一七〇三年二月朔日十三時 江戸城将軍謁見の間
老中首座土屋相模守政直は、老中評定の結論を上奏すべく謁見の間に参上した。評定の場では赤穂旧士達に同情的な意見が多数であり、助命とこれに結論を出していた。
「面を上げよ」
やがて上座に着座した将軍綱吉が告げ、土屋はゆっくりと上体を起こす。土屋が拝謁と上奏の礼を述べない前に、綱吉が先に口を開く。
「神君の遺言、まことよくこれを果たしてくれた。礼を申す」
「畏れ入り奉ります」
土屋は綱吉から突然告げられた言葉に唖然とし、生返事を返すのが精一杯である。神君の遺言は老中にのみ伝えられた秘のはず。何ゆえ上様がその秘をご存じなのか。戸惑う様子を見せる土屋を揶うような口調で綱吉が続ける。
「分からぬか、政直。そう言えば余はそちを謹厳実直な性質かと思うておったがその実、くノ一にまで戯れを申すとか何とか……軽よ、そこにおるのであろう」
ふいに背後に人の気配が察せられるや、若い女性の声が返ってくる。
「御前に」
ようやく事態が飲み込めた土屋が赤面低頭する。とどのつまり、土屋が大石に送り込んだ軽という名の伊賀者は、そもそもは上様から土屋の元に送り込まれていたものらしい。そうであれば、神君の遺言を上様がご存じであるのも納得がいく。
畏れ入る土屋を一通り楽しそうに見やった後、急に口調を改めて語りかける。
「さて、此度の浅野の旧臣どもへの沙汰であるが……」
「はっ」
機先を制された土屋がただ平伏する間に、綱吉が続ける。
「そち達にも申すべき理があろうが、結論から申さば、余は既に此度の仕置きを決した。さらば、赤穂四十六士はこれに切腹を仰せ付ける」
綱吉の強い意向を胸元に突きつけられ、土屋は慌てて面を上げて抗弁する。
「御意ではございますが畏れながら上様、どうかご寛恕を頂きまして赤穂四十六士のご赦免につきご再考賜りたく」
これほどまでに強行に綱吉が自らの決断を押し付けてくるとは流石に土屋も考えていなかった。例え既に決していたとしてもまずは老中の意を聞き、その上で御意を陳べられるであろう、と想像していたのだ。目論みが外れた土屋は額に冷や汗を浮かべながら、それでも必死に将軍に訴えようとする。
「いやしくも我ら老中寄り集まりまして評定致しますれば、せめてその上奏をお許し賜りたく」
将軍が幕閣の意を用いず側用人との合議だけでことを決すれば、いずれは徳川体制に変調を来たそう。そうならない前に、土屋は綱吉に累代の老中の重要性を改めて認識して欲しかった。しかし、その様子を見て取った綱吉は、あえて声に柔和な成分を含ませて土屋に語りかける。
「政直、そちには余が側用人を用いるのを喜ばぬ様子」
「……」
「いや、答えずともよい。 されど、いずれ世の風潮を改めるには、一代限りの能人を用いることもあろう。伝統と格式を世襲によって守り伝える家柄と、新興ながら能あるを以って仕える者との按配こそが我が治世の要。そこはそちも理解しておろう」
「上様の申される通り、出羽守殿ご上申により上様の鋭敏がいや増しておられることはまことに慶賀の至り」
「されどそちはこうも考えているのであろう。すなわち、側用人がいずれ君側の奸になるのではあるまいか、と」
柳沢は有能な側用人である。その上申は概ね正しい。であればこそ綱吉も、その身分の低さにも関わらず重用している。しかし柳沢が変節した場合にはどうか。将軍綱吉への情報が柳沢経由のものしかなければ、やがて綱吉は柳沢の体の良い操り人形に成り下がってしまうであろう。少なくとも側用人制度には常にそのような危険性が内包されており、だからこそこの国は、衆議という仕組みを古来より取り入れているのである。無論土屋は、臣下の身にあって将軍に面と向かってそのような直言を言うわけにはいかず、ただ平伏するより外に法がない。
「明敏なる上様にあってはそのようなことは……」
「追従はよい。そちがそのように考えるのは当然。むしろ、そのようにすら考えられぬ者に老中の要職は任せられぬ」
「畏れ多きお言葉」
一通りの社交辞令、とは言っても本音の成分がその大部分を占めている礼の応酬の後、綱吉が核心を突く。
「さらば余は余で、柳沢とは別の情報源を持つことにしておる。老中にも側用人にも、それぞれの立場に基づくものの見方があろう。好むと好まざるとに関わらず立場は偏見を生む。さらば余は利害の埒外にある者を通してこれを等しく見んとす。其がための伊賀者、すなわちただいまは軽がそれよ。偏見を外した公平公正な視座で世を正しく見通し、これを裁くことこそ余が使命。仮に柳沢に非あらば、余はきっとそれを見抜こうぞ」
綱吉は土屋の指摘する危険性を解した上で、柳沢を重用するに当たっては柳沢を別に評価する手法を用意していた。この論は当然次に、伊賀者の偏見を排除する方法について問うべきであろうが、その問いには際限の無いことも綱吉も土屋も理解している。そもそも情報とは、必ずその発信者や中継者の偏見が含まれるもの。これを外すためにはふたつのことを行うしかないのである。すなわち、偏見の存在を予見し、予め立場の異なる複数の情報源を用意することである。真実は恐らくその重心付近にあろう。少なくとも綱吉は、このふたつのことを行っている。
「さて赤穂の者どものことであるが」
綱吉が本題に立ち返る。
「そち達はいずれ赤穂旧士は義士であるゆえ助命すべし、と申すのであろう」
綱吉は正しく老中評定の意を解していることを土屋は再確認する。
「亡主の志を継ぎ、一命を捨て上野介宅へ押し込み討ち取り候段、真実の忠義にて御座あるべく候。御条目に文武忠孝を励み礼儀を正すべしの趣に的中仕るべきに御座候」
とは老中評定の出した助命の理であった。すなわち、赤穂旧士の行動は武家諸法度に定めた文武忠孝に励むべしという条項に即しているのであり、彼らは忠義の士である、と。
「その理は余もよう分かっておる。されど一方で、上野介は旧士どもの仇では無いとの理も、そちであらば無論分かっておろう」
荻生徂徠ら儒臣が柳沢を通して綱吉に訴える赤穂旧士厳罰論にもまた一方の理がある、と綱吉は問う。
「赤穂候、義央を殺さんと欲するによって国滅ぶ。義央赤穂を滅ぼせしにあらざるなり。君の仇と謂ふべけんや」
曰く、長矩は上野介を殺そうとして国を滅ぼしたのであり、上野介が赤穂を滅ぼそうとしたのではない。よってこれを君の仇とは呼べない、と荻生は言う。無論土屋とて、その理をよく心得てはいる。
「畏れながら、御意の通りにございます」
助命と厳罰、結局どちらの理も正しく、単に按配の問題なのである。忠孝に多少の重きを与えれば赤穂旧士を義士と認めて助命を訴え、法に重きを与えればこれに死を命ずる、ただそれだけのことである。一方で土屋は、土屋を始めとする幕閣が忠孝に重きを与える理由の一部に、法を盾に正論を唱える柳沢に対する反発が無いとは言えないことも自覚しており、それゆえに自身の結論に多分の自信を有しているわけでもなかった。いずれの理に、より重きが置かれるべきか、そんな自問を繰り返す土屋を余所に、綱吉はここで意外なことを言った。
「されど、余があれらの者に死を与えるのは、別の理よ……政直、此度上野介宅へ押し込んだ赤穂旧士のほとんどが、微禄の者どもであることを、そちは知っておろう」
確か、軽の報告ではそのようなことを申していた。筆頭家老の大石某は討ち入りに参加したとは言え、江戸家老や城代家老、あるいはこれに準ずる高禄の士は、此度の徒党には加わっていない、ということを。高禄の士であれば新しい仕官先などを見つけるにも易く、今頃は既に他家に養われてもいることであろう。いわば、此度の義挙に加わった者どもは、敢えて厳しい言い方をすれば他に食い扶持の無い者どもであり、他に失うものが無いからこそ一命を賭けることができた、とも言えよう。
「仮にあれらの者に一時の生を与えて、後に何とならん。いずれは喰うに困り罪を犯す輩も出るやもしれぬ。さらば、一時の名声を捨て晩節を汚す結果にもなろう」
綱吉の言う通りである。大石のような高禄の者は蓄えもあろうし、また、此度の義挙を公儀が許せば、すなわち他家から仕官の誘いも数多来よう。しかし、四十六士の中には蓄えもなく、再仕官の口も見つからない者も猶多くあろう。これらの者のうちから、将来の犯罪者が出ないとも限らない。折角ただいま義士としての名声を得たとしても、これからの長い人生において晩節を汚すことあらば、いずれ打ち首という不名誉な罰を与えられるやもしれぬ。
「人間いづれ死を免れる能わざれば、すなわち……」
一拍の呼吸を措いて綱吉が続ける。
「不名誉の中に屍を晒すより、名誉のうちに腹を切るが、武人としての誉であろうと余は考える。政直、これが情よ。義によって立った士を法によって裁き、情を以って庇う。これがまことの政道であると、政直は思わぬか」
「上様のご賢察ご厚情、畏れ入り奉ります。我が不明を恥じ、御意に従わんことを」
土屋は将軍綱吉の真意をはじめて知り、改めて平身低頭する。上様はまこと鋭敏にあられる。決して、側用人柳沢などに好きなように扱われる存在ではない。あらゆる情報の中からそれらに含まれる偏見を捨て、義と情と法に適った最善の結論に至っておられる。これぞ正しく徳政であろう。
「徳川はその始まりを武によって国を治めた」
ふいの話題の転換に、綱吉の意図が判らぬ土屋はただ平伏する。
「神君が天下泰平をなさってから百年。今や武によって治めるの時にあらず。そうは思わぬか、政直」
老中首座として、天下に乱の起こらぬよう万全を期しているつもりの土屋である。
「御意」
誠心誠意のこもった即答に満足して、綱吉が話を進める。
「武士が国を治めるの理は、その始まりにあっては武がこれを担保した。しかし天下泰平の世にあって武無き今、徳川が国を治めるの理に、余は文を以ってこれをなさんと欲す。すなわち、孝ある人を以って家を継ぐの理とし、忠ある家に拠って国を支えるの基とせん。さらば武に代わりて忠孝を徳とす。朱子学を徳川の治世の元に据える所以よ」
土屋にも綱吉の意が見えてきた。将軍になってから二十年余、綱吉が学問を奨励し朱子学をその治世の基本に取り入れてきたのは、武断政治から文治政治への転換のためである。その成果は例えば、老中阿部豊後守がその法理論構成に携わった武家諸法度の改定にも現れている。これからは仁義礼智信を元にした徳によって世を治めるのであり、此度の赤穂四十六士への沙汰は、その徳政のひとつの顕れである、と。
「例えば政直、生類憐れみの令であるが、そちはあの令を何と心得る」
今や綱吉の意を明瞭に解する土屋である。
「武より文を尊ぶ気風を作らんがための法、という御意にあるかと」
土屋の回答に満足した綱吉は、話を続ける。
「左様。武士の中には試し切りなどして自分の腕を誇る者の多いと聞く。余はその気風を改めたいと考え法を発した。いたずらに生あるものを弄ぶを余は喜ばず。されど近頃は小役人どもが法を過大に解釈し、人より犬を大切にする風潮にあるという」
無論、その風聞は土屋の耳にも届いている。犬を粗末にした市民が牢に入れられ鞭を打たれる例が後を絶たず、今やお犬様などという不名誉な言葉が市井で用いられている、と。更には、上様の生まれが戌年であるとの言説の流布に伴い、近頃は小役人どもが過剰に御意を忖度した結果である、とも。まこと上様には決してそのような令をお出しにはあらぬが、末端にまで正しく御意が伝わることの何と難しいことよ。
「先の浅野の切腹も左様。大目付の庄田が余の意を忖度し過ぎたがゆえ、浅野には礼を失してしまったと聞く」
長矩を即日切腹させたのは、勅使に対するお侘びの替わりであった。それを綱吉の怒りゆえと解し厳罰こそが御意と解釈した結果、長矩は非礼な法によって無残な最期を遂げることを余儀なくされた。
「よいか政直、余の意を忖度すること甚だしければ、その忖度は後世の歴史家をして余を暗君と呼ばせしめると、左様心得よ」
「はっ」
義と法と情、既に赤穂旧士の裁きを以って将軍綱吉の治世の真髄を垣間見た土屋である。まこと、上様は名君であらせられる。しかし上様の申される通り、上様を名君にするも暗君にするも、家臣の働き次第であろう。綱吉の意を今度こそ明確に理解した土屋は、改めて平伏し誠心誠意言上する。
「上様のご令名を辱めぬよう、我ら幕臣一同御意の全うに勤める所存」
心底平伏している様子の土屋に満足した綱吉が命ずる。
「土屋相模守政直、余はそち達幕臣に期待するところ大である。以ってより一層励むがよい」
「有難きお言葉。我が忠誠の全てを上様に捧げる所存にあらば、どうかこれをお受け取りくださいますよう」
「苦しうない、余は満足である」
そう言って綱吉は座を立った。願わくば後世の歴史家を以って綱吉を暗君と評せしめざるよう、平伏したまま綱吉の退出を見送った土屋は心中で祈った。




