一七〇一年三月十四日十一時 江戸城老中御用部屋
「土屋様、それでは浅野殿は即日切腹仰せつかると」
多門伝八郎には俄かに信じ難かった。確かに、浅野長矩は死罪を免れ得ぬであろう。また、切腹と相なったことで、せめてもの大名への礼も払われる。しかし、よりによって即日とは。上様は何をお考えなのであろうか。
「土屋様、重ねて申し上げます。赤穂五万石の大名の処罰を決するに即日採決即日切腹とは、あまりにお仕置きが軽すぎるのではありますまいか」
「多門よ、そなたの申すこと分からぬでもないが、これは既に上様がお決めになられたこと。我らに諮るとは申しても、柳沢殿がご諮問に預かり上様がお決めになられたのであらば、よもや覆りはすまいよ」
「そこを曲げて土屋様にお願い申し上げます。喧嘩両成敗の慣わしもございますれば、一方は死罪にて他方は無罪とならば、畏れながら上様のお仕置きに疑念を持つ輩も現れましょう。此度の件、吉良殿は応戦せずとは申せ、そもそも吉良殿にも何らかの落ち度があればこそ、浅野殿も刃傷に及んだのでございましょう。我ら目付として、その辺りの事情を浅野殿から聞き出しまして、改めて上様に言上申し上げたければ、せめて、吉良殿にも謹慎申し付け遊ばされた上で、今しばらくご猶予を頂きたく」
目付としての正義感溢れる熱意、それも至極真っ当な内容の申し出ではあった。何よりそれは、老中首座土屋相模守政直の意とするところでもある。しかし役目柄、土屋にはその言を退ける以外の選択肢があり得なかった。
「多門殿の申すことはまことに尤も至極ではあるが、既に田村右京殿には浅野殿の身柄を引き受けるよう指示もされておる。今更申しても詮無きこと」
「されど、それは柳沢様が上様に取り入って……柳沢様こそ、吉良殿に取り込まれたのではありますまいか。どうぞご老中様方より改めて上様にご翻意遊ばされるようご上申頂けませぬものか」
一般に、幕閣連中の間で柳沢出羽守の評判はすこぶる悪い。側用人という低い身分にありながら、老中の評定を無視して上様に上奏するなど僭越極まりない。ましてや、上様の威を借りて政道を欲しいままにするなど言語道断。幕府には幕府の伝統と格式があり、側用人の出る幕など、本来ありはしない。しかしながら側用人の制度ができてよりこのかた、上様の判断が冴えているのも一方の事実ではある。柳沢は切れ者であり、その判断は敏にして正ならばこそ上様もこれを重用しているのである。土屋もそこはよく承知しているのだが、その才に陰りが見えた時、あるいは多門の申すように賄賂をもて取り込まれた場合、側用人制度はどのようになるのであろう。凡庸ではあっても伝統と格式に則り集団で評定する、衆智による統治の方が長期的に見れば安定的なのではなかろうか。譜代の家柄として父に続き老中の地位を占める土屋にはそのように思われる。だが、その思いを老中評定の場で表立って言葉にすることはできまい。印象的にも感情的にも多門の言に同情する土屋ではあるが、立場は時に人をして思わざることを言わせしめる。
「多門殿、あまり証も無いまま憶測だけで他者を誹謗するのは、多門殿らしくない申しよう。慎むがよい」
「はっ」
多門の忠義を労う口調で土屋は諭す。
「そなたの申すこと分からぬでもないが、いずれにせよ、既に上様がお決めになられたこと。そなたは目付として、浅野殿の切腹に立会うがよい。さらば、もう下がってよいぞ」
「はっ。失礼仕ります」
多門の退出を見届けた後、土屋は室内にいる他の四人の老中に向き直って問うた。
「さて各々方。此度の仕置きにつき、いかが仕ろうか。誰か、存念のある者はおるかな」
「これは土屋殿には異なことを申される……さきほどは土屋殿ご自信が多門殿に対し、上様のお決めになったことゆえこれ以上の詮議は無用と仰せではなかったか」
五人の老中のうち、最も年長の稲葉丹後守正往が口を開いた。
稲葉丹後守、この年六十二歳。十七年前の大老堀田正俊暗殺事件の折、親戚の稲葉正休がその主犯であったことに連座して京都所司代の職を遠慮処分となったが後幕政に復帰、この年老中に就任した。高齢ではあるが実務能力に長けており、また、不遇の時代を知るがゆえの粘り強さと肚の座りを持ち合わせている。
「土屋殿には、何かお考えでもござろうか?」
土屋の言に異を感じたのは無論、稲葉だけではない。忍藩十万石の藩主、阿部豊後守正武も、土屋の言の裏に何か考えがあることを見抜き、稲葉の言に続ける。
「確か、浅野殿にはご舎弟がおったように……」
かつてであれば多くの大名が改易、お取り潰しとなり、徳川家の力を相対的に強めることに寄与してきたが、徳川の世が開いて早百年。大名の改易は多くの浪人を産み、結果として天草島原や由比正雪の乱の遠因となった。これらの事態を憂慮した幕府は、十八年前に武家諸法度の改定に取り組み、末期養子の緩和、すなわち大名の死後であっても後継者を養子縁組し、これに家督を継がせることが可能になる制度を確立した。この制度により多くの大名家が断絶を免れ得たが、この制度改革時に法制面にあって中心的な役割を演じたのが阿部豊後守であった。いわば阿部は法家の正統派といえる。
「浅野殿ご舎弟を末期養子として認めれば、赤穂浅野家もまずは安泰となろう」
阿部としては当然の言であり、他の老中達も一様に頷く中、阿部と同齢でこの年五十三歳になる秋元但馬守だけは別のことを呟く。
「神君の遺言……」
秋元は経済面において優れた才を有しており、その領地経営においては用水開拓や殖産興業の面で非凡な手腕を見せている。先に長矩に勅使御馳走役を伝達した際には、将軍綱吉自らの意で浅野に決定したことを告げることで、いわば長矩の眼前に人参をぶら下げてみせた。法家の阿部が伝統の積み上げの上に物事を発想する常識人であるとすれば、秋元はいわば、発想の転換により柔軟な思考を得意とする自由人であろう。
「福島、加藤……それに、吉良……」
最若年の、とはいっても阿部や秋元とは一歳違うだけではあるが、小笠原佐渡守長重は記憶をひとつひとつ憶い出すようにして名を挙げる。
「よもや、土屋殿はこの機に吉良を……」
「うむ……福島、加藤……各々方もよくご承知の通り、我ら公儀は事に寄せ神君の遺言を果たしてきた。されど近頃は……」
武家諸法度の緩和により大名家の改易をしづらくなった、とは阿部の立場を慮って口には出さないが、阿部はそれを敏感に感じ取ってそっと目を伏せる。無論、この評定の場にいるものはみな、十八年前の改定が幕政の安定に大きく寄与していることを理解している。
「神君の遺言と治世の安定が両立し難いのは、何も阿部殿のせいではありますまい。そうお気になされるな」
口に出してそう言ったのは、最年少の小笠原である。小笠原は新陰流の免許皆伝を受けるほどの武芸の達人であるが、同時に、茶道の巨匠にして宗偏流の祖山田宗偏を祖父の代から召抱える、いわば文武両道の達人である。剛と静を内面に合わせ持つ小笠原であればこそ、武断と文治の両立を図ることの困難を指摘できよう。
「さらば土屋殿の申される通り、この状況を如何に利用できるか、しばし思案してみるとしよう」
最年長の稲葉がそう言えば、他の面々に最早異はない。あとはどのように利用するか。
「左様まずは多門の申すよう吉良の非を質し、我ら老中連名にて上奏文を奉ろうか。浅野殿が切り付けたには、何か理由があろう。その理由さえ分かれば、喧嘩両成敗の法を適用することも適うのではあるまいか」
法家らしい阿部の言であり、またまずは法をもって裁くのが法治国家というものである。
「阿部殿の言は尤もなれど、問題が二つあろう」
阿部の原則論に、最年長の稲葉が応える。
「ひとつには、既に上様におかれては吉良殿の無罪を宣言しておられること。仮に吉良殿に非があったとして、その非を正さずに吉良殿の無罪を決したとならば、上様のご採決に疑義が生じる元となろう」
「うむ……」
「また今ひとつは、仮に吉良殿を罰することができたとしても、お家は嫡男義周殿が継ぐことになろう。さらば神君の遺言を果たすこと叶わず」
かつて米沢藩上杉家に世継ぎ無くお家断絶の危機にあった際、吉良義央がその長男を養子に差し出すことによって上杉家存続を図った。その当主の名を上杉綱憲という。その綱憲の次男が改めて吉良義央の養子に入り、ただいまは吉良家の世子となっている。仮に義央を成敗したところで、嫡男義周が吉良家を継いでしまっては元も子もない。無論、阿部自身にもその程度のことは分かりすぎるほど分かっているが、議論の下準備としてまずは正論の検証を試みるため俎上に挙げた。みなそれを承知しているからこそ、最年長の稲葉が敢えて正論を以って正論を封じ、議論を先に進める。
「さらば、いっそ赤穂の家臣どもに吉良を討たせるというのは……見事吉良殿を討ち果たさば、その時は義央殿をお守りできなかった事実を以って武士の風上におけぬ、と吉良家を断罪するのはいかがであろうか」
奇才秋元の本領発揮と言える様な詐術的な策である。しかし……
「それは江戸で、であろうか。それとも国許で……いずれにせよ、吉良家も相当必死で守りを固めよう。もし赤穂の家臣どもが江戸の吉良邸に討ち入るとならば、江戸中に混乱が拡大し、まして大火の因などにならぬようにせねばならぬであろう。あるいは国許ということであらば何より大兵を必要としようが、これを機に乱や戦に拡大するは防がねばなりますまい」
新陰流免許皆伝の使い手であり、剣術から政戦両略に至る兵法に通じる小笠原の指摘は、他の老中に「吉良とその家臣を討つ」という計画の血生臭さを具体論として想起させる。下手な策のせいで天下泰平をゆるがしてしまうような真似はできまい。さらには……
「なるほど、確かに浅野殿のみ切腹仰せつかり吉良殿にはお咎めなしとならば、赤穂の家臣どもも黙ってはいまいが、無論そのことは吉良の家臣どもも承知。ならば、いざ赤穂の家臣が主君の仇討ちを果たすと勇んでも、却って返り討ちに合うやもしれぬな」
阿部の冷静客観的な分析は、みなの同じくするところである。
「ふむ……さらば、少し時を置くというのはどうであろうか。吉良家中が忘れた頃に不意打ちにするというのは。さらばいっそ、まずは吉良家中には赤穂家臣どもの仇討ちに備えさせ、その仇討ちの無いことに疲れ果てた頃を見計らって討ち入らば……」
秋元は他者の否定的意見を自己の問題解決の糸口として発想転換できる柔軟な思考の持ち主であった。柔軟な思考と堅実な思考の融合こそが、百年来の遺言実践に彼らを導くであろう。しかし、まだ問題は残っている。法家の阿部が続けて問う。
「時を置くのは良いとして、いかにして赤穂の家臣どもの熱を冷ますか。そしてより難しい問題は……」
「左様。いかにして、ひとたび冷めた者どもに、再び熱を加えるのか。戦には機があり、機を逃せば勝てる戦も勝てぬは道理」
兵法家らしい小笠原の表現を年長の稲葉が補足する。
「時を待てばいずれ浅野の家臣どもも他国に仕官などもしておろう。さらば、最早旧家の仇討ちなど画に描いた餅……」
これまで自身は敢えて発言せず他の老中達の意見の聞き役に回っていた老中首座の土屋であるが、ここで口を差し挟んだ。
「各々方のご意見、いずれも至極尤もにて某も感服仕った。されば、各論は追々図ることとして、本日はまず、次の三件について各々方と意を共にしたい」
これは老中首座の結論であろう。そうであれば、まずは拝聴しその方針に従わねばなるまい。無論、異を唱えることも可能ではあろうが、そのことで老中間の不和を生じさせるのも好ましくない。さて、土屋はどのような結論を出すというのか。四人の目線が自然と土屋の口元に集まる。
「まずは、此度の事件を契機として、神君の遺言を我らの手で成就すべし」
これに異論のある者はいない。みな一様に等しく頷く。土屋は、みなの同意に軽い会釈で謝意を表してから言葉をつなげる。
「次に、赤穂の家臣どもを以って吉良義央を討たせ、当主を討たれた不明を以って吉良家を取り潰すべし。尚、方法論についてはこれから改めて各々方と図っていくが、いずれにせよ赤穂と吉良の家臣どもを上手く操縦すべし」
世上、大方針で合致しても方法論で分裂することがよくある。いわゆる総論賛成各論反対では、何も決まらず何もできない状況に陥るばかりであろう。船頭多くして船丘に登るの例えもある。方法論がある程度定まらなければ、今後の混乱は必定。一体、土屋殿はその辺りをどのように考えているのであろうか。
若い老中達が困惑している様子を尻目に、稲葉が多少の茶目っ気を言の端に載せて口を差し挟む。
「さよう、秋元殿の柔軟さと阿部殿の堅実さ、それに小笠原殿の文武の智が加われば、必ずよい思案が浮かぼうというものよ。そうであろう、土屋殿」
こういう時、年長者の、そして何より苦労人の一言は、一同の不安を和らげるには充分過ぎる効果があった。それが分かる土屋は稲葉に軽く目配せをしてみせ、それに稲葉も多少の照れ笑いを以って応える。
「最後に、これは最も重要なことであり、今更申すまでもないことではあるが……」
一瞬の間を置くことで一同の緊張感を再び取り戻した土屋は、ゆっくりとした口調で続けた。
「この策謀は、ここだけの話に限るべし。ゆめ、他の者に知られてはならぬ。特に、赤穂の、そして吉良の家中には……」
「承知っ!」
一同が和して評定は終了した。赤穂の旧臣に吉良上野介を討たせ、以って吉良家を取り潰して神君の遺言を果たす。老中にのみ伝わる秘伝の遺言を……