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一七〇一年三月十四日十八時 田村右京大夫邸

 「上意。浅野内匠頭長矩。其の方儀、意趣を以って吉良上野介を理不尽に切り付け、殿中をも憚らず、時節柄と申せ、不届至極。よって切腹仰せつける」

 出合の間にて、上座に座った検使大目付庄田下総守が上意を告げる。長矩は平伏しつつ、少しも取り乱すことなく礼に適った態度で応じる。

 「今日不調法なる仕方、いかようにも仰せつかるべきところ、切腹と仰せ付けられ、有難く存じ奉り候」

 上意下達の儀はこれで終了である。無論、打ち首などと言う不名誉な刑罰をも覚悟していた長矩としては、切腹申し付けられることで武士としての最後の面目が立つことに、多少の安堵を覚えている。面を上げた長矩は、涼やかな笑みを浮かべて続ける。

 「大目付庄田下総守殿、目付多門伝八郎殿には、お役目とは申せわざわざのお運び、ご苦労に存ずる」

 上意の体を取っているため庄田の方が上座にいるが、本来幕府旗本に過ぎない大目付や目付より、五万石の大名である長矩の方が格上である。上意下達が終了すれば、上位者として役目を労うのも礼法のうちであろう。

 「ところで、先刻某が吉良殿に切りつけた傷、吉良殿のご様子は……」

 長矩は出合の間に呼び出された時、次の間に寵臣の片岡が控えているのを知っていた。最早言葉を交わすことは叶うまいが、最期に一目視線が合った。何故、此度の刃傷に至ったか、片岡は解してくれるであろうか。先の我が遺言の真意は……いや、理由などは分からずともよいが、国許の大石ならきっと我が意を果たしてくれようか。片岡が大石に伝えてくれれば、あるいは……

 「さよう、吉良殿の傷は額にひとつ、背中にひとつ。浅手のようではありますが、何分ご高齢のことゆえ、あるいは一命は……」

 死に行く長矩へのせめてもの情けであろうか。流石に立場上最後の一句は告げられなかったが、多門は多少の誇張を以って長矩に答えた。長矩の行為が無駄ではなかったと伝え、以って無念を晴らさせたかったのであろう。無論、切り付けた本人である長矩自身は、その傷が浅く致命傷ではないことをよく承知している。しかし、そのような多門の優しさが嬉しかった。そして何より……片岡をはじめ残した家臣達は吉良の顔を知らないが、額と背中の二つの傷、これで吉良上野介を見分けることが叶おう。いつか、家臣達が我が意を成就せん時……そのように夢想しながら、長矩は多門に微笑を以ってその好意に謝した。


 やがて、白装束に着替えた長矩は切腹の場に案内され、用意された布団の上に座した。検使役の座にある庄田下総守が長矩に問う。

 「死出にあたり何か申すべき存念あらば申されよ」

 「さらば、お願いしたき儀これ二つあり。ひとつは、介錯には我が差料をお使い頂き、その後は介錯人に下げ渡して頂きたい」

 「うむ」

 庄田は軽く頷き、長矩が護送された際に江戸城から別送された長矩の太刀を持ってくるよう指示した。しかしこれは擬態であり、実際には先に田村右京大夫に対しては別の指示をしてある。


 「よいですか、田村殿。大名や貴人の切腹に際してはその介錯にはその差料を使い、また介錯の後には介錯人に下げ渡すのが礼法ではありますが、此度は何しろ殿中での刃傷。上様のお怒りも格別のことなれば、武士の情けゆえ切腹申し付けられたとは言え、実質は打ち首に違いござらぬ。よって、介錯刀の選定とその下げ渡しはご無用に願いたい」

 「分かり申した。されど庄田殿、もし浅野殿がそれを望まれた場合にはいかがされるご所存か。よもや断る訳にもいかず……」

 「左様、その際は承知した風を装われよ」

 こうして、長矩の一つ目の願いは結果的には入れられず、後に長矩の差料はその遺体と供に葬られることになる。


 「あとひとつは、差料をお取り寄せ頂いている内に、硯箱と紙をお借りしたい」

 こちらの願いはすぐに聞き届けられた。長矩はゆるゆると墨を磨りながら辞世を考える。桜舞い散る四月の庭先で、花と共に散り逝くわが身である。ふと、古の歌を思い出す。

 「花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは 我が身なりけり」

 作者である西園寺公経も恐らく、雪のように花の舞い散る庭でわが身の行く末を思ったことであろう。いや、自身は為すべきことをした。武運つたなく果たすこと能わざれども、なほ遺志を継ぐものは現れるであろうか。

 「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとかせむ」

 筆を取った長矩は、想いを載せて辞世を書き付け、それを田村右京大夫に手渡した。片岡は、そして大石は分かってくれるであろうか。


 こうして見事な最期を遂げた長矩の遺体と遺品は、月番老中土屋相模守の許可を得た長矩の実弟大学長広の指図により浅野家家臣が引き取りに出向き、芝高輪泉岳寺に葬られた。後に長矩には泉岳寺九世和尚酬山潮音により冷光院殿前少府朝散大夫吹毛玄利大居士の戒名が授けられる。またこの時、寵臣片岡源五右衛門と磯貝十郎左衛門の両名は、主君の墓前で髻を切って殉じた。亡き殿様からの寵愛を思えばここで追腹を切りたい片岡ではあったが、まだ自分には為すべきことがある。国許に戻り殿様の最期を報告することと、あとひとつ。殿様のご無念を晴らすことと……

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