動と、目的なく歩き回った疲れで、意識が闇に溶けていきそうだ。かくん、と頭が落ちそうになり、目が覚める。たった数分の浅い眠り。それだけで急に頭が冴えた気がする。電車が減速し、やがて止まった。駅に降りる。けたたましい警笛が鳴り、電車は再び走り出す。ホームに降り立ったのは僕と、もう一人。
「こうなることもわかってたんじゃないのか」
五十嵐の細い目が僕を捉える。まるで首を思い切り締め上げられているような行き苦しい感覚。
「どちらさまですか?」
「悲しいな。俺とお前は同じ人種だと思ってたのに」
五十嵐は口をゆがめて笑った。ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「……ナイフをしまってもらってもいいですか?」
「ああ、すぐにしまうよ」
僕を刺して仕事が終わった後に、と、いうことだろう。
五十嵐が地面を蹴った。飛び跳ねるように急に距離を詰めた。僕は、肩から下げたカバンを下ろして、思い切り横にぶん回した。五十嵐の鼻先を鞄がかすめる。と、鞄が急に軽くなった。ナイフの切っ先に触れたカバンが引き裂かれた。
庄内川の河原で拾い集めてきた丸石が地面に散らばった。僕はポケットから手のひら大の石を取り出して、五十嵐の手元めがけて振り下ろした。けれどかわされた。体勢が崩れる。五十嵐は、俊敏な獣みたいに僕の懐にもぐりこんだ。腕を振り上げたすきにがら空きになった脇腹。そこに、強い衝撃。途端に、鋭い痛みと力が僕の内臓を圧した。
「っあ」
声とも取れない音が喉の奥から漏れた。僕は抱き着くような格好で五十嵐にもたれかかった。ナイフで脇腹をえぐられる感覚。体の内側に潜り込む鈍い痛み。
五十嵐の顔は見えなかった。けれど、脇腹を何度もぐりぐりされる感覚からして、五十嵐は、この奇妙な感覚は何かと不審に思っていただろう。
「刺されそうになったから正当防衛だ」
僕は左手を五十嵐の背後に回した。細い首筋に電極を押し当てる。五十万ボルトのスパークが青い火花を放って、僕の目の前で炸裂した。
五十嵐の絶叫が夜の闇を切り裂いた。逃げようとする五十嵐を押さえつけ電極を押し当て続ける。体のバランスが崩れる。五十嵐と、しがみついたままの僕は、一緒に駅のホームから落下した。空中で体が反転し、僕は地面に背中を思い切り打ち付けた。頭と、肩と、背中に強い衝撃。駄目押しで五十嵐の肘がお腹に思い切り突き刺さる。ごつごつした線路の石と、冷たいレールの上の感触。体が変な風に折れ曲がっているのが自分でもわかる。
手から力が抜けた。青い光がぱっと消えて、周囲は闇に包まれた。遠くから誰か駆けてくる足音が聞こえた。声を出すこともできなくなっていた。眼球から入った夜の闇は僕の頭の中に入り込んで、僕の意識も、ゆっくりと黒く塗りつぶしていった。
*
暗闇の中。あちこちで疼く痛みで自分の体の形がはっきりわかる。目を開けると、眩しい光がわっと流れ込んできて僕の目をくらませた。誰かがカーテンを開けたみたいだ。
「起きた、起きたぞ!」
陸田の声だ。目が少しずつ光に慣れてくる。ぱたぱたと複数の足男がこっちに向かってくる。仕切りのカーテンの向こうから、陸田と鳥羽が顔を出した。喉は空からで、うまく声が出ない感じがする。
「……今は何時?」
「土曜日の十一時だ。大丈夫なのか」
陸田は不安そうな表情をしている。
「体のあちこちがめちゃくちゃ痛くて動きたくない」
けれど致命的な怪我はなさそうに思えた。
「なんであんな場所に」
「帰りの電車で眠ってて、自宅の駅を通り過ぎたんだ」
陸田は、机の上に置かれたスタンガンを手に取った。
「こんなの持ち歩いてたのか、それに」
その隣に畳まれた衣服をみる。変な材質でできな何か。
「防刃チョッキだよ。商店街で買ったんだ」
「こんなのいつのまに」
「たまたま宝くじが当たったんだ。五万円。使い道が思いつかなかったからさ買っちゃった」
「まあ……お前らしいと言えばらしいよ」
陸田は呆れたように呟いた。
「いろいろ検査はしてもらったみたい」
鳥羽がベッドの端に立つ。その声は感情がこもっていないように聞こえた。
「打撲とか骨折はあったけど、脳とか内臓とかは大丈夫そうみたいって、先生が言ってた」
「そっか、じゃあ安心だ。助かった。鳥羽も――」
と、鳥羽の右手が素早く動いた。何が起こったのか理解するより先に、頬に鋭い痛みが走る。パシン、と小気味いい音。鳥羽は身を乗り出さんばかりにして僕に詰め寄ってきた。
「どうして何も言わなかったの?」
鳥羽の声は怒りで震えていた。
「どうして、って
「本当に犯人を一人で捕まえようとしたの? 馬鹿じゃない。危なすぎるよ」
「止めろよ、鳥羽。怪我してるんだぞ」
「だって」
陸田が鳥羽の肩を引く。鳥羽は鎖につながれた獣みたいに息を切らしていた。
「落ち着け、何言ってるんだ。電車で寝過ごして、反対の電車に降りようとして駅に降りたところで犯人にはちあわせたんだって、そういう話だっただろ」
「鳥羽に頼んでたら、僕が刺される前に警察を呼べたかもな。考えなかったよ」
陸田は首を傾げた。
「お前ら、二人そろってCTスキャンにかけてもらったほうがいいんじゃないか。何が起こるかなんて、そう簡単にわかるもんじゃない。人生は芝居とは違うんだぞ」
陸田の主張はもっともだった。僕と鳥羽は目を合わせた。僕らは何も言わなかった。鳥羽の目にはいっぱいの涙がたまっていて、きっとそれは僕のせいだろうということはすぐにわかった。
「安心した。無事でよかった。私は二人に助けてもらったから」
陸田はますます訳が分からないといった表情をする。つじつまがあい、誰もが理解できる簡潔明瞭なストーリーをこの場で語ることは難しそうだった。僕は入院患者の特権を行使して、その場で目をつぶってしまおうと決めた。
二人の足音が遠ざかる。僕は怪我が治るまでの間、思う存分、長い休みに身を預けることにした。




