53.声は届く
ユランとミラニアが図書室へ行くと出ていってから、室内に残された自分達がどうなったのか。
ヴィオレット限定で穏やかなユランと、博愛主義な所のあるミラニアが抜けて、残ったのはコミュニケーション能力の低いヴィオレットとヴィオレットへの対応に悩んでいるクローディアと来れば……。
「…………」
「…………」
そりゃあ気まずい。どちらがどうとか、何が悪いという訳でもないが、どことなく空気が重いしぎこちない。
(ユランと二人の時はどんな話してたっけ……)
元々ヴィオレットは口数の多いタイプではないから、ユランと二人でも基本的に相槌を打ったり、彼が振ってくれる話題に乗っかる事が多かった。
沈黙になる事だって少なくはないけれど、一度も苦に思った事はなかった。自分は沈黙が平気なタイプなのかと思っていたけれど、どうやら相手によるらしい。
休憩の名目上、休まねばならないとはいえ、現状はあまり精神によろしくない。勉強している方が休まる気がしてきた、心が。
「……そういえば」
「っ、はい?」
まさか話しかけられるとは思っていなかったので、一瞬言葉に詰まってしまった。何とか頷けたのでセーフだと思いたいが。
視線は手にあるティーカップに落ちたまま、考えを巡らせているのか、少しずつ言葉を紡ぐ姿は自分と同じ様に気まずさを感じているからだろう。
「カルディナの茶葉を正式に取り入れる事になった」
「試用期間が終わったんですか?」
「時期が限られる事に難色を示した者もいたが、それ以上に味が良かったからな」
以前にヴィオレットが提案した茶葉の変更は、割りとあっさり導入された。勿論まずはお試しで、だが。権力を持つ者は新しい物を求めるのと同時に、新しい物を受け入れられない所がある。とんでもない矛盾だが、大人になるとそれに気付く人は一気に減るせいか、未だに根強く根絶の道は遠い。
学園という場所は柔軟な若い学生を相手にする為まだマシだけれど、それでも躊躇する者はいる。お試し期間を設けられただけでも驚きだったが、それが正式に定着するとは。
「私はまだ行っていないのですが、サロンの利用者が増えたと聞きました」
「良い物を知るのは俺達にとって義務だからな。申請も通りやすかった」
どうやら生徒会としても満足する結果となったらしい。喜びを分かりやすく口にする事は無いが、それでもクローディアの口角は上がっているし、どことなく柔らかな雰囲気を感じた。
余計な口を挟んで仕事を増やしてしまった身の上としては、彼らの労働に伴った成果は喜ばしい。本来なら猫の手(仮)なヴィオレットの意見など突っぱねられてもおかしく無いのだから。
「ヴィオレットのおかげだ、ありがとう」
「いえ、私は何も……」
「でもよく知っていたな。試用を始める時に調べたが、カルディナの情報はほとんど出回っていないだろう」
「元々知名度の低い国ですからね」
地理を把握しているなら名前は知っていたり、クローディアの様に場所も分かる者もいるだろう。ただほとんどはそこで止まる。
それほど特徴的な何かがある訳でもない小国。名前を知っているだけでも大したものだとは思うが、だからこそヴィオレットがそれ以上の知識を有していた事が不思議らしい。
「家のシェフが、よく珍しい茶葉や食材を振る舞ってくれたので」
昔から……それこそ自分が生まれる前からヴァーハンの家で働くベテランは、料理の腕は勿論、知識も豊富な人だ。食材選びにもこだわるし、オリジナルレシピに開発にも余念がない。以前は食育に熱心で、沢山食べさせようとしてくる彼が苦手だった。
それがヴィオレットの事だけを考えた料理に変わったのは、ヴィオレットが『男の子』になり始めた頃。
食事の仕方から好みまで父と同じ物を要求され、涙目で必死に口を動かし胃に詰め込んでいくヴィオレットに、彼は己のすべき事に気が付いた。
食育など、している場合ではない。下手をすればヴィオレットはこのまま食事そのものを嫌いになってしまう。体が拒絶を始めるのも時間の問題だ。
そこからは、ヴィオレットの好みを知る為に彼はあらゆる料理を作った。王道から珍味まで、時にはお菓子やお茶にも手を出して。すでに美味しいという感覚が息絶えていた為、まずは少しでも食べていて苦にならない物を、と。
少しずつ少しずつ、ヴィオレットの食の現状を変えて、今では好みだけでなく栄養バランスまで加味した献立を考えられるまでになった。当時の影響で嫌いになってしまった物も多いが、嫌いと思えるなら改善は出来るだろう。
カルディナを知ったのは、そんな最中。
美味しいと聞けば何でも手に入れて試していた時、空耳程度の噂話でカルディナを知った彼は、勿論すぐにそれをヴィオレットに与えた。
「とても美味しくて、手に入ると真っ先に知らせてくれていたんです」
しかしそれも、父が戻ってきてしまった今ではもう無理だろう。
今までは金額を提示した所で何に使うか気にされた事などなかったが、それは実母が生きていたからだ。
母がいなくなり、父も共に住んでいる家でヴィオレットを優先する様な動きをしたらどんな結果を招くか……同じ物を要求されるだけならまだしも、十中八九ヴィオレットが責められた後、メアリージュンへ恩恵が移動するのが落ちだ。
ヴィオレットに使える人間は、庇えばそれだけヴィオレットに被害が行く事をよく理解している。だから何も出来ないし、ヴィオレット自身も望んでいない。
諦めてしまう方がずっと楽で平和だと知っている。だからあの日、口に出した提案を後悔したのに。
「まさか学園で飲める日が来るなんて……言ってみる物ですね」
自分の言葉が、意見が、誰かの耳に届くなんて思わなかった。
小さな声は届かない。喚いた所で、不快に思われて終わる。それでも必死になって、身体中から溢れる想いを叫んではいたけれど。結局罪に問われるまで、その無意味さに気が付かなかった。
それが今は、自分の言葉に考え、飲み込んでくれる人がいる。かつて傷付け振り回したクローディアが、ヴィオレットの言葉に耳を傾けてくれた。
「お礼を言うのはこちらの方です。ありがとうございます」
ごめんなさいはもう言えない。後悔するほどの罪を犯したけれど、それをクローディアに謝罪出来る機会を、自分は永遠に逃してしまった。
それならせめて感謝だけは、なんの躊躇いもなく伝えたい。償いなんて大袈裟な事ではなく、ただ間違い続けた日には歪ませてしまったあらゆる想いを、今なら素直に伝えられるはずだから。
「ッ、……では、お互い様という事に、する」
「え……」
「俺もお前の感謝を受け入れよう。だから……お前も、俺の感謝を受け取れ」
どんな暴君だと言いたくなる台詞だ。面を食らっているヴィオレットの視線から逃れようと、クローディアはむすりとした表情でそっぽを向いた。
髪の隙間から覗く耳は、綺麗に赤く色付いている。
まさか、照れているのだろうか。
自分の目を疑いたくなったが、むっすりとした横顔は耳と同じくらい色付いているし、居心地が悪そうに目も泳ぎっぱなし。
眉間にはシワが寄っているけれど、不機嫌というより拗ねている様にしか見えない。
あまりに珍しい……というか、初めて見るその顔に、驚きで呆けてしまったのはわずかの間で。それが過ぎれば、何とも微笑ましく穏やかな感情が胸を埋めた。
「……っ、ふ」
「っ……!?」
「ふ、っふふ、ごめ、なさ……、っ」
堪えきれなかった感情が吹き出して、口を押さえたけれど無意味だった。何とか噛み砕いてクスクスに留めてはみたけれど、驚いたクローディアの顔を見れば完全にバレている。謝る声まで震えてしまえば、説得力なんて有った物ではない。
「笑うな、阿呆」
「は、い……っ」
「……ったく」
肩を震わせているヴィオレットに、折れたのはクローディアの方だった。初めは不愉快だと全面に主張していた顔から険が抜け、仕方がないとでも言いたげな苦笑が漏れる。
止める事を諦めたクローディアがカップに口を着けた時、カチャンと金具が外れる音がした。
「ただい、ま……ヴィオレット嬢どうしたの?」
「……ヴィオちゃん?」
「……知らん、放っておけ」
片手で口を押さえてクスクス笑うヴィオレットと、呆れながらも楽しげなクローディアに、帰宅者は疑問に首を傾げるしかなかった。




