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[完結(全47話)]神君の遺言 ~忠臣蔵異伝:幕閣から見た赤穂事件~  作者: 勅使河原 俊盛
第四章 赤穂評定
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一七〇一年三月十九日九時 赤穂城大広間

 赤穂藩の士分はおよそ三百名。その内、江戸屋敷詰めの数十人を除く二百数十名の家臣が、筆頭家老大石内蔵助の命により登城した。非番の者も含めたいわゆる総登城である。藩士一同を大広間に集め、その上座に座した大石が口を開く。

 「各々方、まずは総登城の触れによりお集まり頂き、お役目大儀」

 一同みな平伏したまま、此度の総登城の理由について大石が口を開くのを待つ。

 「さて本日、早水藤左ヱ門、萱野三平の両名が急使として江戸表より到着した」

 一瞬の間に、藩士一同面を上げる。江戸表から到着した急使が総登城の理由……大石を見つめる皆の顔に緊張した表情が浮かぶのを確認した大石は、やがて懐から口上書を取り出し、はっきりとした口調でこれを読み上げる。みな固唾を呑んだまま大石の顔を見つめる。ある者は思案げな表情をし、ある者は困惑を隠せない様子で。みな急な話に思考がついていかないようではあるが無理もない。今朝方急使の二人から奏上された際には、大石自身動悸が早まるのを抑えられなかったのである。急使がもたらした口上書を読み終えた大石は、あえて一息ついた後、みなの顔を眺め回しながらゆっくりとした口調で問う。

 「何か、存念のある者おらば遠慮は無用である。自由に申してみよ」

 まず城代家老の大野九郎兵衛が発言する。

 「殿様の、長矩公のお仕置きはいかがなろうか」

 大野は特に塩田開発において功績があり元の四百石から六百五十石に加増されて城代家老に取り立てられた。平時には大変優秀な経済官僚であり、その実力を以って家老に取り立てられたという自負がある。この年四十三歳の大石より二十歳年長であり、また、昼行灯などと称されながらも家柄だけで筆頭家老の座にある大石に対して、多少の含むところが無いとは言えない。

 「あるいは、吉良殿のご様子は如何」

 無論、先の口上書に書いていない以上、大石にも情報が無いことは大野も承知している。しかし、今藩士一同を集めて衆議を諮るには尚早であろう。不確定の情報をそのまま公開すれば藩士の動揺と混乱を招くだけであろうし、何より、家老であり年長でもある自分にまずは意を求めるのが先であろう。多少詰問じみた口調で問いを発する大野に、大石はそれと気づかぬようなゆっくりとした口調で応える。

 「今は未だ分からぬ」

 やはり大石は昼行灯よ。儂の本意が分からぬと見える。これからの難局にあって、家柄だけで筆頭家老の地位にある大石に今後の我らの行く末を頼むのは甚だ心許ないのではあるまいか。そのように大野が自問しているうち、方々から問いが発せられる。

 「お家はどのように仕置きなりましょうか」

 「お城は明け渡しになりましょうか」

 「我らの仕官先は」

 これらの問いのいずれにも

 「今は未だ分からぬ」

 としか返答を寄せぬ大石に、藩士一同も静まり返り始める。無論みな、殿様とお家に対する仕置きの行方を正しく予想している。であるからこそ不安にもなり、誰かに道を示して欲しいと思っている。大野の考える通り、せめて道を決してから衆議に諮らねば混乱は深まるばかりであろう。

 「恐れながら」

 声を挙げたのは、今朝方江戸表から早打駕籠で事態を知らせた萱野三平である。

 「恐れながら殿様には、ご意趣により吉良上野介殿に切りつけたるとの由。さらば、もし吉良殿ご存命とあらば、殿様のご意志の下、きっとこれを討ち果たさんとするが臣下の道と心得ます」

 萱野の顔には疲労が色濃く浮かび上がっている。藩士一同の同情を寄せた視線が萱野に集まるところ、萱野と共に江戸から駆けてきた早水藤左ヱ門が口を開く。

 「みなさま方に申し上げる。実は我々は道中偶然にも萱野の母御の葬列と出くわした」

 みな固唾を呑んで早水の告白に耳を傾ける。

 「某は萱野に、せめて母御に香でも手向けた後にお城へ戻るよう諭したが、萱野は頑として肯んぜず、今はお家の一大事なれば私事は二の次と申して使いを続けた由」

 急使の苦労、母御の葬儀、主君とお家に対するその忠心、萱野に対する同情は自然と萱野の意に対する同心へと昇華し、方々から声が挙がる。

 「きっと吉良を討ち果たし、以って殿様のご無念を晴らすべし」

 衆議の急変に多少の戸惑いを覚えつつ大野が発言する。

 「そう結論するのはちと早いのではないか。筆頭家老自らお応えの通り、未だ何も分かってはおらぬのだ。もう少し情報を得てから決してもよいのではないか」

 大野の冷静な発言は平時であれば正論としてみなも従うところであろう。しかし只今この時は既に有事であった。殿様刃傷、屋敷引き払い、急使。動転、動揺、同情、同心……

 「臆したか、卑怯者がっ」

 大野の冷静さは弱腰と受け取られた。このような時、気が昂ぶったところに正論をぶつける者は弱腰の裏切り者と看做されやすい。例えそれが、誰かが正論を述べる役割を受け持たなければならないと頭では分かっていたとしても。特に理に長けた人物は情に薄いと誤解されやすく、この場の大野はまさに損な役回りを押し付けられたとも言える。

 場の空気が変わるのを見て取って大石が上座から口を開く。

 「各々方の意はよう分かった」

 流石に、筆頭家老の発言に口を差し挟むものはいない。みなが落ち着いたところを見計らって大石が続ける。

 「萱野には母御の葬儀にあっても忠義第一、役目ご苦労であった」

 はっと萱野が平伏する。同時に、萱野への同情が大石への同心へと進化していく。

 「さて、大野殿の申される通り、今の少ない情報で今後の方針を決するには時期尚早であると考える。そこで、まずは以下の二つを決してこの場を散会しようと思う」

 大石様は何を決するのか。みなが固唾を呑む。

 「まずは情報収集である。先の口上書にも追って追伸すべしとあるが、こちらからも江戸に遣いを送り情報を得る」

 無論、大石の念頭には歌留の存在があるが、この場で公言すべきことでもなかろう。

 「次に、藩札を回収する。既に岡嶋殿に発行高の調査を命じてあるが、岡嶋殿いかがであろうか」

 札座奉行の岡嶋が大石の後を受けて報告する。

 「藩札の発行残高がおよそ一万二千両、対して藩庫に保有の銀はおよそ七千両あまりでございます」

 「さらば、六分替えとして、明二十日より藩札の回収を行うものとする。各々方、異論はございませぬな」

 本来であれば十両の銀と交換できる藩札に対して、六両分の銀を支払うと決した。これでも無価値になってしまうよりましであろう。お家お取り潰しの報が流れて取り付け騒ぎが起きない前に、早めに計画的に回収してしまう方が領内の混乱は少ない。実際この時の赤穂藩では心配されるような領民による混乱や暴動は発生しなかった。

 「新しい情報を得たら、追って改めて各々方にお集まり頂くが、まず今日のところは散会といたす。ご苦労であった」

 大石の結語によって、この日の評定は終了した。それぞれに、今後の身の振り方を考えつつ退出していく。筆頭家老に従うと決意した者、あくまで吉良を討つと決めた者、これからの暮らしの糧を懸念する者、みなそれぞれに忠心と面目と家族、あるいは誠と義と孝を天秤に載せて……


 この日の夜、江戸表から第二の急使として原惣右衛門と大石瀬左衛門の両名が赤穂に到着した。主君浅野内匠頭長矩公切腹、城地召し上げの知らせを携えて。

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