03.弟は大切に
さて、ヴィオレットが修道院へ入ると決めた卒業まで残り約二年。
やりたい事は、正直山ほどある。
今までは母の望みに答え、その後は家のために令嬢として恥ずかしくない行動を。唯一望んだ『愛されたい』という願いは後悔の元である。
ヴィオレットの狂気に身を任せた行動に元々少なかった友人も一人二人と去って行った。これは自分の自業自得なので特に文句も恨んでもいない。元々家柄で繋がっていた様な関係だった事もあり、また仲良くする気にもならないが。
しかしそうなると、叶えられる願いは限られる。
思いっきり体を動かしたい。これは一人でも出来る。
学校帰りに寄り道。これも一人で出来る、寂しさにさえ耐えられるなら余裕。
友達と遊びに行く。これはアウト、友達と付いている時点でアウト。
(……結構色々出来るものね)
休み時間、クラスメイトが気を遣って話し掛けてこないのを良い事に、一人ノートを広げて色々書き出してみた。
やりたい事を節操無く綴ったが、一人で出来る事も案外多い。
周りは皆友達作りに必死だし、かつての自分もそうだったから友人とは何をするにも必要なのだと勘違いしていた。しかしよくよく考えるとお手洗いに複数で行く必要性はどこにもない。
人と関わらずに人生を謳歌する計画のヴィオレットには嬉しい発見だ。
「早速今日の放課後どこかに寄ろうかしら……」
あぁ、でも今日はメアリージュンの転入を祝うとか何とかいっていた気がする。
自分の入学に関しては祝う以前に顔も見せなかった事を思い出すと、父は本当にメアリージュンを愛しているのだろう。分かっていた事なので今さら待遇改善を求める気はない。
しかしかつての……一度目の自分はこの祝いの席で盛大にメアリージュンを罵倒した、食べ方や話し方振る舞い全てにケチを付けて。
父が最低限の教育はしていたとはいえ、メアリージュンはこの間まで普通の平民と席を並べてきた。その中ではかなり上品な方だったとしても、貴族に入れば作法知らずのレッテルを貼られて当然。
ヴィオレットだってそんな事は当然分かっていた。だからこそまだ貴族の仕来たりを初歩も理解していないメアリージュンには出来るはずのない無理難題を吹っ掛け、出来ない彼女を嘲笑ったのだ。
我ながら性格の悪さに辟易しそうになる。
(というより、私は必要かしら……)
家族水入らずの邪魔になるだけではないか、不機嫌に眉間を寄せる父の顔が簡単に想像出来る。
とはいえ何の報告もなく夕飯の席い遅れれば、あのお人好しな母子はヴィオレットを待つだろう。そして父はそんな二人に従うはずだ。
(……マリンに頼んで、夕食は部屋に持ってきて貰いましょう)
本来はあまり誉められた事ではないのだけど、今回は特別という事で。ヴィオレットとその他家族の間に聳え立つ壁と刻まれた奈落の溝を知っているマリンならば、そして他の使用人達も同情こそすれ咎めはしないはずだ。
「あ……っ」
やりたい事を綴っている間に時間が経っていたらしい。時間を知らせる鐘の音が聞こえないほどボーッとしていた様で、先生が教壇に立ったののが視界の端に入って漸く授業が始まった事に気が付いた。
急いで教科書を準備して、ノートのまっさらなページを開いた。
× × × ×
授業の内容は一度やったものなので理解にはさほど困らない。流石に全てを覚えている訳でもないし、一度目のヴィオレットにとって最も重要だったのは勉学ではなかったため分からない部分もある。それでも二度目は二度目、復習に近いせいかすんなりと頭に入ってきた。
これは嬉しい誤算、良い成績を残せば父も口出しして来ないだろう。一度目でも口うるさく言われていた訳ではないが、メアリージュンが天才肌だった事でよく比べられていた。
天才でも秀才でもない、反則技に近いが勉強で大切なのは過程でではなく結果。人より一回多く授業を受けているとはいえ、教わった事を理解し自らの糧にしているのはヴィオレット自身の力だ。
思わず言い訳めいた考えを巡らせてみたが、誰に言うわけでもないそれは不毛なのでやめよう。
どちらにしろ放課後になってまで勉強に必死になるほど好きな訳でもないのだ。
「さて……」
帰ろう──そう思って鞄を手に立ち上がった時。
「ヴィオちゃん!」
「っ……!?」
突然自分の愛称を呼ぶ声が聞こえて、反射的に肩が跳ねる。何事かと思ったが、それも一瞬。
自分を『ヴィオ』の愛称で呼ぶ人間は、一人しかいない。
「……ユラン、声が大きいわ。皆がビックリしてしまうでしょう?」
「あ……ごめんなさい」
しゅん、として分かりやすく肩を落とす姿は大きな身長に反して随分と小さく見える。力なくへたった犬耳と尻尾は幻覚か。
彼はヴィオレットの幼馴染みに当たる後輩、ユラン・クグルス。
赤茶の猫っ毛に、優しい印象を抱かせる黄金色のたれ目。大衆の中あっても埋もれる事のない長身は迫力があり怖がられても不思議はないのだが、その笑顔に周りが抱くのは好感だろう。美しく整った容姿に穏やかな性格を兼ね備えた理想的な好青年。
家は王族の分家筋に当たり、父親は国の宰相として王を国を支えている。兄弟はおらず一人息子……という事になっているが、ヴィオレット同様少し複雑な事情のある家庭だ。自分と違い、両親の愛はユランに惜しみ無く注がれてはいるけれど。
「それにわざわざ二年の教室まで来るなんて……何かあったの?」
大きな声で自分を呼ぶ事はたまにある。焦っていたり、嬉しかったり、周りへの配慮を忘れてしまうくらいに感情が高ぶると声量に反映されてしまうらしい。
しかし平常では優しく穏やかで、あまり目立つのを 好まないタイプだ。立っているだけで人目を惹く容姿である事を正しく理解した立ち振舞いをする。
上級生の教室に大きな声を上げて雪崩れ込むなんて、相当の理由がなければ思い付きもしないだろう。
「噂を聞いたんだ……ヴィオちゃんのお父様の事」
みなまで言わずとも理解出来た、ユランが自分を訪ねた理由。
ヴァーハン家に後妻が入った噂が耳に入ったのだろう。ユランはメアリージュンと同級生なのだから学年を隔てていない分広まる速度も早かった事だろう。
何よりその噂は事実であり、ヴィオレットは新たな母を得ている。
「……場所を変えましょうか」
事情を説明するにしてもまだ人気の残る教室は舞台として不向きだ。特に隠している訳ではないが、わざわざ周りに吹聴するものでもない。
噂とは否定肯定に関わらず、伝言ゲームと同じ。どれだけ伝え方に気を付けたとして、必ず間違った伝わり方をするものなのだ。
前回のヴィオレットはそんな事にも気が付かず、ありとあらゆる所で義母義妹に対する毒を吐き続けていた。ほとんど事実の無い毒が最終的にヴィオレットの身を滅ぼす一因となるのだから、因果応報自業自得。その末路を知って尚、同じ行動をとる気にはなれまい。ヴィオレットが掲げるのは目立たずの信念。
相手がユランでなければ、この場で適当にあしらっていただろう。弟の様に可愛がっているユランだから、その心配を解消してあげたいと思ったが。
人気の無い場所を考えながら、ユランの腕を引いて教室に背を向けた。