一七〇一年十一月二十六日十三時 江戸城老中御用部屋
「さて、此度各々方にお集まり頂いたのは、他でもない吉良上野介殿隠居願い出の儀につき」
老中筆頭土屋相模守が宣する。吉良上野介義央はこの年六十一歳。とっくに隠居をしていてもおかしくはない年齢ではあるが、嫡男義周は上野介の実孫でこの年元服したばかりの十六歳と若年。未だに家督は上野介が守っていた。しかし八月には屋敷替えを命じられ、九月には本所屋敷に移っていた上野介である。そろそろ家督を義周に譲りたいと、先般正式に公儀に申し出てきた。
「さもあらん。そもそも此度の刃傷事件無かりせば、恐らく今頃はとっくに家督を譲っていたことであろう」
法家の阿部豊後守が言を挙げる。いや、阿部に限らず武家の者であればみな等しく考えたであろう。正月の義周の元服は、近々の家督継承を視野に入れてのものであろう、と。すなわち義央隠居、義周相続が吉良家の今年の規定路線であり、赤穂浅野の件の方こそが突発事項なのである。
「うむ、流石にこれを退ける理は無かろう」
最年長にして上野介と同齢の稲葉丹後守が頷く。言葉の響きに一部、稲葉自身の隠居と家督に関する想いが混じったのであろうか。その辺りを敏感に察した小笠原佐渡守が微笑を含んだ声音で諭す。
「稲葉殿にはご隠居などをお考えにならず、まだまだお働き頂かねばなりますまい」
「これは忝い。恥ずかしながら我が世子も未だ若輩にあれば、今暫くは某が……なぁに、まだまだ一線で槍働きもでき申す、のぅ軽殿」
「稲葉様には相変わらずのお戯れを……されど、ご老中様方の職責の重さは高家のそれとは比べ物にならず、吉良様ご隠居と稲葉様ご家督を並べ論じるのも恐れ多いことかと」
稲葉の嫡男は、これもたまたま吉良義周と同齢であったが、軽の言う通り職責の重さが異なれば自ずと扱いも異なろう。稲葉の件は措くとして、この場にいる誰もが吉良隠居を許可せざるを得ないと考えているが、同時に別の問題を共有している。つまり、上野介が隠居を機に国許へ戻るのではないか、という可能性である。高家は江戸詰めが原則であれば、義央もこれまでの生涯において本領の吉良領に戻ったことは数度しかない。しかし隠居ともなれば別、余生は国許で送ることになろう。ましてや赤穂旧士どもの件もあれば、正室の実家であり実子の養子先である米沢藩上杉家に身を寄せるかもしれぬ。そうなれば、赤穂旧士による復仇など望めもせぬし、仮に吉良上野介を討ち果たせたとしても、それを以って吉良家を断絶する理由とはし難いであろう。
「やはり、吉良殿をして隠居を機に国許に下がらせぬためには、市井の噂を操るより他に法はあるまい」
みなの思案を代表して秋元が言う。今しばらくは世論操作を継続して吉良を江戸に縛り付けねばなるまい。それはすなわち吉良家の警戒が高い状態で続くことを意味し、更には赤穂旧士による討ち入り時期も延期することを意味する。
「先に大石様が江戸に下った折、冷光院様一周忌を期して計画を実行に移すと決されましたが……」
軽が確認のため問う。冷光院様一周忌、すなわち故浅野長矩一周忌の三月を待って吉良家に討ち入るという。しかし、上野介の隠居とそれに伴う風説流布の継続となれば、その計画は変更を余儀無くされよう。
「それは致し方あるまい……」
柔軟な発想の持ち主にしては珍しく消極的な表現しかできない秋元但馬守である。秋元が消極的な理由を阿部が指摘する。
「これまで大石は何とか江戸急進派の暴発を抑えてきたが、三月決行を更に延期となれば、これを抑えるには骨が折れよう」
「事と次第によっては江戸詰めの者だけで急襲するかもしれぬが、少ない人数ゆえ仮にしくじらば……」
新蔭流達人の小笠原の懸念を法家らしい解釈で阿部が結論つける。
「吉良家を断絶させるにその理なし。神君の遺言など、とても正当化できる余地など残るまい」
みな一様に首肯する。江戸急進派の暴発を未然に防ぎ大石の指揮下に組織を一元化させる必要があることをみな理解しているが、それを実践するによい策略がどうにも見当たらない。みなが沈思黙考、というより思案に窮した様子を見かねて、土屋が天井裏に声をかける。
「軽、伊賀の長殿には何か妙案でもおありか?」
伊賀の長の意を呈して、多少畏まった口調で軽が応じる。
「さらば恐れながら、小笠原様に一肌脱いで頂きたき儀がございますれば」
「儂でよければいつでも一肌脱ぐぞ」
稲葉の茶々を無視して軽が続ける。
「江戸急進派が一人に高田郡兵衛と申す者がおります。この者は高田派槍術開祖吉次の孫で、かつて小笠原様の配下にもあり、その後赤穂浅野家に仕えたと伝わります」
「うむ、覚い出した。確か高田派槍術というのは槍術に我が新蔭流を取り入れた流派にあり、郡兵衛はその免許皆伝という触れ込みで一時召抱えたことがあった。その後浪人したと聞いておったが……」
「その高田郡兵衛にはお旗本内田三郎右衛門という伯父があり、これに子が無いので高田を養子に迎えさせよというのが我が長の意」
「成る程、江戸急進派が中心人物の一人であるその高田某を変心させるにより、江戸急進派の顔を潰すという策だな」
稲葉の相槌を、今度は受け止めた軽が続ける。
「稲葉様のお察しの通りにございます。その内田三郎右衛門はただいま村上伊予守様が配下にあり、村上様を通じて内田三郎右衛門に高田郡兵衛を養子縁組するよう働きかけて頂きたく」
「相分かった。村上殿は知らぬでもない仲ゆえ、儂からの推挙ということにしてその儀取り計らおう。されどその内田某とはそも何者よ」
小笠原の当然の問いである。そもそも小笠原は内田を知らないのであるから、推挙のしようもない。その辺りはどのように考えているのか。
「内田家は元は旗本の家柄にありますが、大久保忠隣様の改易にあって連座。昨年改めて召し上げられた由にて……」
小笠原の意を察した土屋が軽の言を途中から引き取ってみなに同意を求める。
「さらばまずはその内田三郎右衛門を上様にお目見え叶うよう取り計らうべし。次に小笠原殿から村上殿にご推挙されたし、曰く、此度お目見え叶った旗本内田三郎右衛門の養嗣子にその甥の高田某は如何、高田某はかつて小笠原殿配下にあった槍の達人、云々……各々方、ご異論はあるまいか」
無論、異論の出るはずもなかった。内田某も、老中小笠原佐渡守直々の推薦となれば否やもあるまい。その結果高田郡兵衛が脱落するとなれば、江戸急進派の発言力はかなり殺がれるであろう。それはすなわち赤穂旧士の行く末を大石の掌に握らせる結果に繋がる。同時にそれは、赤穂旧士の操縦手段を引き続き公儀が手中に治め続けることを意味した。
こうして翌十二月、吉良上野介義央は隠居を許され、高田郡兵衛は養子縁組の申し入れを受けることとなり、江戸ではいよいよ赤穂旧士による吉良家襲撃の風聞が真実味を持って流布された。




