一七〇三年二月朔日十五時 江戸城老中御用部屋
「なるほど、上様におかれてはそのような」
土屋の報告に年長の稲葉が相槌を打つ。
「上様は江戸市中の噂に惑わされず、赤穂旧士どもに切腹を仰せ付けられる。それも、旧士どもの行く末を慮った上でのご厚情から、と」
将軍綱吉の赤穂旧士への処罰には、将軍なりの情が含まれている。この場にいる誰もがそれを悟ると同時に、ひとつの疑問が共有された。法家の阿部がそれを口にする。
「果たして、畏れながら上様御自らそのようなお考えに至られたものであるか……同じ法家の係累にあるものとして、柳沢殿の口からそのようなお考えが示されるようには、某には思えぬが」
文武の両道を識る小笠原が継ぐ。
「あるいは、公弁法親王様のお知恵入れか」
公弁法親王、すなわち御西天皇第六皇子にして日光輪王寺並びに上野寛永寺の門跡が先日登城され、上様ご対面の上四方山話などされたと伝わる。時として異質なもの同士の組み合わせから新しい価値観を見出すことがあることを肌身に感じている小笠原だけに、自らの意には確信に近いものを感じている。確かに幕臣の間では忠孝と法のどちらを採るか、という二者択一論しか聞こえなかったが、あるいは法親王であればまた異なる見地から、異なる知見を示唆されたやもしれぬ。
「さだめしそのようなところであろうが、今はそれを論っても詮無きこと。それより大石のことであるが……」
此度の謀を献策した秋元が口を挟む。
「どうやら我らは、大石を動かしたつもりでその実、大石に動かされておったとは軽殿の見立て……」
軽の報告によれば、大石はことのはじめから仇討ちしか考えていなかった。大石は吉良家や公儀の目を欺き、同時に真の同士のみを選抜して企てを遂行せんと計っていた、と。一方の幕閣側では、大石の真意を最後まで計り知ることが適わなかった。大石や赤穂旧士どもの動きに振り回される格好となることも一度ならず、全てを解した今となっては多少の苦々しさを感じぬでもない。発案者の秋元には特にその想いが強かろう。
「秋元殿のお気持ちは分からぬでもないが、それこそ今更申しても詮無きこと。結果は全て思惑通り、我らは見事神君の遺言を果たした。それで良いではないか」
年長者らしい稲葉の気遣いである。秋元はそれに礼を以って答えながら、尚、最後の策を提案する。
「まこと稲葉殿の申される通り、某も過ぎたことを申すつもりにはあらず。されど今一つ遺された、我らの為すべきを為さんか、と」
「ほう、我らの為すべきこと。秋元殿はどのようにお考えであろうか」
土屋が秋元に献策を許す。
「しからばすなわち、大石の最期の望みを我らが手にて叶えんと」
大石の最期の望み。それは、此度の挙が後世に義挙として伝わること。赤穂旧士は義士として伝えられ、そのような義士を養い育てた赤穂浅野家はその令名を末永く称えられること。
「大石様の……」
珍しく、問われもせぬ前に、軽が自ら口を開く。その幾分かの寂しさを漂わせた艶っぽい声に、老中一同、伊賀者の分限を越えた軽の言を黙認する。
「大石様は、申されました。江戸市中に噂を流してもらいたい、公儀の記録ではなく市井の記憶として、此度の義挙を留めてほしい、と」
軽は、可留と大石の間に交わされた情誼のような何か暖かいものには触れなかった。ただ大石の言のみを報告せんとする軽の表情と声音は、自ずと一瞬曝け出した無防備さを仕舞い込み、再び伊賀者本来の無機質さを取り戻させることに何とか成功したようであった。そんな軽の微妙な変化を知ってか知らずか、秋元が続ける。
「左様、そこで各々方に献策申し上げるが、軽殿の力を借りて此度の事案を浄瑠璃話として遺させるのはいかがであろうか?」
浄瑠璃とはまた妙なことを、秋元の真意を図りかねた阿部が問う。
「噂ではなく、浄瑠璃とは……秋元殿には何やら特段のお考えがおありのご様子。詳しく聞かせて頂こう」
秋元の策はこうである。すなわち、人の噂も七十五日。ただいまのところは赤穂義士などと持ち上げて、派手な事件を過大に持て囃してもいるが、いずれ市民も噂に厭きよう。現世の噂話など、所詮消費され尽くした挙句に厭きれば捨てられるのが落ち。市民の口端に登らなくなる前に来春の松飾を立てることなどよもやあるまい。それならば、此度の挙を浄瑠璃にして演じればどうか。噂という形無きものではなく、浄瑠璃という本と芝居が遺る形であれば、後世まで語り継がれんという大石の望みも、あるいは叶うやもしれぬ。
「さてここからであるが、一度はこの浄瑠璃に公儀から禁を出すのがこの策の肝」
秋元の策には続きがある。一旦浄瑠璃として伊賀者に上演させておきながら、これに禁令を出して取り締まるという。
「市民というのはお上の禁を破るものと相場が決まっておる。されば一度禁を出し、後にこれを改作の上で再び興行せば、市民どもは狂喜乱舞しようというものであろう」
領地経営においては後に川越を小江戸と呼ばせるほどの手腕を発揮した秋元である。能く市民感情を解するが故の辣腕であり発案であろう。
「その題を名づけて曰く、忠臣蔵。各々方にご異存はあるまいか」
老中首座土屋の言を以って、老中評定の決議とした。忠臣蔵、すなわち忠臣大石内蔵助の名は後世に語り継がれることであろう。軽は心の内で大石にそう報告した。




