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[完結(全47話)]神君の遺言 ~忠臣蔵異伝:幕閣から見た赤穂事件~  作者: 勅使河原 俊盛
第八章 討ち入り
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一七〇二年十二月十四日二十八時 江戸本所吉良邸

 この日は昼から降り始めた雪が江戸の町を一面銀世界に変貌させていた。深々と降り積もる雪のせいで、まるであたかもこの世から全ての音が消えてしまったかのような、静寂のみが支配する夜半。大高源吾の諜報によりこの日吉良邸にて茶会が催されることを知った赤穂四十七士は、かねて打ち合わせの通り表門隊と裏門隊に分かれて吉良邸を目指す。隠密行動を主眼とするため提灯も松明も掲げず月明かりのみを頼りとした道中であるが、幸いこのような銀花舞う夜更けに外出する者の他にはなく、常であれば江戸の町民どもをたちどころに驚かせ且つ騒がせたであろう武装集団は、人目につくことなく無事目的地に到着する。ついに地の利、人の和に引き続き、天の時もここに極まった。尤もこの日は、老中阿部豊後守の差配により町奉行の手の者の夜廻り順路から本所吉良邸周辺が外されたことが寄与した側面も大きい。

 一方の吉良邸の主は、本年最後の茶会の後には実子上杉綱憲の屋敷に今晩の宿所を取る予定としていた。そのまましばらくは上杉家の屋敷に留まり、来春の参勤交代に伴う綱憲帰国に同道して米沢に赴く心積もりである。その意味では、赤穂旧士達がかねてより心配していたことが、まさに現実のものとなるその限限のところにあったと言える。これを未然に防いだのは、この日の茶会の正客として招かれていた老中小笠原佐渡守である。小笠原は祖父の代より宗偏流茶道の開祖山田宗偏を召抱えていたが、この宗偏は同時に吉良上野介にとって茶の道の兄弟子でもあった。吉良としては兄弟子の主筋でもあり文武両道と名高い老中小笠原を正客に迎えることで、自身が主人として江戸で最後に催す茶会に華を添えるつもりであったろう。しかしまさに今晩赤穂旧士による吉良襲撃のあることを知る小笠原である。吉良庄のこと、米沢のことなど四方山話に花を咲かせ、あるいは吉良殿が江戸を去るなど寂しいなどとの言辞を交えつつ、深更に至るまでその邸を辞去しなかった。結果として吉良は上杉邸に移る機を逸する。背景には吉良家全体の警戒が低くなっていたこともあろうし、この晩の雪のこともあったろう。まさか今宵に限って……

 いずれにせよこのような事情で吉良家の者がみな寝静まった頃合いを見計らい、赤穂四十七士は討ち入りを敢行する。殿様無念から一年と十ヶ月、どれほどこの日を待ちわびたことか。この日は月こそ違えど殿様が命日。殿様もきっと我らが働きを泉下にて見守っておられよう。表門隊大石以下二十三名、裏門隊大石の嫡男主税以下二十四名は、襷鉢巻を締めなおし、吉良邸内に突入する。

 「浅野内匠頭が旧臣、亡君の鬱憤を晴らすべく、仇敵吉良上野介が御首申し受けんと推参仕る。出合え、出合え」

 払暁戦である。夜明け前、敵の寝静まりその隙の最も大なるところを奇襲する。一方の吉良方も、赤穂旧士による襲撃を予期していたとは言え、浅野長矩切腹より経過した二年近くの歳月はその警戒を緩めもしたし、警護に疲れさせてもいた。ましてや本日は老中を正客にお迎えしての茶会を催したばかりの上に、この降雪である。吉良方に油断が生まれていたとしても已む無きところであろう。そこへ突如の大音声。驚き慌てながらも矢刀を持って急ぎ防戦の構えを整えつつ、同時に上杉家へ援軍の依頼まで出したのは、緊急時の初動対応としては立派なことであった。恐らく平時からそれなりの危機管理操典のようなものが整備され、かつ家臣達によく浸透していたのであろう。

 やがて玄関前までの侵入に成功した表門隊は、大石の指示で予め用意した口上書を玄関前に掲げた。


 「去年三月、内匠儀伝奏御馳走の儀につき、吉良上野介殿へ意趣を含み罷りあるところ、殿中に於いて当座遁れ難き儀御座候か、刃傷に及び候。時節場所を弁えず無調法至極の働きに付き、切腹仰せ付けられ、領地赤穂城召し上げられ候儀、家来ども畏れ入り奉り存じ、上使ご下知を請け城地指し上げ家中早速離散仕り候」

 「右喧嘩の節ご同席ご抑留のお方これあり、上野介殿討ち留め申さず、内匠末期残念の心底、家来ども忍び難き仕合に御座候」

 「高家お歴々に対し家来ども鬱憤を挿み候段、憚りに存じ候へども、君父の讐ともに天を戴くべからざるの儀、黙し難く、今日上野介殿お宅へ推参仕り候。偏に亡主の意趣を継ぎ候志までに御座候。私ども死後もしご見分のお方御座候はば、ご披見願い奉り、斯くの如くに御座候。


 この挙は決してご公儀の決定に異を唱えるためのものではない。しかし殿様の無念を思えば、上野介は不倶戴天の讐である。我々が本日ここに推参したのは、偏に殿様の意趣を継ぐためである。今宵ただいま吉良邸に討ち入ればいずれ我らは死を免れぬであろうが、末代に至るまでこの意を伝えて頂きたい。徒党を致し騒ぎを起こす禁は破るがこれが我らの義である。四十七士の荘厳かつ悲痛な想いを余すところなく伝える口上書であり、口上書の掲出は赤穂四十七人の士気をいやおうにも増した。

 また、同時に吉良家の隣家にあたる土屋主税邸には原惣右衛門が赴き、取次ぎの門番にことの次第を陳べる。

 「我ら赤穂浅野家旧臣四十七名、今宵亡君の仇を討つべく吉良上野介宅へ推参仕る次第。ご公儀に逆らうの意には非ざれば、ご近隣を騒がせる段、平にご容赦仕りたい」

 この当時の江戸では、火事や強盗などの事件の際には、隣家が協同してこの対処にあたることが不文律となっていた。これには無論、延焼を未然に防ぐ意味合いも強いのだが、隣家同士の誼や共済という概念もあったろう。従って赤穂旧士の討ち入りにあっては、これに協同して防ぐ役割を隣家の土屋主税としては負っていたとも言える。ゆえに赤穂旧士側では事前に土屋家に挨拶を済ませ、仇討ちであることを強調して不介入を依頼したのである。

 隣家の騒ぎに慌て原の訪問に驚いた取次ぎが急ぎ主人に知らせるべく邸内に戻ると、既にこれあるを予期し羽織袴に着替えていた土屋主税は自ら床机を庭先に据え、家中の者に伝えた。

 「騒ぐでない。仇討ちは武士の嗜みにあらば、これを妨げるべからず。万一塀を乗り越えて我が屋敷に入らんとする者あらば、吉良方浅野方構わず弓もてこれを討て。さらば浅野旧臣に伝えよ。卿ら亡君の仇討ち、この土屋主税が見届けん。天晴れこれを果たして見せよ、と」

 実は、土屋主税は老中首座土屋相模守の本家筋に当たり、相模守には従兄弟の子になる。その相模守から主税には事前にそれとなく知らせてあった。曰く、隣家の吉良邸に異変が起きても決して介入すべからず。当夜になって従伯父の真意を知った主税は、こうして蔭ながら赤穂旧士に助成することとなった。

 

 戦闘はおよそ二時間に及び吉良方もよく持ち堪えはしたが、既に戦死十七、重軽傷二十超を数えるまでになっていた。吉良方とて主人を守らんと奮戦するその士気は赤穂旧士に劣るものではなかったが、いかんせん夜戦奇襲にあっては事前の準備がものを言う。赤穂側はみな鎖帷子を着込みそれぞれ得意の得物を持って襲撃したのに対し、寝込みを襲われた吉良側は寝巻き姿に取るものもとりあえずという様である。ましてや雪積もる冬の夜明け前、最も気温の低い時間帯であれば、手は悴み足裁きなどにもその自由を奪われていたことであろう。吉良家現当主である義周も自ら薙刀を振るい応戦したが、武林唯七から二太刀を浴びせられ、その場に倒れ混濁してしまった。

 いよいよ戦闘の局面も終焉を迎え、静寂が次第に邸内の支配を強めていく。にもかかわらず未だ上野介を発見できなかった赤穂四十七士は、それでも諦めることなく邸内の探索を続ける。ついに上野介の寝所に達した茅野和助は、そこに硯箱を見つけるやゆるゆると墨を磨り始めた。それは戦場には場違いの風景であったが、禿峰の雅号を持ち、家中では大高に並ぶ俳人とも名高い茅野ならではの風流であった。茅野は磨りたての墨を以って壁に大書する。

 「浅野内匠頭家来、大石内蔵助はじめ四十七人、此の所まで押し込み候処、上野介殿此処に御座なられず候」

 それは武士の身にありながら武器をも取らず、逃げ回る一方の吉良上野介を嘲笑うかのようであった。あるいは、邸内隈なく探しても未だ仇敵を見つけられぬ焦燥感、精神一統これを払拭せんがための、俳人ならではの魂の叫びであったか。

 やがて炭部屋に人の気配を感じた間重次郎が、炭俵の奥に一槍突き入れる。確かな手応えを感じた間が頷き、傍らの武林がそれを引きずり出すと、さては寝巻き姿の老人であった。額の傷を確認するが薄明かりでは良く分からない。改めて寝巻きを剥がすと背中に古傷の痕を見出す。あの、殿様切腹の直前に、片岡源五右衛門が田村右京大夫邸に駆けつけ、目付多門伝八郎から聞かされた、殿様が切りつけたという額と背中の二つの傷。二人は急ぎ合図の笛を鳴らす。大石以下四十七士が集まってきた。改めて大石が誰何し、その老人の正体が亡き殿様が仇敵吉良前上野介義央その人であることを確認する。ついに殿様の無念が晴らされ四十七士の苦衷が報われるその時。大石がそろりと佩刀を抜き、一同を代表して留めを刺す。吉良上野介義央享年六十三歳の人生はここに幕を閉じた。同時に、忍び装束を身に纏った一人の若い女が、その一部始終を確認した上で吉良邸の屋根から軽やかに隣家の屋根に飛び移っていく。


 仇討ちを終えた四十七士はその後、吉良邸内の火の始末を終えると、裏門を出て回向院前に陣取る。ここで隊伍を整えると同時に吉良家あるいは上杉家からの追手を退ける構えを見せるが、幸いにして両家からの追撃はなかった。一息ついた四十七士は、白小袖で包んだ吉良義央の首を槍先に掲げ、殿様の眠る芝高輪泉岳寺へ向けて凱旋行軍を始める。冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず……ようよう冬の遅い夜明けを迎え、前日の雪がまるで四十七士の義挙を寿ぐかのように陽光を眩く反射させる。一行は四年前に架橋されたばかりの永代橋を渡り、旧赤穂藩上屋敷のあった鉄砲洲の前を通り金杉橋から芝へ至る。早くも噂を聞きつけた江戸の市民が沿道に溢れ、割れんばかりの歓声を上げて彼らの義挙を称える。途上、裏門隊隊長の吉田忠左衛門が大石の命により一行から分かれ、愛宕下にある大目付仙石伯耆守宅へ赴いた。此度の一挙を自ら公儀へ届け出、公儀への恭順姿勢を見せるために。そして四十七士の内では唯一士分では無かった寺坂吉右衛門は、泉岳寺前で大石の命により一行から分かれた。この時、寺坂は大石から四十七士の義挙を後世に語り継ぐことを命じられたという。これより四十七士は四十六士となるが、寺坂には不名誉なことであったかもしれぬ。そうして泉岳寺に入った四十六士は、長矩の墓前に吉良上野介の首を供えて香を焚き亡君に報告する。ようやくここに報恩が叶った。あとは公儀からの沙汰を待つのみである。

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