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181.破れ鍋綴じ蓋

「坊ちゃん、こんな所で寝ないで下さい」


 ソファの上で紙に塗れたまま寝こけている姿は、さっきまで眉間に皺を寄せていたとは思えない程柔和な印象を抱かせる。ユランを知る人間のほとんどは、彼を寝顔のままの柔く和やかな男だと思っているらしい。

 確かに笑顔と言葉の使い方が上手い男ではあるが、心に飼っているのは人を喰らって成長する獣だというのに。


(またリストの整理をしてたのか)


 机の上や床だけでなく、肘置きに頭を預けるユランの腹にまで落ちている紙束は、どれも家具や日用品のリスト。

 必要な設備は粗方整ったというのに、未だユランが寝泊まりしているのは、シスイが食事を取る一室に簡易ベッドを置いただけの休憩室。そのベッドも週に一度使われたら良い方という有り様で。ユラン達の部屋は必要最低限の日用品しか揃っていない。屋敷を丸ごとヴィオレットの好みで揃え終わるまでは、屋敷の主である自分すら仮置きの身として扱うらしい。

 用意周到な様で大雑把。慎重な様で無頓着。人も自分もどうでも良くて、本来は無欲恬淡とした人間なのだろう──ヴィオレットさえ居なければ。


「坊ちゃん、せめて捨てる物だけでも避けて下さい」


「…………」


 肩を揺すると、目を開ける事なく眉間に皺を寄せて一点を指さす。

 起きているのかいないのか微妙な所だが、睡眠の質が良くない事は以前から聞いていた。寝付きも寝起きも最悪で、悪夢を見る事も少なくないと言う。魘される事も飛び起きる事もなく、いつも静かに眠っているから、言われるまで気が付かなかったけれど。

 指さされた方を見ると、他の所よりも沢山集まった紙達がなだらかな山を作っていた。焚火をする前の枯れ葉の様な有り様で、決して分けて置いた訳ではないだろう。昨日も一昨日も同じ量を見た気がする。


「毎日取り寄せるくらいなら、お嬢様に直接聞いた方が良いのでは?」


「その選択肢を作る為に厳選してんだよ。今はまだ、一から選択させてもストレスにしかならない」


 欲しい物を聞いても、欲しい物が思い付かなくて、何を乞うのが正解かも分からなくて──途方に暮れる。

 そんなヴィオレットの姿が簡単に想像出来て、選べる様になっただけマシになったと思うべきか。


「……せめてもう少し量を減らして貰えませんかね。紙ゴミの溜まり方が尋常じゃないですよ」


「分別しなくても良いんだから適当に纏めて置けばいい」


「まぁ、そこは楽ではありますが」


 二度寝する気はないのか、腹に散らばっていた紙に目を通し始めたユランは、もうシスイの存在なんて置物同然だろう。

 下手な物に触って怒りを買っては面倒なので、黙ってお眼鏡に適わなかった落選紙達を拾っていく。個人情報でもないチラシの山なので、後で大きさで纏めて縛るか袋に詰めるか、どちらにしても大した作業ではない、毎日の事でさえなければだけれど。

 拾い上げたカタログ達は、どれもヴィオレットが好みそうな物に見える。シスイが知っている範囲での話ではあるが、それでもあの家ではマリンい次いでヴィオレットを知っている自覚があったのだけれど。ユランにはどれも基準を満たない下等品であるらしい。


(よく見てる……いや、それ以外を見てないのか)


 大きいとはいえ、ユランの長身を収めるには全然足りないソファの上は寝苦しくてかなわないだろう。食事だって今のキッチンでは大した物は作れないし、入浴だって烏の行水。

 人として最低限の生活を送り、後は全てヴィオレットへ費やす。

 横目で見たユランの表情は、自分と話していた時の無機質さが嘘の様に穏やかだ。それが幸せで、それだけが望みだと、その表情が物語る。

 随分と歪んだ恋だ。ユランも、そしてヴィオレットも。歪んでいて、傷付いていて、欠けていて。それでも果て無く一途に恋焦がれる姿は、純愛と呼ぶべきなのかもしれない。


「羨ましくはねぇな……」


「は?」


「いいえ、何でも」


 己の人生は彼の人の形をしているのだと、照れもせずに言い切れるユランを尊敬はするけれど、全身ピッタリ重なり合わせて、二人を一人にする様な恋は、その善悪以前に不向きだ。いや、向いている人間の方が少ない気がする。


「良いのが見つかると良いですね」


「見付けるさ、絶対」

 

「……あ、そういえば」


「今度は何」


「ご婚約、おめでとうございます」


「……今?」


「言ってなかったなと思いまして」


 きっと出会わない方が健全だった二人で、歪まなかった想いで――出会わなければ、幸せになれなかっただろう人生。

 ならもう、そういう二人だと割り切ってしまった方が良い。二人はそれで幸せになれるし、それを見たマリンも自分の事の様にその幸せを噛み締めるだろう。シスイにとっても、娘か妹の様に気に掛けていた者達が幸せそうで喜ばしい限りだ。

 世間よりも個人を選んでしまうくらいには、この若い主を気に入っているし。


「あ、起きたなら片付け手伝ったもらえます?」


「そうしてやりたいのは山々だが、今は忙しくてな」


「せめて体起こしてから言ってください」


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