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魔女会


 なれそめか、なれの果てか。

 夢に迷い込んだようだった。視界がぼんやり煙った。過去なのか今なのか、希望か不満か。願望か現実か。

 女友達との会話はあてどなく話が飛ぶ。ビアガーデンにするか迷った挙げ句に入った広いバルで、夢と(うつつ)が入り交じっていた。

「今、なんの話をしていたっけ?」

 靖子の携帯が鳴ったので、女子会の会話は中断した。靖子も、はっとして現実に戻って来た。残された者たちはもう顔を見合わせた。

「喧嘩したって所までよ」

「誰が?」

「芽衣が、彼と」

 友人たちに背中を向けて、席を外そうと中腰になった靖子は、着信欄を眺めながら取るかどうか迷う。迷っているうちに、着信は消えた。

 耳にあてると少しだけ金属質になった春馬の声が聞こえてくる。

『今、どこにいる?話がしたい』

 留守電機能なんて久しぶりに使ったなと靖子は考えた。

 靖子はそのまま携帯を置いた。今日は金曜日、女友達との楽しい会話と、男友達の切羽詰まった声のどちらを優先すべきだろうか。

 芽衣の声が戻って来た。

「喧嘩の最中にも、自分の癖や考え方を『私の基本スペックは』とか『おれの仕様は』とかいう風に表現してるの。妙な方向になってるなと思ってたら相手も同じことを考えてるみたいで、喧嘩も勢いがなくなってきちゃう。大真面目にそういうこと言ってるのが、だんだん可笑しくなってきて」

 きびすを返すと、じっと見つめる視線が靖子を待っていた。友人たちは正確には、男一人、女三人だ。

「いいの?」

「いいの」

 靖子はきっぱり言い放つと話に戻った。

 一人は新顔だった。いかにも仕事帰りに一杯という風情の落ち着いた服装の大人の男女の中に、明らかに一人だけ異質だ。

「それで、どうしてこの子が飛び入りすることになったのよ」

 靖子とは大学時代から腐れ縁の葉月が、あきれたように新入りを顎で指す。

 飛び入りは、満面の笑顔で勝手に自己紹介をした。

「柏木靖子さんの後輩の、根本れもんと言います。今日は先輩に勝手に付いてきちゃいました!」

「久しぶりに春馬を連れてくるっていうならわかるけどさぁ」

「お、わが社の若手ホープ、藤枝さんともお知り合いなんですね?皆さんキレイだし、ぴちっとスーツきめて迫力ある集団になりそうだなぁ、圧倒!」

 そう言うれもんはラフなロングスカートで、カジュアルな帽子までかぶっている。

 彼女以外のメンバーはすべて三十代、それもちょうどぴったり三十才、ぴったり昭和五十年生まれで揃っている。れもんの指摘通り、いかにも仕事帰りのスーツは女たちがこれだけ揃えば形も様々なら色彩も鮮やかだ。

 靖子と葉月、芽衣とれもんが並んでいて、紅一点ならぬ男一人の空は、興味深げに見渡した。靖子は背が高くきりっとした顔立ちで、何とはなしに近付きがたい。葉月は口調は辛辣なのに顔だけは甘く可愛くて背が低い。芽衣はショートヘアで平凡、この集まりの中では紛れてしまう。れもんは腰までのロングを揺らしていて、くるくる輝く大きな目だが芽衣とは逆にどことなく奇妙だ。どの女性もそれぞれに美点があり欠点がある、と空は考えた。そして美点を称賛するよりも、欠点をあげつらった方が、より個性も際立つし楽しいのだ。

 れもんは丸い目を動かしている。好奇心、いたずら心でいっぱいだ。

「三十を超えてもまだ独身で結婚する気もない集団、ギリギリ女子会だって聞いたから、私も参加できると思って、お邪魔しちゃいました」

「靖子あんた、どんな説明してんのよ?三十って何もギリギリじゃないでしょ、普通よ、普通!」

 気色ばむ葉月を無視して、空がもの柔らかな声で聞いた。

「独身や結婚とか関係ないし、女子だから集まってるわけじゃない。僕は男、芽衣ちゃんは既婚ではないけど事実婚の彼がいる。君はいくつ?」

「二十六です。えーと、空さん、あなたは葉月さんの彼氏さんですか?色目は使いませんから安心してください。そういうの、興味ないんで」

「彼は…」

 芽衣が言い淀むと、空は自分かられもんに微笑んだ。

「恋人はいるけど、葉月ちゃんじゃないんだ」

「そうなんですか?まあ、ぶっちゃけどうでもいいんですけど」

 また靖子の携帯が震えた。ごめんね、と謝りながら、靖子は携帯をいじった。

「サイレントにしとくわ」

「出たら?」

「いい」

「着信拒否は?」

「できない。あとがめんどくさい。職場の人だから」

「尚更出たら?」

 葉月が横から口を出した。

「ほっといたげて」

 訳ありなことをほかの友人たちも察して口をつぐんだ。

 れもんだけは、そんな気配にも気遣いにも無頓着だった。

「だって靖子先輩のお話を聞いてたら、絶対に気が合うと確信したんです。ズバリ皆さん、見た感じバリバリ働いてこの生きづらい時代を上手に泳ぎ渡ってる男女、仕事帰りにしゃれた店で一杯、みたいな格好してますがわかりますよ」

 れもんはニヤリと笑う。

「同じ臭いがしますもん」

 大皿に見映えのするパエリアが運ばれてきて、沈黙が落ちる。ウェイターが去ってからもメンバーは無言で顔を見合わせた。

「どういう風に?」

「そうですね、言っちゃっていいのなら」

 れもんは顎に指を当てた。芽衣がパエリアを取り分ける。

「モテないわけではないけれど、個性を捨てられないという理由をつけて、オタクな趣味の方をずっと大事にしているいい年こいて子供から抜け出せない男女」

 場が一瞬しんとして、靖子の後ろの席の女がちらっと振り返った。れもんは胸で握った指を広げて満面の笑みを浮かべてみせた。

「要は皆さん、オタクでしょ?お仲間です!」

 葉月がむきになって歯をむきだした。

「そんなわかりやすいテンプレのオタクやサブカル人間なんて、どこにもいないんだよ!昭和後期生まれは、ポップカルチャーなんて日常なんだから、どっかのツボには必ずひっかかってくるんだよ。そこで好みを極めるか、薄く上澄みをなぞって終わるか。これはもう性癖と同じ、千差万別、ひとくくりになんてできる問題じゃないの!一緒にするな」

「いや、それほど熱弁しなくても大丈夫だから」

 葉月が目をひそめ、れもんを見つめて威嚇した。

「何、ニヤニヤしてんの?」

「そうやって熱弁するところがお仲間だって言いたいんだよ」

「オタクな話題なら任して下さい、大抵のネタならついていけますよ」

「何系なの?」

 つい、芽衣が釣られた。

「今のトレンドは歴史です、ゲーオタもやってますが、アニメ枠は一通りチェックして全部とは言いませんがほぼ録画してます。父親が筋金入りなので、昭和の話題もいけますよ。なのはやエウレカ、今期充実のラインナップですね!声優のおっかけもやってます。お母さんがアイドルオタで、ぼくもジャニ、韓流、中国アイドル、一通りいけます」

「間口広っ!あんた何者?」

「そこまで広くも深くもないわ。うちら広くユルいから」

「あっ、でもそれは感じます。もうちょっと、お上品ですもん。サブカルってよりカルチャー。正統派の読書とか、西洋絵画とか。美術館の梯子の話、してましたもんね。でもそっち系も好きですよ」

 あんたがいるから話がしづらいんだよ、と葉月がやり返したが、笑顔で怒ってはいなかった。

「遠慮しないで下さい。いつも通りのみなさんでいて下さい。ぼくは勝手についていくか、黙って楽しんでいますから」

 頭を抱えている靖子の背中を叩いて、空が耳打ちした。

「さあ、どうしてこんなことになった?」

「私にもよく分かんないのよ」

 靖子は今日、食堂で女子職員たちとランチをする気になれなかった。

「昼休みに書店に入ったの」

 考え事をしながら上の空で書店へ入ると、ぶらぶらと棚を見て歩く。それほど大きくはないが、一通り揃っている大型店舗だ。一番売れ行きの雑誌に始まって参考書から、専門書、文芸、児童書まで見て回った。

 会社を出る直前に垣間見た春馬の背中を思い出す。彼は疲れて、元気がなかった。金曜日には、昼ともなると社内いっぱいから声にならない声が聞こえる。あとちょっと!もう少し!と期待と疲労に満ちた灰色と薔薇色が入り交じった空気が立ち昇って、天井がくすんだ紫色に変化していく。

 藤枝春馬は靖子と同じ大学、同期入社の三十才、葉月とは三人揃ってバイト先まで同じ仲だった。

 あれから大学を合わせれば十年にもなる長い付き合いだ。会社を出てすぐの路地の壁に長い体を折って寄りかかり、携帯を耳にあてている姿がまざまざと浮かんだ。すっきりとした卵形の形良い顔立ちがふっと暗くなる表情が見える気さえした。彼には心底悩む理由がある。逃げるように外へ出て、書店へ入った。靖子も疲れていた。

 ふと肩が触れあって、サングラスの若い女性とすれ違った。きちんとした隙のない格好にハイヒールだが、腹が突き出ている所を見るとどうやら妊婦のようだ。靖子の後ろでよろけて人にぶつかり、本が床に散らばる。店員が慌てて走り寄った。

 靖子は落ちた本を拾うのを手伝うと、歩き続けた。

 最後に辿り着いたのは、人気(ひとけ)がふっと切れた場所にあるマニア誌の棚だ。靖子はいつもは周囲を伺うのに、その日はぼんやりしていた。

 多少優柔不断な性格を除けば、春馬は完璧すぎる。彼にけちをつける気はない。だが靖子が彼を避けて書店に入ったり、メッセージや着信を無視して閉じる理由はある。

 ありすぎるほどある。

 藤枝春馬は、一年前に結婚しているのだ。


 時計を見てからカウンターに並ぶと、さっきの妊婦らしき女性が後ろに立った。春馬の妻も妊娠中、臨月が近くて里帰りをしている。

 靖子は、男女の友情を信じていないわけではない。それでも、妻の里帰り中に相談に乗ったり、飲みに付き合ったりしても胸を張れるほど、春馬との仲が完全に恋愛感情抜きの純粋なものかと聞かれれば、素直に頷けない。

 リスクがあるなら、近寄るべきではない。それが靖子の結論だった。

 硬貨の音とガサガサとした袋の音がして、前の人が会計に手間取っている。

 ふと視線を感じて目を上げると、書店の入り口で見たことのある顔が、靖子の手元をじっと眺めていた。腰までのロングヘアーに、好奇心の強そうな目だ。

(根本れもんだわ)

入社して数年目、創業支援やコンサルティングをしているN社の営業部に配属されたばかりの新人だった。

 靖子は反射的にさっと雑誌を隠そうとして、好きな雑誌を堂々と買えないような仕草を恥じた。

 れもんはとっくに雑誌を凝視している。

 靖子の顔は真っ赤になったが、強いて笑顔を作り手を振ったので、相手もぴょこんとお辞儀を返した。

 背の高い靖子の姿勢のよい後ろ姿を見ながら、後輩の女子は呟いた。

「見ちゃったぞ。キャリア女子の管理職第一候補が、ムーを買ってる」

 先輩としての威厳を精一杯保ちながら、靖子はつんとして去っていく。ニヤリと笑ってれもんは付け足した。

「かっこいい!」


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