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192.最後のさよなら


 捨てる決心なんて大袈裟な物ではない。そもそも先に捨てられたのはヴィオレットの方なのだから、これはただの気持ちの問題だ。お前らが私を捨てるなら、私もお前らを捨ててやる、と。


「今日が最後……もう二度と、この家の敷居をまたぐ事はないわ。絶対に、戻っては来ない」


 いつか、なんて夢はもう見ない。いつか分かり合えるなんて、許せるなんて、愛せるなんて、思わない。そんな日は来させない。ヴィオレットはヴァーハンの名を捨てたのだ。捨てた先で、愛する人の手を取った。


「全部全部、ユランのおかげ。こんな日が来るなんて、夢にも思っていなかった」


 息がしやすい、それだけの事が、こんなにも尊い。この部屋に閉じ籠るしか守り方を知らなかった、ベッドの上で丸くなっているしか出来なかった、そんな日々が遠く感じる。

 この家で唯一の逃げ場だと思っていたけれど、今見渡しても一つにすら未練を描けない。結局ここも、ヴィオレットにとってその程度の居場所だった。生まれてからずっと過ごした部屋だけど、鉄格子のない牢屋と何が違ったのか、今となっては分からない。


「だから、良いわ。もう何も必要ない」


 清々しいと言わんばかりに、古びたクリスマスリーフだけを大切に抱えて笑う。マリンがトランクにしまったアクセサリーケースは、ケースごと宝石店に買い取られる事だろう。


「マリンの方は大丈夫?」


「私はシスイさんが持って来てくれたので全部ですから」


 ヴィオレットから貰った万年筆は肌身離さず持ち歩いているし、他の大切な物は既に手元に戻っている。給金で買った物はまだ自室に残っているだろうけど、持ち帰る程ではない。


「二人が良いなら、部屋の物はこっちで処分しちゃうね。家具くらいしか残らないと思うけど、忘れ物とかない?」


「えぇ、大丈夫よ」

「問題ありません」


 ヴィオレットが頷き、ユランが指先を鳴らした事で、さっきまで置物の様に立っていた者達が一斉に動き出す。元がヴィオレットの物だからか、扱いは丁寧だけれど、行き着く先はどれも塵捨て場という不思議な光景。

 元々ヴィオレットの私物なん人が生きる為の日用品くらいしかなかった部屋だ、このまま任せていれば三十分もしない内に人が住んでいた形跡なんてどこにもなくなっている事だろう。

 ヴィオレットなんて娘は、初めから存在しなかったかの様に。


「じゃあそろそろ帰ろうか。お土産沢山買ってお疲れ様会しよう」

「良いですね。茶葉は取り揃えていますので、ご安心ください」

「あぁ、この間頼まれたやつ。それ俺が飲めるの少なくない?」

「珈琲はルームサービスで頼めますよ」

「それもそうか。一応豆も買ってくから、置いといてくれる?」

「かしこまりました」


 淀みなく話を進める二人は、視線こそ絡んでいないが、会話はテンポよく嚙み合っている。まるで昔からの知り合いみたいに、主従と言うには少々気安さが強い様に見受けられるけれど。

 想像よりもずっと親し気に見える二人に、ヴィオレットがきょとんとしてしまうのも当然ではあったが、愛する二人の仲が良好であるならば喜ばしい限りだ──と、ヴィオレットには微笑ましい光景に映っている様だが、実際はただただ事務的なだけである。


(……あ、)


 帰り支度を始めた二人に倣って、最後に自分の部屋であった場所を見渡す。どんどんと箱に詰められていく私物達に比例して、部屋から主の存在感が減っているはずだというのに、僅かな違いも見当たらない。

 箱の一番上に、バーガンディの表紙をしたノートが一冊。一度出してからは隠す事も書く事も忘れて無造作にしまったままだった日記。机の二番目の引き出しの奥に隠していた、秘密。


「ヴィオちゃん、もう大丈夫?」


 ヴィオレットがこの家で生きて来た記録。

 これからのヴィオレットには、必要のない記憶。


「……えぇ、今行くわ」


 かつての自分を手放して、差し出された手を取った。

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