05.どうか全てが円満に
マリンに頼んで実現した自室での食事は、何故だかとても楽で美味しかった。味付けが変わった訳ではなく、ヴィオレットの心の持ち様からくる変化だろう。
父やメアリージュン達が部屋を訪ねてきたけれど、全てマリンが対応してくれたのでヴィオレットは顔を合わせていない。
ヴィオレットもわざわざ素直に出向いて無理矢理夕飯の席に出席させられては堪らないので、体調不良を理由に寝室へ籠らせていただいた。わざわざ誘いに来ずとも家族水入らずを満喫して貰って構わなかったのに。
「ヴィオレット様、シェフからお茶菓子の差し入れです」
夕食を終えソファの上でぼんやりとしていると、席を外していたマリンが戻ってきた。その片手には白いトレイ、空気に乗った甘い香りがヴィオレットの鼻をくすぐる。
「あら……デザートならもう頂きましてよ?」
「本日はお疲れでしょうからと……今お茶の用意を致します」
夕飯を食べた後なのでそれなりに腹は満ちているが、その辺はシェフの方も分かっているのだろう。ヴィオレットの好みを網羅しつつ、一つ一つが一口よりも小さく作られていて全体的な量はそれほど多くはない。
「まぁ……ありがとう。後で私からも礼を言わないと」
目の前のテーブルに置かれたお菓子達は食べてくれと言わんばかりに美味しそう。そして同時に食べてくれるなと言わんばかりに可愛らしい。
疲れた時には甘い物だと、ヴィオレットを気遣ったシェフ達が腕を振るったのだから味だけでなく見た目も素晴らしいのは当然だ。
「ふふ、太ってしまうわね」
夕飯の終わった、夜と称して差し支えない時間帯。多くの淑女が体型を考えて食を、特に甘味を避けるだろう。
勿論それはヴィオレットも同じ。クローゼットに詰まった体にフィットするデザインのドレス達を思い出すと、体型維持は必須。
しかしそれと、目の前に並べられた好物達とを天秤にかけたなら、結果は明白。火を見るよりも明らかというやつだ。
「ヴィオレット様はむしろもっと太ってください。胸囲ではなくウエストと太もも辺りを」
「無茶を言わないで欲しいのだけれど……私だって好きでこの体型ではないわ」
「それは私に対する嫌味ですか、受け取りましょう」
「違うわよ!」
女性らしさが際立っているヴィオレットとは対照的に、細く引き締まっているが故に女性らしさの少ない体付きのマリン。軽口の内容にするくらい、マリン本人は気にもしてなければ不満もないのだが。ヴィオレットの方は割りと真面目にマリンの方が理想的だと思っている。
胸が大きく腰が細いというのは、確かに女性らしく美しい。そして望んだからといって必ず手に入る類いの物ではない。
それを望まずとも手にしているヴィオレットは、正しくスタイルの良い女性だ。
しかしだからといって、それが必ずしも良い方向に作用するかといえば……全力で否定する。
「まぁ正直、ヴィオレット様の大変さを知っていますから羨ましくはないのですけれど」
「……私をよく理解してくれていて嬉しいわ」
今までの経験を思い出して、思わず額を押さえてしまったのは仕方の無い事だろう。
社交界で刺さる、自分への視線。色々な意味で主張の激しい体付きに対する周囲の感想と対応。 その意味が理解出来ない頃でさえ、肌にまとわり着く様な感覚に嫌悪感を覚えた。
今では対処法として壁の華に徹する、必要以上の愛想を振り撒かないを習得し、表面上は恙無くこなせる様にはなった……裏ではどうか知らないけど実害がなければ良し。想像は現実になり得ないのだから。
「……これからは、あの子も出る様になるのでしょうね」
「…………」
あの子、とは言わずもがな、メアリージュンの事。
いつになるかは見当がついている……というより、知っている。前回はヴィオレットの大反対もあってかなりもめたのだが、今回は一切意見するつもりもないため問題なく進むだろう。
そしてその会場で、ヴィオレットは最初のしくじりを犯すのだ。
ヴィオレットが慕う彼と親しげに話すメアリージュンを指差し、卑しい娼婦の娘だと。事実というだけの言葉を好き勝手に振るい、赴くままにメアリージュンを傷付ける。
(思い出すだけでも頭が痛いわ……)
恋は盲目というが、あの頃の自分は正しくその言葉通り。自らに降りかかる理不尽全てをメアリージュンへとぶつけ、あろう事かそれを正当な権利だと思っていた。
元は妾の子であろうと今は本妻の子であり、その血は偽りなくヴァーハン家の物。例えヴィオレットが納得せずとも、メアリージュンは何の憂いもない『ヴァーハン公爵家次女』なのだ。
(少し考えれば分かる事だというのに……私も母の血を引いていたという事ね)
かつてその恋に人生を捧げ、最期まで見向きもされずに終わった母と同じ遺伝子。有能な父に才能を受け継いだのは、自分ではなくメアリージュンの方だった。
ヴィオレットにあるのは、父親譲りの艶やかな美しさと母親譲りの執着心。前回を踏まえた上でも、神の不公平を嘆いても良いのではないかとさえ思う。
勿論前回の様な失態は心の底から願い下げなので、どれも心で思うのみなのだが。
「マリンは、ヴィオレット様のお側におります」
「……ありがとう、でもそう気を張らないで。彼女の事はお父様達がどうにかするでしょうから、私達には関係のない事よ」
父の気を引く必要も、メアリージュンの邪魔をする気も無い。
しかしヴィオレットの知識にある出来事は自分が起こしてきた問題であるため、何もしないと誓っている現在あまり参考にはならないだろう。
マリンには関係ないと言いつつ、ヴィオレット自身は色々と気を回す事がありそうだ。
「何事もなく、終われば良いのだけれど……」
神への祈りに似た自分自身への願望は、誰の耳にも届く事なくヴィオレットの心に沈んでいった。