186.家族愛
五人の人がいる。笑っているのは、二人だけ。後の三人は、沈んだ顔が一人と今にも殴り掛かって来そうなのが一人、何の感情も窺えない無表情が一人。
結婚する為の挨拶の場としては、笑顔の二人が本来相応しいだろう。しかし場の雰囲気からすると、この状況で笑えるなんて、情緒が可笑しいのではないかと疑いたくなる。それくらいに空気は冷めているし、何処にも暖を取れそうな話題はない。
「本日は、お時間をいただきありがとうございます」
にこやかに挨拶をするユランとは対照的に、父の顔は今にも火を噴きそうな険しさだ。本当は今すぐにでも掴み掛かりたいのだと、表情だけで物語っている。やっぱり正攻法でなく先代に直接掛け合ったのは正解だったと、ユランは自分の選択の答えを知った。
名目上は政略的な利益の為でも、内側に優しい楽園を築いているのなら、それはあまりに幸福な結果だ。ただでさえ、オールドは政略結婚の失敗を体験して嫌悪どころか憎悪しているというのに。
「本日は私共の婚約と、それに伴う彼女の移住についてご報告に上がりました」
まぁ、既にご存じだとは思いますが。
いっそ仮面にも見えてくる変化のない笑顔は、温かみも親しみやすさもない。むしろ小馬鹿にしている様にしか見えない。当然だ、事実馬鹿にしているのだから。
歯を食い縛る音が聞こえる。視線に殺傷能力があったら、既にユランもヴィオレットも死んでいただろう目で、父であるはずの男は娘を睨み付けていた。憎悪、殺意とも呼んで然るべき激情が見て取れる。それに表情一つ変えないヴィオレットが忌々しくて堪らないと。
まるで、かつてのヴィオレットを見ている様だ。組み敷いて凶器を振り上げた先の、メアリージュンの瞳に映った自分と、今の父はそっくりで。やはり自分達は、呆れる程に似た者親子だ。
「裏工作の様な真似までして、随分と不作法な……生まれというのは存外馬鹿に出来んものらしい」
苦し紛れに舌を打った父の言葉に、初めてヴィオレットの表情が崩れる。椅子から離れそうになった体を、ユランの手が優しく留めて、とろける様な笑みで大丈夫だと頷いて。
スッと逸らされた視線は、ヴィオレットへ向けていたものとは全く別の意味で歪む。嗜虐的な冷笑で、美しい言葉を並べて。
「発言にはお気を付けて」
シィ、と、内緒話をする様に口元に指を立てる。子供の様にあどけない行動の先は、今にも倒れそうな少女の姿があった。
「私の様な生まれの人間は、貴方の想像よりもずっと多いのですよ?」
そう、例えば、貴方の大切な大切な妾腹とか。
「ッ……」
真っ青になったメアリージュンは、泣き出しそうに歪んだ顔を隠す余裕すらない様だ。父の発言に傷付いたというよりは、自分の立ち位置を正しく認識させられた衝撃が強かったらしい。
父親からの愛を疑わない辺りは、真っ当に愛され過保護に守られて来たからこその自己肯定感。何ともまぁ美しい家族愛であるが、その信頼こそがメアリージュンの首を絞める縄だ。
そんな父ですら、妾の子をそんな風に捉えている。かつてユランが投げ付けた破片が、再びメアリージュンの純粋な心根を蝕み膿ませているのが手に取る様に分かった。まさか勝手にそっちで爆発してくれるとは、嬉しい誤算とはこういった時に使うべき言葉だろう。想い合う親子の愛と衝突なんて、面白くもなんともないけれど。
「まぁ確かに、卑しいと言われて然るべき生まれではありますが……前当主様にはお気に召して頂けた様なので」
お前にどう思われようと、関係がない。今からどう足掻こうと、この決定は覆らない。そうなる様に取り計らったのはユランだが、足掻く術を捨てたのはオールド自身だ。
オールドが自分の価値を示し続けていれば、こんな結果にはならなかった。ユランの血統なんて、所詮は妾との混ざり物。クローディアに不幸がない限り、日の目を見る事は無い。いくつかの土産もぶら下げてはいたが、それでも、ヴァーハン家を存続させる一番簡単な方法はヴィオレットを使った政略結婚だ。
オールドがユランを上回る価値さえ持っていれば、ヴィオレットを生贄に出来る舞台を整える事だって容易だったはずで、メアリージュンは花畑で笑っているだけで幸せになれた。
酷く冷徹で合理的で、だからこそ先の先まで見通す男を、ベルローズの父だからと遠ざけたのが運の尽き。恐ろしい程に国だけしか愛していない男から失望された時点で、オールドは現状維持用の駒でしかない。
──すらりとした白い指先が揺れた。
「あのぉ……少し、宜しいかしら?」
不気味以外に、なんと表現すべきだろうか。この冷え切った室内で、いっそ修羅場とでも表した方が正しい場で、嫋やかに笑む姿は気味が悪い以外に言いようがなかった。空気が読めていない、なんて次元を通り越している。彼女には皮膚感覚が備わっていないのだろうか。いや、この場では情緒や感受性、協調性の方だろうか? 何にしても人間性に問題がある事は間違いないだろう。
少女の様なかんばせの母親は、しっとりとした笑みを傾げて、自分の望みは全て叶うのだと言わんばかりに曇りがない目で、ユランを──ヴィオレットを、凝視した。
本当に、人を見る目の無い男だ。ついでに学習能力もなかったらしい。
こんな女を、美しく清らかな聖女だと感じるなんて。
「その結婚、メアリージュンでは駄目なのかしら?」




