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焚火と哲学と言い訳

作者: 磯野 光輝

「なあ、俺考えてたんだけどさ」


「どうしたんですか? 急に」


 私がそう問い返すと、彼は少し迷うようなそぶりを見せましたが、私に片手を差し出しながらまた直ぐに話し始めました。その手は焚火に照らされて儚げな光を放っていました。


「ここに一個のリンゴがあるだろ?」


「いいえ、ないですけど」


 彼が私の面前でひらひらと動かしているのはまごうことなくただの手であり、それを握り返してみても決してリンゴなどという代物ではないのです。


「いやいや、仮にだよ仮に。別にリンゴでもバナナでも何でも良いんだけど、俺が今リンゴを食べたいからリンゴだという事にしてくれ」


「そういうことなら、まあ」


 きっと了承してあげないと、彼はいつまでもこの無益な仮定にとらわれ続けるのだろうと察し、私はしぶしぶ見えないリンゴの存在を認め、それを受け取るのでした。


「じゃあ、それはいったい何色だ?」


「赤……ではないですか?」


 そんな馬鹿らしい問いに、「は?」と一括したくもなりましたが、きっとこれも彼なりに現状を憂いだ結果なのだと好意的に解釈し、静かに答えました。


「本当に? 俺にはそうは見えない」


「……あの、何が言いたいんですか?」


「つまりはさ、それが常識ってことだよ」


 ああ、きっとこの人は連日の疲れが祟り、頭がおかしくなったのだと理解しました。かわいそうに。だからこんな冬山になんて来るべきでは無かったのです。


 そんなこんな、頭の中で愚痴を呟いていると、洞窟の外から雪交じりの冷たい風が舞い込んできて、私を咎めました。きっと後出しじゃんけんのように文句を言いたがる私を責め立てたいのでしょう。


「ごめんごめん。ちゃんと説明するからもう少し興味を持ってくれよ」


 彼は焚火に足を投げ出しながら言いました。僅かに雪が解ける音がしました。


「……はぁ。分かりました。他にやることも無いので聞きましょう」


 そう言いながら私は、手を焚火にかざしました。得体のしれぬざわめきが胸の内から沸き上がり、身震いを一つしました。それと呼応するように、焚火がパキリと弾けました。


「つまり俺らは『リンゴ』って言われると、赤くて球体の甘い果実を思い浮かべるわけだ。でもさ、俺にはその赤いってのが良く分からないんだ」


「と言いますと?」


「あー……実は俺、色弱なんだよね」


 はぁ、なるほど。と結論を聞く前にある程度の議論の外枠が見えてきて、少し合点が行きました。つまり彼のこの話は、哲学的に言い訳を述べていたにすぎないのでしょう。常識を疑え、他人の赤が自分の赤だとは限らない。……ですが今この場に限れば、私と彼の赤は同じなのではないでしょうか?


「俺にとっての赤は確かにある。が、それが他人にはどう見えているのかがまるで想像つかないんだ。だから焼き肉の時とかすごい困るんだよね」


「……なるほど、道理で」


 私が意味深長な目を向けると、彼は私の意図に気が付きました。


「……あ、もう大丈夫そう?」


「ええ、だいぶ」


 私がそう言うと、彼は慌てて肉を焚火から遠ざけます。


「はぁ、本当だ。もう少し早く言ってくれよ」


「他人の焼き加減の好みにケチをつけるべきではないと思いまして。特にこんな……」


 私はそこで口を噤み、大きなため息をつきました。


 ……私の方も、そろそろ頃合いでしょうか。かざしていた手を確かめてみると、そこには程よく焼けた肉がありました。


 味はどんなものでしょうか……いいえ、私たちにそんなことを気にする余裕も権利も無いのです。ただ今日を生きる。そのために、私は「彼女」に感謝をささげてこの言葉を言いました。

「いただきます」


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