75.偶像憧憬
一番初めに違和感を抱いたのは、兄から離れて女の子と話す様になった頃。
可愛い服も、アクセサリーも、言われるがまま着てはいたが興味を引かれた事は一度もなくて。同じ年頃の子達が楽しそうにお互いのドレスを褒め合っているのに、自分だけは馴染む事も出来ずに曖昧に笑うしか出来ない。
沢山のフリルやリボンを、可愛いと思う。ただそれを身に纏うのは、動き辛いから好きではなくて。視線は送れても手は伸びない程度の魅力しか感じない。
結局、着飾る事に義務以上の意味を見出だす事は出来なかった。
女の子は、可愛い物が好き。虫や爬虫類は苦手。咲き乱れる花畑を美しいと思い、色鮮やかな毒キノコに見惚れたりしない。どれだけ純度の高い原石でも、磨かれていない宝石を身に付けたいとは思わない。
女の子を、女の子が夢見るお姫様を、知れば知るほど自分とはかけ離れていく。
幸い容姿だけは誰もが理想とするお姫様像に近かったから、それに倣えば期待に応える事は簡単だった。
ただゆっくりと、時間を掛けて、周囲と自身のロゼットが乖離していく。それを悲しいと思った事はない。思うよりも早く、仕方がないと諦めたから。
ただ気が付くと、理想ではないロゼットの必要性だけが、宙に浮く様になっていた。
自覚しても止められなかった、変えられなかった。
止めようとも、変えようとも、思わなかった。
隠す事に息苦しさを感じる事も、知られる事を恐怖する事もあるけれど、手放したいとは思わなかった。
だから、いつかこんな日を迎えると──心のどこかで知っていたのだ。
× × × ×
その日届いた荷物に入っていたのは、兄からのプレゼントという名目のロゼットが頼んだ物。
この学園では手に入り辛い……仮にあったとしても、きっと手に取れない類いの物。爬虫類だけでなく、昆虫や毒草の図鑑を持っている所なんて、あまりにも理想のお姫様から掛け離れている。勉強の為というにも無理があるラインナップだろう。
それでも、興味を持ってしまうのだから仕方がない。わざわざ選びに向かわずとも、自然と手が伸び視線が行くのだから、抗うだけ無駄なのだ。幸いこの趣味を知る唯一の人、二人の兄は受け入れてくれている。それだけで、自分が間違っているなんて錯覚は打ち消せた。
別に良いや、なんて、気楽に考える事だって出来た。隠す事への罪悪感なんて、もう何年も前に捨て去って。
これがロゼットなのだと、心の中でだけは胸を張れた。自分だけの世界では、誰よりもその心に従えた。
それが虚勢であるのだと、気が付くのはいつだって一歩遅く。
「え……っ」
誰もいないと、決め付けていた。事実今まで、そこに人影を見た事などなかったから。
薄暗く、花の芳しさより土と葉の泥臭さが染み付いたその場所は、ロゼットにとってはお気に入り。誰も寄り付かず、時には小さな侵入者まで観察出来る、一石二鳥のスポット。
彼女は、そこに座していた。
曇天に散りばめた宝石の様に、影の中でも鮮烈な存在感。ここは彼女のテリトリーなのだと、無意識に感じてしまう様な。どんな場所であっても、きっとこの人は似合わないなんて言われたりしないのだろう。
彼女が溶け込むのではない。周囲が、その存在に沿いたがるのだと、思わされる。
驚きに染まった表情さえも、美しい。
「ヴィ、オレット、様」
誰もが、その名を知っている。その姿に目を奪われる。惹かれると同時に、遠ざけたがる。その視界に映りたいと望み、同時に畏れ、怯え、身を固くしてしまう。
数える程しか話した事はないけれど、彼女を取り巻くあらゆる噂と印象は知っている。それが上辺をなぞっただけのものであったとしても、多くの者にとっては真実で。
欠片の事実も知らないロゼットも、そんな幻に現実を見る一人だった。
一瞬の恐怖。それが伝わった事を知って、焦って、誤った。恐怖の先にいたのは確かにヴィオレットだったけれど、その理由は彼女にないのだと。
焦りは隙だ。瞬間的に出来る弱点だ。ほんの一瞬、優先順位を狂わせる、錯覚だ。
「……図鑑?」
そしてその錯覚に、まんまと足を取られたのに気付くのは結果が出た後。後悔とは後から悔いる事だと、思い知らされる。
怖くて、恐ろしくて、否定されたくなくて。幻滅に歪む表情を、想像するだけで体が強張る。美しい唇が、ロゼットの事実を切り刻む未来が脳内を巡って。
──脳内にある映像など、所詮は妄想だと知った。
「あなたが何に惹かれても、それはあなたの自由だもの」
それはきっと慰めでも何でもない。言うなれば、ただの無関心で、自分は彼女にとって理想を夢見る価値もないのだと。
視線と共に、外された意識。彼女の世界に自分が写らない事が、心の奥をざわめかせる。遠ざかる人影が振り返ってはくれないかと、強すぎる願望に目を逸らす事も出来なかった。
一瞬前までとは真逆の焦りはいつだって自分の傍らにあったもの。いつだってロゼットにまとわりつき、ついには諦めさせたもの。煩わしいと感じる事さえ忘れるくらい、当たり前にのし掛かっていた重力の正体。
強烈に惹かれた。手を伸ばすのも憚られた。ただ、そこに近付きたいと思った。夢を、幻を、真実ではない何かを、その背に重ねてしまった。
思い至る、初めて知る。
あぁこれが──『憧れ』なのだと。




