一七〇一年三月二十七日九時 赤穂城大広間
赤穂藩筆頭家老大石内蔵助が再び赤穂藩士に総登城を命じたのは、先の評定から八日後の三月二十七日のことである。この時には江戸藩邸詰めであった故長矩公の寵臣片岡源五右衛門らの藩士も、江戸家老を始めとする一部の残務処理要員を残して赤穂に戻ってきている。上座に座した大石が口を開く。
「昨晩、江戸表から知らせがあった」
みな緊張の面持ちで大石の言葉を待つ。
「上意により、殿様は即日切腹、浅野家は城地召し上げ仰せ付けられる、との由……」
予想通りのこととは言え、最悪の予想が的中したことに家臣一同暗然となる中、大石が続ける。
「城明け渡しの期日は四月十九日。収城使として脇坂淡路守殿、木下肥後守殿、御目付として荒木十左衛門殿、榊原釆女殿が遣わされる」
明け渡しまで一月も無く急ぎ支度をせねばなるまい。しかしこれは、幕命ではあるが君命ではない。更には、筆頭とは言え一家老から口頭で述べられているに過ぎぬ。法律論から言えば赤穂藩の藩士達は浅野の家臣であって将軍家の家臣ではなく、殿様の命無きままお城を勝手に収城使に渡すべくもないのだが、果たしてどうするべきか……
みなが逡巡とする中、敢えて一拍おいた大石は、やや畏まった口調で一同の最も欲する情報を告げる。
「尚、殿様が仇、吉良上野介殿は存命。上様からは養生すべしとの詞を賜り、屋敷にて療養中であるとのこと」
大広間がざわつく。吉良は無事にてお咎めなし。神君家康公の発てた喧嘩両成敗の大法はいずこへ。殿様に非ありとは言え、吉良にも相応の非はあろう。何ゆえ一方のみ罰されながら、他方は賀頌されねばならぬのか……
「さて、かようなお家の大事にあり、各々方の存念を伺いたい。この際である、遠慮はいらぬゆえ自由に述べよ」
まずは城代家老大野九郎兵衛が口を開いて正論を述べ立てる。
「ご公儀の上意ということあらば、この上何を論じても詮無きこと。かくなる上は来月十九日まで日も少ないが、せめて潔くお城を明け渡し、以って赤穂藩士の令名を天下に知らせるべし」
いずれ赤穂藩は無くなる。無くなるのであればせめて見事な退出を示し、赤穂藩の名を美名として後世に残すべきであろう。これもひとつの武士の価値観である。尤も、大野の脳裏には、赤穂藩士の名声を上げることで己の再仕官を有利にすべしとの思惑もある。
「それは卑怯者のふるまいである」
「殿様に受けたご恩はどうする」
一同の中に大野の意図が分からぬ者はなく、ということはつまりみな同じ考えを脳裏に秘めているということでもあるが、であるからこそ、大野の言を卑怯と決め付けることで自らの立場を精神的に正当化しようと論じる者が続く。それらの者の内には、論議の場にあっては威勢の良い言葉を発しておきながら、実の行動が伴わない者も多いことであろう。いや、だからこそ大野のように、先に言を挙げる者が必要になる。大野の言あればこそ、現状に対する不満を大野に対する不満に転嫁することでみなの鬱憤が晴らされ、そこから先へ思考を進めることができるようにもなる。尤も、それと知った上での敢えての大野の発言であったのか、あるいは本音であったのか、実のところ大野自身にも良く分からない。
「ご公儀の上意なれば開城は已む無しとして、その後みなで腹を切り、泉下の殿様にお目見えすればよいではないか。さらば公儀への忠節と君恩への奉公とに適おう」
「それは正論だが、ただ腹を切ってもつまるまい。そもそも上意とは言え殿様の命には非ず。さればむしろ我らはこの城を死守し、華々しく討ち死にすればこそ君命にも適い、我等が武名もいよいよ高まろう」
高田馬場の決闘で有名な堀部安兵衛が篭城抗戦を主張する。その高名を買われて浪人の身から長矩に仕えることとなった堀部には、自身の名こそが全てなのであろう。
様々な論が飛び交う中、赤穂藩士の内唯一主君の最期を見届けた寵臣片岡源五右衛門が手を挙げる。
「恐れながら某は、亡き殿様から数多の寵を受け、殿様の最期にもお目見えすること叶い申した。さらば各々方に、改めて殿様の辞世を思いおこして頂きたく」
まるで亡き長矩の未練が片岡の口を借りて紡ぐかのような調子で、ゆっくりと辞世を謳い上げる。
「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとかせむ……」
「君命に従い君恩に奉ずと申すが、君命とはこの際自明。春の名残を…吉良を討て。この余に君命などありましょうや。恥ずかしながらこの片岡、数多の寵恩を思い起こさば本来、芝高輪泉岳寺、亡き殿の墓前にて腹を詰めるべき処。されど、君命を全うし以って君恩に奉ずべく、生き恥を、晒し……赤穂に帰参した、次第にて……」
最後の方には声に涙が混じり、途切れ途切れに嗚咽しながら語る片岡の、髻を落とし零落した姿にはみな胸を締め付けられ、それがゆえに一挙に仇討ち論が勢を増す。
「儂も殿様の仇討ちに賛成よ」
次々に仇討ち論が広がるが、総じて江戸詰め藩士にその傾向が強かった。江戸でお側近くに居たにも関わらず殿様を救えなかった、という無念がそう彼らに言わせしめているのであろう。又、大野に代表される国許留守役の藩士が総じて見せる公儀恭順開城志向に対抗して、情緒的結合が潜在意識下で江戸派を構成しようとさせているのかもしれない。先に篭城抗戦を主張した堀部の他に奥田孫太夫、高田郡兵衛らを中心としたこれら藩士は、後に即時仇討ちを主張し続け、江戸急進派と呼ばれるようになる。
仇討ち論が強まるところで再び大野が発言を求める。
「仇討ちなどしてどうなろう。今後のことを思わば……」
大野の言は罵声によって遮られる。
「弱腰、卑怯者の言うことなど最早聞く耳持てぬ」
「この期に及んで己が身の振りを申すなど、武士の風上にもおけぬ」
「卑怯者は即刻立ち去られよ」
大石から遠慮なく述べよと告げられたにせよ、流石に家老に対するには無礼な物言いに、憮然とした表情で口調に多少の怒気を孕ませた大野が一喝する。
「ご舎弟大学様!」
一瞬場が静まり返る。みなの注目を再度集めたところで、大野がゆっくりと諭すような口調で続ける。
「儂が申すは赤穂藩の、故長矩公ご舎弟大学長広様の今後のことである。みな武士として忠義をつくす所存なれば、まずは大学様お取立て、お家再興をご公儀に訴えるのが筋であろう。それを、仇討ちなどせば大学様のお指図としてご公儀に誤解され、引いては大学様お取立ても無くなろう。それがまこと報恩と申せるのか」
多くの者が、大野のこの言はわが身可愛さゆえの言い訳であると感じている。無論、大野自身も多分にそれを認めてはいるが、それにしてもお家再興を引き合いに出されては、それを卑怯者とは言えまい。ましてや、仇討ちはお家再興のためならずと言われれば、仇討ちを主張するは主家に対して弓引くも同じこと。亡き主君への誠とお家への義の狭間にあって、みな迷い悩む。
藩論が纏まらぬまま、評定は三日の間続いた。開城、切腹、篭城、嘆願、討ち入りと、みながそれぞれに抱く価値観を元に己が意を述べているが、そろそろ案も出尽くしたとみえ、議論が堂々巡りに陥ることが多くなった。そう、この世に唯一絶対に正しい選択肢などはあり得ない。それぞれの案にそれぞれ一長一短あり、最後にそれを決するのは価値観であることにみな気づいている。
「各々方の意はよぅ分かり申した」
なお議論が続くがこれ以上続けても収拾の見込みは無いと観た時点で、大石が口を開く。それまで黙って議論を聞いていた筆頭家老の発言に、みな口を閉ざして視線を向ける。
「まずお城のことであるが……」
「これは赤穂浅野家累代の城にて、殿様の命も無くこれを明け渡すは非常に無念。更には吉良殿ご無事とあらば、殿様のご無念晴らすべくもなく……」
「されどご公儀の命に従わずとあらば、これも大変申し訳なく、かつは、ご公儀に背き奉るは亡き殿様のご遺志にも非ず」
「さらばまずはお城を明け渡した上で切腹、以ってご公儀に吉良殿ご処分とご舎弟大学様お取立ての嘆願を為す。ご公儀におかれても、われらの殊勝な働きを知らば、きっと我らの願いを聞き入れてくれよう」
「殿様仇討ちのことにつき、我らの手でこれを為す能わざるは惜しかれども、みなで泉下の殿様に膝下し左様報告せば、殿様におかれてもきっと寂しからず」
概ねの線でみなの意を取りまとめた結論であろう。延命の上再仕官を望む者の意はここに含まれてはいないが、多くの者が納得し、あるいは納得せずとも已むなしとの胸中で首肯する中で、このまま藩論が纏まると困ると感じた大野が慌てた口調で言を挙げる。
「それでは、大学様のお取立てが叶うという保証がないではないか。せめて大学様の行く末を見届けた上で……」
折角纏まりかけた藩論をまた覆すのか。再び怒号が飛び交う。
「臆したか」
「やはり、己が身の可愛さゆえか」
刹那、第二の江戸急使として亡君の切腹を報じた原惣右衛門が立ち上がり、城代家老大野に向かって怒鳴りつける。
「筆頭家老大石様がお取り決めになり、一同みな議を決したと申すに、大野殿はまだ我が身のみを思いて異を唱えるか。一刻も惜しいこの重大事、衆議に不同心の方々は、即刻この場を立ち去られよ!」
「さらばこれまで、御免」
原の一喝に勢い負けした大野はそう言い残して座を立つ。大野と近しい間にある者ら十数人がこれに続くのを見やって原は再び座し、大石に向かって平伏した。
大石は原に向かって軽く目配せした後、一時をおいて続ける。
「さらば各々方には神文を提出して頂く」
みな平伏する。神に誓ってこの義を全うする、その意を誓紙にして大石に差し出すことが決まった。
「更には……」
みな面を挙げて大石の言を待つ。
「収城使の方々が赤穂に到着してから嘆願しても、およそ彼らにそれを議すること能わざるであろう。されば、まずは趣意を嘆願書にしたためて、お目付け江戸滞在中にこれを届けるべし」
「おぉっ」
一同から感嘆と賞賛の息が漏れる。これなら我々の死も無駄にはなるまい。
「嘆願使には多川九左衛門と月岡次右衛門の両名をこれに任ずる」
藩の浮沈と藩士の行く末がかかる重大な任務に多川と月岡の両名が恐れ入って平伏するが、余の者は多少の疑念を覚えた。両名は先に退出した大野と近しい間柄であることは、ご家老様もご存知のはず。何ゆえその二人を嘆願使にお選びになったのか。あるいは、大野派の切り崩しを図ってのことでもあろうか。
一同の疑念を他所に大石は嘆願書の文意を詠み上げ始めた。
「此度、内匠頭不調法の儀につき切腹の上城地召し上げ仰せ付けられるの段、家中の者みな畏れ仕り候」
「みな上野介様ご卒去の上内匠頭切腹仰せつけらると存じ仕り候ところ、追ってのお沙汰承り候ところ、上野介様ご卒去はこれ無くと承知仕り候」
「家中の侍どもみな無骨の者に候へて、一筋に主人一人を存じ、ご公儀ご法式の儀も弁えず、上野介様お咎めの段無きまま家中離散仕る儀、みなこれ嘆き申し候」
「年寄り老臣ども末々まで教え訓し候へども、無骨の者ども心安んじ仕らず。この上年寄りども了見を以っても如何ともし難く、憚りながら言上仕り候」
「この儀、上野介様お仕置、内匠頭舎弟長広お家再興奉る儀には御座候はねども、ご両所様お働きを以って、家中みな納得仕るべき筋お立て下さり候はば有難く存じ仕り候」
「当表へお着きの上言上仕り候へては、お城お受け取られ候にも如何にも罷りならん候ことかと存じ奉り候ゆえ、言上仕り候」
まことに慇懃な書式で公儀への畏敬を示しつつ、吉良上野介存命では家中の納得が得られない旨申し述べている。その上で、吉良へのお仕置きとお家再興を申すのではないが、と表向きは遠慮しつつも巧妙に主意に触れ、目付両人の働きで家中が納得するような筋立てをしないと、お城明け渡しがどうなるか分からない、という一種の脅しを言外に込めた。およそ、家臣一同の想いを良く汲んだ文面にみな納得した面持ちで大石に賛意を示す。こうして事前にお知らせしておけば、恐らくお目付けの両人もそれなりに根回しをしてくれよう。その上で見事お城を明け渡し、みなで切腹して嘆願すれば、きっとご公儀も我らが意を容れてくれるはず。