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77.大蛇の吐息


 驚きに似ていた。そして同時に、絶望にも似ていた。


「…………」


 一人取り残されたユランは、ついさっきのヴィオレットを反芻していた。

 眉間にシワが寄り、瞠目した眼球の中には驚きと焦りが入り雑じって、今にも崩れ落ちそうなバランスで立っている。口角だけで笑ったその顔が笑顔だと、誰が信じるのだろうか。少なくともユランを誤魔化すにはほど遠い。

 自分を避ける様に遠ざかっていく背を追いかけるのは、きっと簡単だった。でもそれでは意味がない、むしろ、何の対策もなしにそんな事をすればヴィオレットの心を悪戯に乱すだけ。


 今のユランがすべき事は、彼女を追い掛け問い詰めることではない。

 彼女が何に驚き焦り、あんな表情に至ったのかを考え、その元を絶つ事。


(家の事……とは、少し違うな)


 あの家がヴィオレットにとって針の筵なのは、今に始まった事ではない……いや、安住の地であった事が、そもそもない。

 それはそれで腹立たしい限りだが、だからこそヴィオレットは、あの家に今さら驚きなんてしないだろう。どんな衝撃的な出来事があっても、舞台があの家ならすぐに傍観と諦観に移行して終わる。

 降り掛かる害に少しの感情も動かない様、心を殺して嵐の収束を待つのだ。


(となると、なんだ? 俺が関わってるのは……多分、間違いないんだが)


 ある種、異常なまでに冷静で平淡な彼女があれほどまでに動揺する理由は限られている。


 クローディアか……それとも、ユランか。


 クローディアの可能性は低い。今のヴィオレットは恋心に盲従し暴走していたのが嘘の様に大人しく、それがアプローチの変化なのか、単純に恋心が冷めたからなのか……実際は後者に近いのだけれど、ユランがその理由を知るよしもない。

 何にしても、今のヴィオレットがクローディアの事であれほど心乱されるとは思い難い。となると、答えは一つなのだが。


(俺が何かした……ってのはないな)


 最後に会った時、彼女は楽しそうに笑っていた。仮にそれが作り笑顔であったなら、それに気が付かない自分ではない。ヴィオレットの機微には普段から最大限気を配っているし、可能な限り憂いの原因を排除だってしてきた。勿論ユランが手を出せる範囲なんて高が知れているけれど、多少の現実逃避が出来る程度の余裕はあげられてると自負している。


 だとすれば、他の理由。ヴィオレットが心乱される、ユランが関わっていてユラン本人が原因ではないそれ。


(俺とヴィオちゃんの共通って言ったら……あいつくらいしかいないんだけど)


 脳内に浮かんだ麗しい王子様のシルエット。ついさっき候補から除外したその人は、確かにユランとヴィオレット両方に因縁の深い相手ではある。ただ、今回は既に落選した身であり、関わりないだろう。

 だとすれば、クローディアの親友であるミラニアの方か……いや、無い。ミラニアの性格云々以前に、彼の言葉でヴィオレットがあれほど動揺するとは思えない。それが仮にユランに関わる事例であっても、いや、ユランが関わっているなら尚更。冷静に対処するヴィオレットの姿が簡単に想像出来た。


 後は自分の友人であるギアくらいだが……彼こそ絶対にあり得ない。あのマイペースが何を考えているのか、ユランにも推し量れない事があるけれど。他者への関心が薄く、傍観者気質の男である事は出会った時から知っている。ユランにもヴィオレットにも、取り巻く噂にも然程興味のないギアが、わざわざ火種を持ち込むとは思えない。そしてヴィオレットも、ギアに対してそこまで心を開いていないはずだ。

 心を開いていない相手に、彼女の心は動かない。


(となると、他の誰か……ヴィオちゃんが動揺する様な相手を俺が把握してない訳ないんだけど)


 はぁ……と、手詰まりにため息が漏れた。近くの窓に背を、窓枠に腰を預け、ぼんやりを天井を仰ぎ見る。漏れ出しそうな舌打ちを音になる前に殺して、輪郭のない敵がただただ腹立たしかった。


 次々に浮かんでは消えていく可能性が、少しずつユランの視野を狭めていく。自分にとって興味のない対象を、無意識に排除していた。


 ヴィオレットの不幸の種の一つであり、ユランの事を知っている人物がもう一人。ユラン個人にとってはそこいらの有象無象同等に無価値で、ヴァーハン家という憎悪対象の中に入れてはいたが、個人を認識した事は無い。

 そしてきっと、そんなユランの感情なんて言葉にしても信じないくらい、無知で無邪気で鬱陶しい人物。


「ユラン君っ! 今帰りなの?」


「……あぁ、そうだけど」


 花が舞い踊る様な、可愛らしい笑顔だと、大衆は言うだろう。鮮やかな青色の瞳を輝かせ、風に揺れる髪の一本一本までが美しい。

 愛情を受け、愛情で育ち、優しく成長した少女に人はどんな夢を見るのだろうか。


「あの、良かったら少しお話しませんか?」


「……そうだね、少しなら」


 ユランの返答に、メアリージュンはより一層笑みを深めた。きっと多くの人は、その背後に大輪の向日葵でも見るのだろう。明るく、柔らかく、愛らしい女の子にお似合いの風景を想像する。

 

 ユランは──その首に蛇を見た。

 黒く、太く、少し力を込めれば、メアリージュンの細い首なんて一瞬でへし折れる様な、大蛇の姿を夢想した。

 自分の吐いた言葉達が、その首にまとわり付いていく姿を、想像した。


 恐らく、ヴィオレットの異変の原因は目の前の女で。その一端に、ユランが絡んでいて。それはつまり、メアリージュンがユランの何かを使ったという事で。

 それがヴィオレットとの関係性なのか、ユランという存在そのものなのかは分からないが、どちらにしても良い方向ではないだろう。

 メアリージュンがどういった意図を持っていたは知らないし、どうでもいい。ただ彼女がユランを使って、ヴィオレットに何かしらの不利益をもたらしたという事実だけが重要だ。


(探り、いれとかねぇとなぁ……)


 目の前の女が何をしたのか、知らなければならない。知って、考えて、ヴィオレットの心を慮らなければならない。それが第一、ヴィオレットの健やかな生活の為に、全ての憂いは排除されるべきなのだから。


 そしてもし、メアリージュンがその憂いになり得るのなら。家なんて大きな括りではなく、メアリージュン個人として、きちんと対処しておかないと。


 ユランの言葉一つで息の根が止められる様に、しなければ。

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