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一七〇一年三月十四日十六時 田村右京太夫邸

 罪人を護送するかのような、錠が降ろされ網をかけられた駕籠に乗せられて、浅野長矩が田村邸に運ばれた。屋敷につくと長矩が入れられたのは、襖は全て釘付けの上、板囲いをして錠の降ろされた、薄暗い一室であった。

 いわば座敷牢に入れられた長矩は、そこで家臣に手紙を書きたいと紙と硯を所望するが断られ、さらば家臣に伝えて欲しいと言って口頭で遺言を残した。

 「この段、かねてより知らせ申すべく候へども、今日やむを得ざることに候ゆえ、知らせ申さず候、不審に存ずべく候」

 遺言、と言っても、所詮この程度のことしか遺せなかった。これでは家臣らも何のことかは分かるまい。かねてより知らすべく……何を?やむを得ざること……何が?ほとんど禅問答の如くではあるが、遺された者達は果たして分かってくれるであろうか?


 その頃、長矩切腹の検使として、正使の大目付庄田下総守と副使の目付多門伝八郎が田村邸に到着した。検使一行は玄関先で田村右京に迎えられ、大書院に通された。しばらく後、副使の多門が役目柄田村右京に問う。

 「浅野殿切腹の場所を予め検分したいが、案内してもらえぬか」

 切腹の場所や拵えが礼法通りでない場合、後に譴責されるのは検使である。従って多門の態度と要求は正当なものであった。しかし、何故か正使の庄田がそれを阻もうとする。

 「切腹の場所については先刻某が絵図面で確認しておるゆえ、検分は無用であろう」

 無論、正使がそう言えば、それ以上食い下がる必要は無いのであろう。しかし、先の詮議の際にも同様、多門にはどこか長矩に同情的なところがあった。また、目付の詮議不十分なうちに一方的な採決が下ったことに対する不満と、何よりも役目への強い正義感が多門を突き動かす。

 「そうは申されても、某にも検使としての役目がございます。まして仮に落ち度などありましたら某にも責任がありますゆえ、某も予め検分致すべきかと存じます」

 そうまで言われると庄田の癇にも障るが、多門の言は正論でもある。庄田としては敢えて身分意識を振り回した表現を使って、多少感情的に多門の言を封じ込めようと試みる。

 「大目付の某が検分したと申すに、副使目付の分際で正使に指図するなど言語道断」

 一方、そうは言われても多門としては、ここで引き下がる訳にはいかない。だが身分が下の多門には感情論をぶつけるわけにもいかず、正論を論じ続ける以外の法がない。

 「検使は庄田様お一人ではござらぬ。何も落ち度がないよう万全を期すため、某も副使として参上仕っております。それの分からぬ庄田様ではありますまい」

 結局、庄田は捨て台詞を吐くことで多門の論に折れた。

 「そうまで申すなら勝手になさるがよろしい」


 田村右京大夫に切腹の場所へ案内された多門は、あまりの無法に驚いた。そこは、小書院前の庭前であり、玉砂利の上に畳を並べて布団を敷き、廻りに幔幕を張り巡らせただけの粗末なものであった。五万石の大名を切腹させる作法とは遠く離れた扱いであり、このような扱いをすれば検使役として後にきっと咎められるであろうし、そもそも田村殿もその不明を謗られることであろう。

 「田村右京大夫殿、この場所にしてこの拵え、正使庄田下総守殿のお指図か、それとも田村右京大夫殿のご一存か。そもそも浅野内匠頭殿は赤穂五万石、一藩一城の主にござる。それを庭先で切腹させるなど、以っての外でありましょう」

 「多門殿、これは絵図面で正使大目付庄田下総守殿まで申し上げ、既にご承諾得たもの。決して某一存での拵えにはござらぬ」

 「さらば、大名の切腹の礼に適うべく、書院にて早速拵え直すべきであろう」

 「多門殿の申しようは尤もなれど、今となっては詮無きこと。今更拵え直すには、時が足りませぬ」

 納得のいかない多門は大書院に戻り、庄田を詰問する。

 「先刻正使殿は絵図面で確認したと申されたが、五万石の大名をかような粗末な場所で、なおかつ庭先で切腹させるなど、武士道の礼にも適わぬ非道ななさりよう。さきほどは大目付たるご自身が確認したので副使たる某の検分は不要との仰せであったがこの不始末。後に某から上に報告させて頂く所存」

 庄田としては側用人柳沢出羽守より、内々に上様ご立腹のご様子を伺っている。そして、その意に適うためには多少の懲罰的な仕置きが必要であろうと感じている。確かに柳沢は、浅野に対する懲罰的な仕置きは勅使の手前上やむを得ないという趣旨のことに触れた。柳沢としては先に将軍綱吉の意を察したように、幕閣の中で浅野への一方的な仕置きに疑義が生じるのを防ごうと考えていた。そのため、勅使院使へのお詫びの意を体する要を説き、以って長矩に刑を与えるの真意を理解させようと考えた。しかし実際は庄田の忖度が過ぎ、更にはその意が田村にはより過剰に伝わったと言えよう。結果として幕府は、本来柳沢や将軍綱吉の考えていた程度を超えた苛烈さを以って、長矩を罰することになった。それがこの切腹の場である。

 「大目付の某がよいと申している以上、余計な口は差し挟まないで頂こう」

 側用人柳沢の意である、とは言えぬため、より高圧的な態度で応じざるを得ない庄田に多門が反論し、口論が激烈さを増して行こうとするところに、田村右京大夫が口を挟む。

 「検使のお二方にお伺いしたいのですが……」

 しばしの間が庄田と多門の熱を急速に冷ましていく。

 「実は今しがた浅野家の家臣、片岡源五右衛門と申すものが当屋敷に参りまして、浅野殿のことが心配で伺候したとの由」

 「うむ」

 得心のいかない様子で先を続けろと言わんばかりに庄田が相槌をうつ。

 「その者が浅野殿の仕置きについて尋ねるゆえ当家の家臣が切腹仰せつけらると伝えたところ、その片岡なる者の申すには、今生の暇乞いにせめて主君に一目合わせて欲しいとの由。いかが仕るべくか、検使殿の御沙汰をお伺いしたい」

 「せめてもの武士の情け。浅野殿に上意切腹申し渡す際、その者を無腰で次の間に控えさせ浅野殿に対面させるのは如何。某の責任においてそのように取り計らうがいかがであろうか、庄田殿」

 「そのようなことは多門殿の勝手になさるがよろしい」

 庄田、多門両名とも、この取り計らいを以って先の口論を収めるべく暗黙の手打ちとしたが、これにより片岡は主君の最期に立ち会うことが叶った。

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