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一七〇一年三月十四日二十一時 老中土屋相模守役宅

 夜半、ふと気配を感じた老中首座土屋相模守は、手元の書から視線を外さぬまま、闇に向かって問うた。

 「軽か?」

 忍びやかな、しかしどこか軽やかなくノ一の声が天井裏から返ってくる。

 「お呼びかと……」

 「うむ、相変わらず察しがよい。老中評定、聞いておったであろう?」

 「恐れながら……」

 「聞いての通りである。我が公儀の意としては、赤穂の家臣どもを以って吉良を討たせ、討たれた不明を以って吉良家を取り潰す」

 「はっ」

 「さて、問題はここよ。如何にして赤穂の家臣どもに吉良を討たせるか。早過ぎれば吉良も警戒しようが、遅すぎれば赤穂の家臣どもも離散しよう。吉良が警戒を解き、且つ赤穂に猶気力の残っている時分を見定めるのが要」

 恐らく、只今のように天井裏ででも聞いておったのであろうか。そうであればみなまで説明する必要もない。土屋はただ要点のみを伝える。

 「場合によっては、ご老中様方のご意向に合わせ赤穂の動きを調整せねばなりますまい」

 軽と呼ばれたくノ一も、この策の急所を看破した上で諜報の役割の重要性を指摘する。諜報とは、ただ情報を収集することのみを指すのではない。それはただの事実の集まりに過ぎない。一般に事実の集まりと諜報の違いを一言で言えば、それを受け取った対象の思考なり行動なりが変化するか否かに尽きる。その報を受け取った受信者に何らの変化もなければ、それを諜報とは呼ばない。例えば、雨が降っているという事実は、一日家内で過ごす予定の者に対しての諜報とはなり得ない一方、屋外で作業する予定の者には、作業準備や予定の変更を迫るという一面において諜報足り得るであろう。

 「さよう、そこで軽に頼みであるが、赤穂の家臣の内で最も気の利いた者と連絡したい。誰ぞ心当たりはあろうか」

 つまりは、赤穂の情報を収集するだけではなく、赤穂の家臣を動かすために意図的にこちらの情報を漏らすことが重要であり、こちらの漏らす情報によって彼らの考えや行動を操縦するのが、軽に与えられた役割なのである。こちらから漏らす情報は限られたものに過ぎないが、それらの断片をつなぎ合わせれば、彼らにとってその時に最善と考えられる策を立案するには足る。その、彼ら自身が考え出した彼らにとって最善の策が、公儀の意とするところと同一になるよう情報の幅を調整する。軽にはそのように情報の断片を組み合わせて赤穂の家臣に漏らすことを要求されているのであるが……

 「無論、それと悟られてはなるまいぞ」

 そう、ここが難しい。あまり勘の良過ぎる人物であれば、こちらの意図を見抜いた上で思わぬ行動に出るやもしれぬ。まさか、老中の命により吉良を討つ、なぞと高言されては敵うまい。また逆に、勘の悪い人物であれば、いくら情報を与えたところでそれを事実の集まりとしてしか理解せぬやもしれず、それではそもそも吉良を討つことすら叶うまい。

 「さらば、赤穂藩筆頭家老の大石内蔵助良雄と申すは、平素は愚鈍で昼行灯などと称されているようではありますが、実はなかなかの切れ者との評にございますれば……」

 次善としては、仮にこちらの意を見抜いたとしても、その意に沿って動いてくれればそれでもよかろう。大石が切れ者であるとの評であれば、まずは断片を組み立て直してくれることは期待できようか。さて、昼行灯であればどうか。我が意を貫き通す頑固者でなければまずはよしとすべし。それが伊賀の長の結論であった。

 「既に人選を済ませておったか……流石は伊賀の諜報網と言うべきか……」

 既にそこまで読んだ上で軽をこの場に送り込んできたのであろう。さればその献策を受け入れるのもよいであろう。

 「では軽よ、早速赤穂まで下り連絡をつけてくれ。なお、これは軽自身に行って欲しい」

 「はっ。長からもそのように命を受けておりますれば、早速」

 さて、ともかくも策は動き出した。これは、我ら公儀と大石某との合作となろうが、果たして首尾はどうなるであろうか。軽には言わなかったがもうひとつ、この策には難しいところがある。すなわち、赤穂の家臣どもの最も血気盛んなる時に待てと言い、吉良の家臣どもの最も警戒の低いときにやれと言う。大石がこれを理解したところで、その大石に他の家臣どもを御すること能うであろうか……

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