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[完結(全47話)]神君の遺言 ~忠臣蔵異伝:幕閣から見た赤穂事件~  作者: 勅使河原 俊盛
第六章 流浪の士
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一七〇一年八月十九日十四時 江戸城帝鑑の間

 「吉良義央儀、江戸屋敷替えを仰せ付けられる。呉服橋屋敷は召し上げ、新たに本所松坂町に屋敷を拝領す」

 三月の事件の後、さすがに世間に憚りがあるとして高家お役御免の願い出を許されていた吉良上野介は、この日、老中小笠原佐渡守より呼び出され、屋敷替えを命ぜられた。江戸における大名旗本の屋敷は将軍から拝領するのが建前。此度、高家のお役から外れたのであれば、それまで拝領していたお屋敷はお返しするのが道理である。

 「はっ」

 平伏して意に従う吉良ではあるが、それにしても……

 「ご公儀の命とあらば従うより他に法もございませぬが、それにしても本所とは……畏れながらご公儀におかれてはまるで、市井の者どもの申すが通り、赤穂の旧士どもに某を討たせよと申されるご所存で……?」

 無論、吉良の耳にも江戸の町民どもの噂話は聞こえてきている。曰く、赤穂の旧士どもが徒党を組んで吉良邸を襲うつもりである、とか。江戸市中において徒党を組み騒動を起こすは天下のご法度なれど、本所は川向こう。もはや江戸市中でもない本所に屋敷替えとならば、赤穂の浪人どももさぞ襲撃しやすかろう。もしや公儀は儂を江戸から追いやり、赤穂の浪人どもに討たせるおつもりではあるまいか。

 そのような吉良の疑念を一笑に付すかのような笑声を挙げて小笠原が問う。

 「はっはっはっ、これはこれは吉良家のご当主とも思えぬ申されよう。それともよもや吉良殿は、市井の噂に怯えて家督を譲り、国許にお戻りにでもなられるおつもりか?」

 例え頭の隅には思い描いていた絵図だとしても、面と向かってそのような言い方をされればその言を、その存在の有無ごと否定せざるを得まい。わざと、多少の怒気を含んだ口調で吉良が応える。

 「これは、文武両道の誉れ高き小笠原様にはあまりにご無体な申されよう。吉良家は四千五百石の小禄とは申せ、上様直率旗本八万騎が一騎。赤穂の陪臣どもに怯え国許に引き下がるなどせば、武門の名折れ。それこそ市井の笑いものになりましょう」

 「流石は高家筆頭上野介殿。そのお覚悟、某改めて感服仕った」

 「恐れながら、某は高家お役御免を許されておりますれば……」

 吉良が慌てて低頭する様子を眺めやって小笠原が話題を変える。

 「左様……ところで、赤穂と申せば先の刃傷。吉良殿には何か浅野殿に恨みでも買われるお心当たりなどおありであろうか」

 とうに目付の詮議も終わっており、上様直々にお許しも頂いている案件である。老中の職責にある者が今更何を詮議するつもりであろうか。吉良のそのような疑念を敏感に察した小笠原が続ける。

 「いや何、別に今更詮議するようなことでもあるまいが、仮に赤穂の陪臣どもが市井の噂通り騒動を起こすようにあらば、それを未然に防ぐは我ら幕閣の役目であろうゆえ……」

 どこか釈然としないながらも、問われれば答える義務があろうし、答えるならば先に目付に語ったと同じことしか語れまい。

 「されば、某には何の心当たりもなく、ただただ不審に思うばかりにて……」

 「噂によらば……」

 小笠原が問いを続ける。

 「噂によらば、浅野殿から贈られた教授料が少なかったため、それを恨みに思った上野介殿が浅野殿を辱めようと、常とは異なる法を教えた、とか……」

 その噂があることは吉良自身も知っているが、そのような何の根拠も無い噂を元に糾弾されるような筋合は無い。今度は老中に対する礼節の程度を遥かに越えた口調を以って、小笠原の非を質す。

 「例えご老中とは申せ、これは聞き捨てならぬ申されよう。そも某は、高家として勅使御馳走役の指南役にある身。御馳走役に万一にも非礼な振舞いあらば、その責は一人御馳走役に帰するのみならず。指南役の某にもきっと累は及びましょう。何より、勅使に対し奉り非礼を働くは、先祖代々賜りし朝恩にも背くもの。それが小笠原様にはお分かりにならぬと申されるか」

 「いや、これは大変失礼仕った。吉良殿の徳川将軍家に対する忠心には微塵の疑いもござらぬが……」

 吉良は幕恩とは言わず朝恩、すなわち朝廷からの御恩という表現を使った。無意識に発された表現ではあったろうが、これには吉良の特権意識、すなわち足利一門の出自であることを誇る気分と、徳川に対する平等意識、すなわち朝臣としては同列であるとの認識を内在している。そのことに敏感に気づいた小笠原は敢えて徳川に対する忠心と言い替えつつ、吉良に先を続けさせる。

 「左様、将軍家に対する忠心を疑うのであらば、小笠原様にはまず浅野のご存念をこそ詮議されるべきでありましょう」

 今となっては長矩の存念を質すなどできようはずもないことはお互い承知の上ではあるが、小笠原は敢えてその仮定に載ってみた。

 「ほぅ……吉良殿はゆえなく他人を誹謗するお方にはあらず。何ゆえ浅野殿の忠心を疑われるか」

 「さらば……」

 小笠原の誘い水に気を良くした吉良は、少し居住まいを正してから後を続ける。

 「家には家の伝があり、その家伝に依って奉公するが武士の慣わし。ご老中の家柄にはご老中の、高家には高家の伝があり申す。吉良家は我が曽祖父義定の代に高家職を預かりし以来、畏れながらその伝に依りて京と江戸の諸礼を司って参った。それを浅野は……」

 「浅野殿は?」

 小笠原の相槌が吉良の背中を押す。

 「浅野は此度の教授は無用と申す。かつて十七年前に御馳走役を引き受けたに際し書付を残してあった、と。それがどういう意味か、小笠原様にはお分かりか」

 「はて……どのような意味であろうか?」

 無論小笠原にも吉良の意は充分に通じているが、敢えて吉良自身の口から言わせることによる効果を狙っている。

 「浅野は書付あらば高家は無用と申す。台徳院様がお定めになった我が家伝を無用と申すは、台徳院様の定め給いし法を無用と申すにも等しく、ひいては天下の大法を無用と申すにも等しき。これを不忠と申さずして、何をもって不忠と申されるか」

 台徳院、すなわち徳川二代将軍秀忠が吉良家に高家の職を与え、以来吉良家は四代に亘り家伝に依って将軍家に仕えてきた。その、家伝、家職を無用というのは、将軍家の定めた法を無用というにも等しい、というのが吉良の主張である。

 実は政府に正式の記録が残されるようになるのは近代以降のことである。古来、時の政府に正式の記録が残されることは少なく、それらの記録はそれぞれの職責を果たす家に残されるのが主であった。つまり、家伝の継承こそ個人がその職につく正当性の証であり、言い替えれば特権を産み出し、新参者がその職に就くことを阻む参入障壁となってきたのである。貴族制とはある意味、貴族階級が互いに互いの特権を認め合うことで新参者を排除する仕組みのことであり、貴族制におけるこの相互認証が崩壊すれば、結果としてその制度自身が崩壊してしまうであろう。この場合、長矩が個人の経験を書付として残し高家の教授が無くともその職に当たることを可能としたことは、当時としては画期的な試みであったと言える。しかし、同時に慣習を犯して相互認証の秩序を破壊したとも言え、この点において、吉良のこの糾弾はまことに的を得た指摘であった。

 「更に申さば浅野は忘恩の徒にもあり」

 最初はわざと興奮してみせていた吉良ではあるが、少しづつ、演技が真実を象っていき、つい、言わずもがなのことまで述べる。

 「忘恩とはまたいかような?」

 言葉には、強い言葉と弱い言葉がある。強い言葉を繰り返せばその勢は激しさを増し、弱い言葉を選べば自然鎮まる。そして、御恩と奉公が武士の建前である以上、武士が忘恩と言われることは、最も強烈な批判であろう。

 「されば、上様におかれては赤穂の塩を江戸で販売することをお許しになられたとか」

 「うむ、某も詳しくは聞いておらぬが、確か秋元殿当たりがそのようなことを……」

 ふいに降って沸いた新しい話題についていくのが精一杯の小笠原にお構いなく、興奮気味の吉良が続ける。

 「吉良領においてはこの百年、矢作川河口の干拓を進め塩田の開発を行って参った。赤穂も古来製塩の盛んな地ではあるが、我が吉良における塩田開発には目覚しきものあり、我が家に教えを請いに来たのは二代前の長直殿であった」

 赤穂は古来より上質な塩で有名であったが、あまりに製塩の条件が整いすぎているがゆえに、かえって塩田開発技術そのものは劣っていた。一方で吉良は、領地が狭いがゆえに河口付近の干潟を干拓することで領地を拡げ、塩田を開発していた。結果として吉良の塩田開発技術は赤穂の技術を抜いていたのだが、吉良家の塩田開発技術に目を付けた長矩の祖父長直は、吉良家から塩田開発技術を伝授してもらうこととした。赤穂の好条件に吉良の技術が組み合わされれば、製塩による収入も更に高まるであろう。尚余談ではあるが、実際にこの技術を導入することで赤穂の製塩収入を挙げたのは、赤穂藩城代家老の大野九郎兵衛であった。弱腰派と看做され家中を追い出された大野に浅野家滅亡の遠因があったというのは、歴史の皮肉であろう。

 「その長直殿に我が父義冬は快く応じたが一つだけ条件をつけ申した。それは、大坂以東では赤穂の塩を販売せぬこと」

 小笠原にもようやく論点が飲み込めてきた。すなわち浅野家はかつて吉良家から塩田開発技術を供与された。その際の条件は大坂以東には赤穂塩を販売しないこと。しかし世が下って長矩の代、そうと知らぬ長矩は将軍綱吉に赤穂塩を献上してしまった。

 「浅野殿は幼い頃に先代を亡くされ、確か九歳で家督を継いだとか。恐らく浅野殿本人にはその約定が伝わっていなかったとみえる……」

 浅野に若干の同情を示す小笠原に、その小笠原をも批難する口調で吉良が応える。

 「とは申せ約を違えてよい、とは申せますまい。さらば、家臣どもが止めれば良いだけのこと。浅野の小僧は塩田開発教授の恩を忘れ、吉良の塩を差し置いて江戸で赤穂塩を販売しようと目論む。翻ってはご馳走役も同じこと。書付を残し高家無用と申さば、いずれ、吉良に替わって諸大名に御馳走役指南を為すであろう。そのような不忠、忘恩が罷り通る世にあり、徳川の治世が安泰であると、小笠原様はお考えになられるか」

 激論である。立場上、小笠原は差し挟む口を持ち合わせなかった。

 「それを上様におかれては、まこと能く浅野の不忠を見抜き、これを罰された。天晴れ名君におわす。それを喧嘩両成敗だのと申す輩は法を知らぬと見える。ましてや陪臣どもが儂を討とうなど……」

 正論である。確かに吉良から見た世界においては、吉良の主張は全面的に正しい。しかしここで、小笠原にはひとつの疑念が沸いている。吉良の主張は分かった。それによれば、むしろ吉良こそが浅野を憎むべきであるが……

 「吉良殿の申されることはご尤も。さらば、何ゆえ浅野殿が吉良殿に切付けなされたのか。むしろ吉良殿こそが浅野殿をお恨みであったのであろう?」

 「さらば、それは浅野の思慮ゆえ某には分かりかねる、と先にも目付詮議の際に申した通りにて、それ以上のことは某には」

 実際、吉良には思い当たるふしが無かった。いや、切付けられる前、確か大奥留守居役梶川与惣兵衛と立ち話をしていた際、ふとしたきっかけでつい浅野を礼儀知らずの田舎者と罵りはしたが、よもやそのようなことで大切な儀式の直前に殿中で刃傷に及ぶとも思えず……わざわざ言うまでのことでもなかろう、と吉良はこの部分については口を噤んだ。

 「左様に御座るか……いや、よう分かり申した。公儀にあっても今のお話、内々に通しておくこととしよう。さらば屋敷替えの儀は急ぎこれに従うべし」

 はっ、と平伏する吉良を尻目に、小笠原は座を立つ。公儀は吉良の意、すなわち吉良の理と浅野の非を解したとの言を与えた。これにより上野介は公儀の理、すなわち、屋敷替えの命を不服として国許に戻ることが立場上できなくなった。一方で吉良は市井の噂には惑わされぬと約した。これにより上野介は、赤穂遺臣による襲撃の可能性を理由に国許に戻ることもできなくなった。かくして小笠原は、その言を以って上野介を江戸に縛り付けることに成功した。

 こうなれば、吉良家として選択できる策はひとつ、すなわち、警戒を強くすることだけである。その分吉良側は疲弊するであろうし、後の隙も大きくなろう。また一方で、警戒が高まれば赤穂旧士、特に江戸急進派などの暴発を抑えることもできるであろう。こうして吉良屋敷替えは、公儀による吉良家と赤穂遺臣の制御に大きな役割を果たすことに成功した。

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