一七〇一年九月二日二十時 老中土屋相模守役宅
「江戸急進派は随分と焦っている様子にございます」
天井裏から若い女性の声が降ってくる。土屋は書見台から目を離さないまま頷き、問いを続ける。
「軽の流した噂が相変わらず効いておるようよの。江戸市中の落書が市井の噂の賑々しいことを雄弁に物語っておる」
「名を惜しめ おしむな命 赤穂衆 御主のかたき きらせ給へや」
赤穂旧士に仇討ちを嗾けるような句である。仇の吉良を切らせ給え、と掛け言葉になっているところが何とも憎い。命を惜しむな名を惜しめと謂われれば、武士の一分を大事に思う堀部などは居ても立っても居られぬことであろう。
「大石は 酢のおもしに なるやらん 赤穂の米を 喰いつぶしけり」
かつて鮨と言えば魚を飯に漬けて発酵させたなれずしを差していた。この飯は発酵のために用いられるため食用ではなく、つまりは鮨は米を喰いつぶすという意であろう。無論、鮨を漬ける石と筆頭家老大石の名をかけていることは言うまでもない。江戸急進派から見れば国許の連中は事態の認識が甘い。大学様お取立てなど、何をのんびり構えているのか。こうした落書による風刺が大石ら国許に向けられれば、それは江戸急進派の苛立ちを高めることに一役も二役も買ったことであろう。我々は違うのだ、と。
「やはり赤穂と江戸は遠すぎるということか」
軽は無言で肯定する。土屋の指摘は正しい。堀部ら江戸急進派がどれだけ焦り大石を急かしたところで、そしてその意をいくら大石が理解したところで、その熱さは実際に江戸に居る者にしか伝わらぬであろう。理と情は自ずと異なる神の支配する世界の存在らしい。
「江戸派から大石へは幾たびも手紙を出しているのであろう。それに大石は何と?」
「何でも、腕に障りものができたゆえ、暫くは江戸下向罷りならぬ、と」
軽の返答に気に入ったとばかりに土屋が大笑する。
「はっはっはっ、障りものとはまた理由にもならぬことを。まこと江戸へ罷り下るつもりあらば、障りものなど障りにはなるまい。そもそも赤穂から山科へは上ったのであろう?さらば江戸に下れぬ理由にはなるまいに」
「ですが堀部殿、江戸急進派の者どもは、まずは養生第一にと礼を尽くしている様子」
「さもあらん。いかに正論であろうとも筆頭家老に対して、よもや障りものなど憚らず直ちに下向仕るべし、などとは言えぬものよ。大石もなかなかの策士のようだが……」
土屋の言を受けて軽が続ける。
「土屋様の申される通り、江戸からは度々手紙が送られれば大石様にはこれに厭きられているご様子にて、近頃などは伏見橦木町あたりで憂さを晴らされているご様子」
最後の方は微かに棘を含んだ口調で軽が報告する。江戸から望まない手紙が届く度に遊女を揚げるような精神力の弱さでは、この先が思いやられる。そもそもそのような遊蕩がいつまで続くことやら。
「されど、大石の周辺には吉良や上杉の忍びも入っているのであろう?さらば、大石が置屋で遊蕩に耽っていると申すは、これらの目を欺くに都合がよいではないか」
「仰せの通りではありますが……軽にはまこと大石様が何をお考えなのか図りかね」
どこか納得のいかない様子の軽を揶うように土屋が言う。
「いっそ、軽が大石の相手をすればよいではないか。くノ一には寝所での秘儀があると聞く。その秘を用いて大石の真意を得、同時に世を欺かば一挙両得と言うもの」
「お戯れを……くノ一の筒には毒が秘められておりますゆえ、そのような……」
いつになく歯切れの悪い軽である。くノ一とは申せ若い女子の部分も残しておるのか。しばしの独想の後、土屋が本題に立ち返る。
「いずれにせよいつまでも梨の礫という訳にもいくまい。大石はその辺りをどのように考えておるのか」
常の様子と声音に戻った軽が返答する。
「近々大石様はご自分の名代として原殿を江戸へ下向させ、江戸急進派を押さえ込むおつもりか、と」
原惣右衛門、この年五十四歳。江戸から送られた第二報の急使として、早打駕籠で殿様切腹、お城召し上げを知らせた際の一人である。その後の家中評定においては、弱腰派の城代家老大野九郎兵衛を一括し、藩論を大石恭順でまとめる功績を挙げた。大石が国許にあって最も信頼する藩士の一人でもある。
「信頼のおける藩士を名代として送り込み江戸急進派の説得を試みる。まずは順当な線であろう。しかし、その者が江戸の熱に浮かされ、却って江戸急進派に取り込まれるということもあり得よう。さてこのせめぎ合い、どちらの思惑通りになるか見ものではあるな」
「土屋様にはお人が悪い。されど、もし原殿が江戸急進派に取り込まれるようなことにならば、大石様はどのようになさるおつもりか」
軽の当然の質問に、土屋も当然のように答える。すなわち、どの道筋を辿っても、結局未来はここにしか辿りつき得ない。
「いずれ江戸急進派は大石が江戸に下向するまで運動をやめぬ。大石にしても、いずれ自ら江戸急進派と話さねばなるまい。さらば結果はひとつ」
土屋の回答に軽が相槌を打つ。
「大石様はいずれ必ず江戸へ下向し江戸急進派と会談する、と」
「左様、さらばその会談では、仇討ちの日限について同意が得られよう。江戸急進派はその同意なくばむざむざ大石を山科には帰すまい。江戸派は可能な限り早く、大石はできるだけ遅く……恐らくその日限は来年三月、故浅野殿一周忌あたりが目処となろう。他に互いに相手を説得できるだけの大義名分も無いゆえに、な」
「土屋様がそこまでお考えであれば、大学長広様の件はそれまでに……」
土屋の見通しを理解した軽は相槌のつもりで話を向ける。大学左遷はその頃に。しかし、土屋からは意外な考えが返ってきた。
「いや、それではまだ早いであろう。特に、まことの同士を見極めるには、時が足らなさすぎる。もう少し、ゆっくりと時をかけて篩う必要があろうが……いずれ情勢を見極めつつ動かすことが肝要ならば、今はそこまで定める必要もあるまい」
そう、先の情勢がどのように転ぶか不詳の今から全てを計画すべきではあるまい。土屋の考えに納得した軽に、土屋がひとつ命を加える。
「さて軽よ。赤穂旧士どもの江戸下向に備え、これらが住む屋敷や長屋を手配せよ」
命の意が分からず沈黙する軽に、土屋が解題する。
「江戸詰めの者どもは永らく江戸にあらば江戸言葉も話せよう。されど赤穂から下ってくる者どもはどうであるか。赤穂の田舎言葉を話す者が急に本所界隈を彷徨き始めたとせばどうなる」
はっ、と土屋の意を理解した軽である。赤穂旧士が江戸市内で市民と行き交えば、自ずと赤穂言葉が口を突いて出よう。それは、口さがない江戸市民にとっては格好の噂の種。そして赤穂言葉の頻出度はそのまま、吉良襲撃の危険度を告げる一種の予報装置となろう。これでは、いくら公儀の側で吉良の警戒と隙を誘ったところで、元も子もあるまい。
「甲州街道筋であれば、我ら伊賀者の勢がこれを匿うこと易し、と……?」
服部半蔵が門外に屋敷を賜ったことから名づけられた半蔵門。この門を出て甲府城まで続く街道は甲州街道と名づけられた。一説によれば、江戸に万一のことがあった際に将軍家は、甲州街道を経て甲府城に逃れることに定められているという。この脱出行護衛の任を預かるのが伊賀者。丁度、神君家康公が本能寺の変の折、堺見物から死地を逃れ伊賀超えで岡崎に帰着した吉事にあやかって、この脱出口が設けられたという。
「うむ。新たに赤穂から江戸へ下向した旧士どもには、甲州街道筋に居を構えさせ、伊賀者がこれを匿い養うよう配せよ」
甲州街道筋には従って伊賀者が多く居している。酒を買うにも傘を売るにも、その相手がすべからく伊賀者であれば、赤穂言葉が江戸の噂に上ることもあるまい。軽は土屋の考えに納得し、その命に従うために退出した。




