一七〇一年三月十四日十三時 赤穂浅野家上屋敷
主君、浅野長矩の殿中刃傷を伝える使者が、江戸鉄砲洲にある浅野家上屋敷に到着した。
「上意」
上座した目付近藤平八郎が申し渡すと、上屋敷に詰めていた赤穂藩士はみな平伏する。
「浅野内匠頭長矩儀、意趣あるを以って殿中にあるを憚らず、吉良上野介に切付けたるは、まことに不届千万。よって浅野内匠頭を田村右京大夫に預けおく。勅使御馳走役は戸田能登守を改めてこれに任ずる」
家臣の間に一瞬の動揺が走る。殿様が吉良殿に切りつけた……突然の出来事に思考がついていかない。そうと察する近藤は敢えて一拍おいてから、次の句を続ける。
「また、鉄砲洲上屋敷ならびに赤坂下屋敷は、即刻これを引き払うべし。なお、家中隅々まで騒動致さず、重ねて火の元には念を入れるべく、きっと申し渡す」
殿様は田村殿にお預けの上、上下屋敷の即刻引き払い。何が起こっているのか一同には未だ理解ができないが、上意と言われれば平伏するしかない。
「ははぁ」
役目を終えた近藤が座から立上りかけたところ、主君長矩とは同齢で長矩の寵臣と呼ばれた片岡源五右衛門が声をかけた。
「恐れ入りますが近藤様。少しお伺いしてもよろしいでしょうか」
この日片岡は、長矩の登城に同道し門外で供待ちをしていた。やがて城内の異変が漏れ伝わってくると、他家の供待ちも含め、みなそれぞれ自分の主君の安否を確かめるべく大騒ぎになった。そこへ目付の多門伝八郎が高札を立ててことの次第を知らせ、供待ち間の騒動を静めた。片岡はその高札を見た上で上屋敷に戻ってきていたため、他の家臣よりは多少状況把握に余裕があったのであろう。目付の上意下達を解した上で、思考を更に一歩進めることができた。
「まずは殿様……内匠頭には、いかようなお仕置きに相なりましょうか」
陪臣の、それも身分のさほど高くない片岡が幕府目付に直接問いを発するなど、本来は無礼な行為ではあるかもしれないが、しかし、近藤はその非礼を許し上座に座り直した。
「分からぬ。いや、仮に知っていたとしても、それを告げるは我が役目ではない」
「それでは赤穂は、浅野家はいかがなりましょうか」
「それも分からぬ」
問いを許したとは言え、全てを答えられるわけでもない。いや、上下屋敷引き払いを命じられている時点で、お家お取り潰し、城地召し上げの仕置きが待っていることは、この場の全ての者が理解している。しかし、それでも、殿様に受けた数々の寵愛を思えば、問わずにいられない片岡でもある。
「吉良様は……吉良様のお具合はいかように。畏れながら上意とは申せ、吉良様のご容態も分からぬ内に屋敷を引き渡すなど、某には……」
片岡にはこれが最も尋ねたいことであった。恐らく、殿様は死罪を免れ得まい。赤穂浅野家もお取り潰しであろう。そうであれば、せめて吉良上野介を道連れになさることは叶うであろうか。
「片岡、その方いい加減にせい……近藤様、数々の非礼の段、平にご容赦仕りたく」
片岡の無礼に堪りかねた江戸家老安井彦右衛門が叱責する。しかし、近藤は意に介した様子でもなく黙考している。 自分はその問いに答える権限を有しているのか、そして、その真実を伝えることは、却って家臣達を落胆させるのではないか。そう逡巡する近藤であったが、最後は片岡の真っ直ぐこちらを見据える視線に応えてやることを選んだ。片岡の目を見返して、ことさらゆっくりと言の葉を紡ぐ。まるで片岡に仇討ちを勧めるように。
「浅野殿が吉良殿に切付けた傷はいずれも浅く、吉良殿はご無事。しばらく養生すればじきに回復するであろう、というのが医師の見立てじゃ」
「左様で……殿……さぞやご無念でありましょう」
目付近藤平八郎が赤穂藩上屋敷を辞して間もなく、長矩の従兄弟にあたる戸田釆女正と叔父にあたる浅野美濃守が、長矩の実弟である大学長広を連れて上屋敷を訪れた。居並ぶ家臣達を前に、戸田釆女正が厳しい口調で告げる。
「そちらも既に状況は察しておろう。さきほど儂もご老中土屋相模守様に呼ばれ、長矩殿の此度の刃傷ならびに田村殿お預けについて知らされ申した」
この時既に戸田は、即日採決により長矩が切腹仰せつかったこと、そして赤穂藩は城地召し上げに決定したこと、など土屋から告げられている。しかし、赤穂藩家臣達の動揺を押さえるためには今はその事実を伏せるのが得策と考え、敢えて仕置きについては触れなかった。無論、この場の誰しもが、いずれ長矩が死罪仰せつかることは理解している。だが、それにしても目付の詮議充分の上、喧嘩両成敗の法により吉良にも何らかの仕置きが下るのが通例であろう。少なくともみなそう理解している。ところが此度の仕置き、一方は切腹の上お家お取り潰しの憂き目に会うに対し、もう片方は何のお咎めもなく、手出ししなかった殊勝さを却って顕彰されさえしている。今そのような事実を知らば、赤穂藩家臣達の暴発は免れ得まい。
「更には……」
事実を隠す後ろめたさも手伝って、殊更口調を厳しくした戸田が続ける。
「鉄砲洲上屋敷ならびに赤坂下屋敷はここ数日のうちに引き払うように、と命じられた」
「ははぁ」
既に目付近藤からそのように上意を伝えられている家臣達は、平伏してそう答える。
「特に、赤穂藩家中はもとより領内一般にも騒動を起こすべからず、これは浅野家親類縁者一党の責において守るべし、との命である」
家臣一同はここにきて、戸田釆女正らがお屋敷を訪れた理由を理解した。すなわち幕府は、赤穂藩家臣の暴発を懸念しており、それを防ぐ役目を、長矩の従兄弟と叔父に与えたのであろう。ここで、長矩の実弟、大学長広を口を開く。
「よいか、みなのもの。これは兄上、長矩公に替わって儂から申し渡す。決して騒動など起こすべからず。みなが騒動致さば、きっと浅野家親類縁者に迷惑がかかるものと承知すべし。さらば、早々に屋敷を引き払うべし」
殿様のご舎弟が殿様に代わっての命である。否やもあるまい。みな平伏して従う。
そうして屋敷引き払いの作業が始まった。ともかくも、殿様と奥方様のお道具をまとめ、これは長矩の叔父浅野美濃守の好意もあって一時美濃守の藩邸に預けおくこととし、その他屋敷内の整理清掃を行い、その日のうちに屋敷の引き渡しが済んだ。後の赤穂城引渡しの際と同様、塵ひとつなく完璧に礼に則りかつ整然とした引渡しの態度に、後に世間は赤穂藩士の忠義の高さを見、これを賞賛した。
またこの時、片岡源五右衛門の発案で、ともかくも急使を国許に遣わすこととした。第一の急使として馬廻早水藤左衛門と中小姓萱野三平の二人が選ばれ、早打駕籠で江戸藩邸を出立したのが三月十四日の十七時頃である。江戸から赤穂は百五十五里、常であれば十五日程かかる行程であるが、早水と萱野の両名は白木綿の鉢巻を締め、宿駅毎に駕籠を乗り継ぎ、休む間もない強行軍。疲労困憊の体で十九日の午前六時、およそ四昼夜半で赤穂へ帰り着くことになる。