第二話 不変の庭
月日が経つのはあっという間で、毎日が充実していれば更に速度を上げて過ぎ去っていく。明日が来るのに怯えて、夜が永遠であればいいと願った頃が嘘の様だ。そのくらい、幸せに満ちた三年間だった。
ユランが学園を卒業してすぐヴィオレットの姓は変わった。結婚式だなんだと慌ただしかったのは初めだけで、ユランを見送り、ユランを出迎え、お休みと笑い合って眠りにつく日々。婚約時代から共に住んでいるからか、新婚だからと変わった事は少ない。同じ部屋で寝起きをする様になったくらいだろうか。
「ヴィオレット様、朝食はどちらで取られますか?」
「そうね……天気もいいし、外で食べようかしら」
「では、準備して参りますね」
どこもかしこも美しい白磁の屋敷は、長い時間を掛けてヴィオレットの好み一色へと成長した。家具から始まり、今では花壇に咲く花の種類までも。中でも外でも妻が快適に過ごせる様にと、ユランが気合を入れて作り上げた要塞は、今日も役目を全うしている。
今のお気に入りは、増やしたテーブルセットと周囲の庭園。丁度満開になった花々を眺めてゆっくり過ごすのが、ここ最近のルーティンとなっていた。
「はぁ……」
日差しと風が心地よい均衡を保っている。浴びる全てが柔らかくて、朝食を取った後は本でも読もうか、それとも裁縫でもしようか。今から始めれば大きい縫物も出来るし、刺繍をするのも良い。たしか無地のハンカチがあったはずだ。
「過ごし易い気候になりましたね」
「えぇ。ブランケットは片付けても大丈夫そう」
「念の為各部屋に一枚は置いて置くよう言われていますが」
「手入れが大変でしょう? ユランには私から言っておくから」
「では数枚残して後は片付けてしまいますね」
ヴィオレットのくしゃみ一つで常設されたブランケットは、当然定期的に交換もされて清潔に保たれている。しかしヴィオレット自身お気に入りの物を持ち歩いていたので、部屋にあるのを使う事はほとんどなく、ただ洗濯物が増えただけ。それなのに誰も不満の声を上げないのだから、この家の最優先事項をよく分かっている。
「何だか不思議な香りがするわね」
「どうやら最近スパイスの調合に興味がある様で」
「この間まできのこ料理に熱中してなかった?」
「シスイさんは『料理』というジャンルそのものに熱を上げてらっしゃいますからね」
鼻の奥を刺激する香りは慣れないものだったが、シスイが作ったなら口に合わないはずはない。いちいち料理の説明をする人でもないから、どこに凝っているというスパイスが使われているか分からないけれど、シスイがヴィオレットに出しても大丈夫と判断したなら間違いはないだろう。
「マリンはもう食べたの?」
「ここ最近のまかないで嫌という程協力させられました」
「あらあら……」
「ですが、おかげで良い出来だそうです。味は私も保証します」
「ふふ、それは楽しみ」
朝食の席は、黄金色のパンとスープで整えられた。バスケットに山を作る三つ編み達、合わせたスープは大きめの具材がごろごろ入っていて、食後のデザートは冷蔵庫の中で出番を待っている事だろう。
緑一杯の景色も相俟って、ピクニックしている気分だ。広大過ぎる庭は毎日場所を変えても新しい顔を見せてくれる。
「食事が終わってからも少しゆっくりしようと思うの」
「それは良いですね。今日はお洗濯日和の良い日差しですし、後で何かお持ちしましょうか」
「そうねぇ……」
小さく千切ったパンを口に入れて、もぐもぐと咀嚼する間考える。日差しは気持ちいいし、遠くに聞こえる囀りも素敵だ。何かに集中するには日差しが柔らかすぎて眠ってしまいそうだけれど、それもまた有意義な時間だろう。うたた寝をしてしまってもおやつの時間になったらマリンが呼びに来てくれるだろうし、今日は、今日も、訪ねて来る人はいない。
「本でも読もうかしら。しおりを挟んだものが部屋にあると思うから、それをお願い出来る?」
「勿論」
ティーポットを持ったマリンが穏やかに笑う姿も、この三年で慣れてしまうくらいに見て来た。生家にいた頃も二人の時にはそうして笑ってくれたけれど、強張った表情の方が何倍も多い。
優しさに満ちた毎日だった。この日々が終わる夢に脅えても背を撫でてくれる人がいて、目覚めれば笑い掛けてくれて、そんな幸せを日常にしてくれた。大好きだと言えば同じ言葉と抱擁を返してくれる。世界は小さくて良いのだと、この広く小さな箱庭で生きる事を許してくれる。
変わらない毎日、変わらない、私の世界。
その全てが果ての無い愛情で、全部全部、私の為だった。




