一七〇一年四月十一日十時 赤穂城大広間
「先ほど、歎願使として赴いておった多川、月岡の両名が、江戸より帰国した」
三百名の藩士を前に大石が述べる。面を挙げる一同の顔に期待と不安の表情が入り混じる様子を眺めた後、大石は心なしか視線を伏せながら続ける。
「残念ながら歎願使両名は江戸市中にて両お目付様方にお目見えする叶わず。かかる事態において両歎願使は江戸家老安井彦右衛門殿に嘆願書を提出し……」
様々な表情が交錯する。悔しげな顔、思案げな顔、泣き出しそうな顔、安堵する顔……
「結果、戸田釆女正様、大学長広様、更にはご公儀にもお届けあったとの由」
目付からの口添という形式を取らずにご公儀に上がれば問題が大きくなることは、この場の誰でもが容易に想像できる。何者であろうか、広間から声が挙がる。
「なにゆえ大石様は多川、月岡などという、無能、弱腰の者どもを大切なお役目にお付けなさったのか」
表現上は大石に向かっての問いではあるがその実、その怒りの矛先は無能、弱腰と罵られた両名に向けられている。この怒りは、この場の多くの者の意を代弁していることが分かるだけに、小さく震えながら平伏するしかできない多川、月岡。その様子を見かねて、弱腰派の長と目されている城代家老大野九郎兵衛が口を開く。
「そうは申すが両名が江戸に着いた時分には、既にお目付様方は江戸を発った後というではないか。多川、月岡でなくとも、この期に及んでは仕方あるまいであろう」
「それは無能者のいいわけ。そうと知らば急ぎ引き返し、大坂あたりで改めてお目付様に見えればよいではないか」
そうは言っても後知恵である。こう発言した者が仮に同じ状況に立たされた場合、まこと今述べたような冷静な判断を下すことができたであろうか。追い詰められた場合に人が取り得る選択肢とは結局、予め想定した範囲の内よりしかこれを見出すことはできない。
「そのような不確定な決断などできるものではあるまい。両名のお役目は江戸にてお目付様方に嘆願書をお渡しすること。一度適わず、国許に戻り大石殿の指図を改めて受けるの猶予なくば、江戸家老安井殿に相談するは藩士として当たり前の行動。多川、月岡の両名は藩士として当然の行いをした、いわば儂はそれを指摘したまで。それを無能、弱腰と申すは、城代家老たる儂に対しても無礼であろう」
議論が沸騰しかけるのを見た大石が口を挟む。
「歎願使は役目を果たせず。今はその事実確認だけでよかろう。今更過ぎたことを詮議しても、この際は無意味。大野殿もそれでよろしいかな」
尚憮然としながら大野は座りなおすことで大石に従うことを示す。
「さらば、戸田釆女正様ならびに大学長広様から書状を預かっておるゆえ、それを各々方にご披露申す」
そう言って大石は懐から二通の口上書を取り出し、順に読み上げる。そこには小異こそあれ、みなの想像通りの内容が記されている。曰く、公儀には逆らわず無事速やかに開城すべし、国許にて騒ぎなど起こすべからず、殉死歎願など以ての外。特に大学からの書状に曰く、斯様な騒動を起こさば大学の命と誤解されるゆえ迷惑千万。おとなしく離散仕るべし。主筋からそこまで言われれば、篭城はおろか仇討ち、殉死のいずれをも選ぶことは不可能になる。
「先の評定にて開城の上殉死歎願と衆議を決したとは言え、ことここに至っては篭城はおろか殉死することも適わず。斯くなる上は見事お城を明け渡し、以って赤穂藩の令名を高めるの他なし。みなも左様心得て欲しい」
一部の者は安堵したように、多くの者は不承不承、大石の言に平伏する。ここに藩論は無血開城に決した。無論既に段取りは整っており、これは謂わば、強硬派への最後の諭告でもある。
「さて、みなの意を得たところで、最後に決することがある。さらば、藩に残った公金のことであるが、これをみなで分配したい」
再仕官するにしても帰農するにしても、当座の金は入用である。特に微禄ゆえ蓄えのあまり無い者にとっては、この最後の給金は干天の慈雨にも等しいであろう。尤も、それほど多くの公金が残されているわけでもないが、既に大石は札座奉行の岡嶋八十右衛門に公金の残高とその分配金額について調査計算させている。
「委細は岡嶋殿より披露すべし」
分配金の説明を任された岡嶋は、大石に向かって一度平伏した後、みなにむかって説明を始める。
「恐れながら、ご家老様の命により申し上げる。公金の残はこれを高知減により割符すべし」
高知減、すなわちこの時の赤穂藩では知行百石当たり十八両と分配基準を定めた上で、高禄の者ほど減率して分配するというのである。例えば、知行二百石の場合は三十六両のところ三十四両、三百石の場合には五十四両のところ四十八両と、高禄になるほど百石当たりの分配金が減らされていく仕組みである。
これに城代家老の大野が異を唱える。
「そのような勝手な方法、儂は認めぬ。儂の今の知行は、儂がこれまでお家と主君のために尽くしてきた、その結果を殿様に認められたによるもの。功ありての禄なれば、これを減じるのは不当である」
大野の分配金は、本来であれば百十七両のところ、岡嶋の言う高知減によれば八十両ほどに減じてしまう。多くの者が大野の欲深な主張に人の業の醜さを感じたが、さりとて、微禄の者が高禄の者にその分配の減を論じるのは更に醜悪であろう。高禄の者の自発にのみ気高さを感じられる類の議論を、微禄の者が論ったところで泥かけ仕合にもなるまい。多くの者が唇をかみ締めながら俯く中、大野がここぞとばかりに畳み掛ける。
「そもそも、それでは大石殿など大幅に減額されてしまうではないか。大石殿もご先祖の功ありてこその禄であろう」
殊更ご先祖の、などと言うところがいかにも大野の大石に対する心中を表しているが、大石には気に留めるようでもない。
「功を論じて賞を行うが武士の嗜み。赤穂浅野家がその最後にありて賞を損なわば、我らが忠義は後世の冷笑の種となり申そう。それを勘定方など、武士の忠節も分からぬような輩に調査を任せるゆえ、そのような結論を申す。聞くところによらば、その勘定方の小役人ら数名は、既に公金の一部を盗んで出奔したと言うではないか。その岡嶋某と申すも所詮同じ穴の狢、儂の禄を盗む所存にてあるまいか」
満座の面前で言われ無き恥辱を受けた岡嶋がいきり立ち、今まさに大野に掴みかからんと座を離れようとした時、大石が涼しい顔で答える。
「某は割符に入るつもりはござらぬ。さらば某の分も微禄の者どもにて分けてもらう所存。よいな、岡嶋殿」
岡嶋は慌てて大石に平伏し賛意を伝える。こうして分配金の議論は大野の横槍により、却って大石の清廉誠実が強調される結果をもたらした。大石のような誠実で主君に忠心ある者が無血開城を結論とするのであれば、それに従うしかなかろう。この悶着は結果として、強硬派ですらも大石に恭順する呼び水となった。
その夜、岡嶋をはじめとする勘定方の藩士数名が、大野の私邸を訪れる。先の評定における岡嶋と勘定方に対する非礼に対しその存念を正すべし、というのがその用向きであった。門前で応対した家人が一同の様子に尋常ならざるものを感じ大野にそのように告げたため、大野は居留守を使って面会を謝絶する。岡嶋は翌十二日も大野邸を訪れ門外から大声で来訪の意を告げ面会を要求するが、大野からすればその口上はまるであたかも果し合いの前の名乗りのようでもあり、大野はいや恐ろしさに震えた。そうして大野は十二日深夜、未だ赤穂城明け渡しのならない前であるにも関わらず、あるいは城代家老の職にあるにも関わらず、恐ろしさのあまり取るものも取り敢えず何処かへと逃亡してしまった。大野の逃亡は翌十三日には藩内に広まり、これを契機に赤穂藩士の離散が始まる。ここにおいても大野は意識的にか無意識か、いずれにせよ大石に反する藩士達を糾合し、これがまとめて排除されることに助力したと言えよう。