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162.この繋がりを殺意と呼ぶ


 きっと、永遠に忘れない。

 彼といれば、彼女といられれば、幸せが更新される日はいくらだって訪れるのだろうけれど。それでも、その幸せの始まった日を。手を重ねて、隣に座って、笑い合うだけで胸が一杯になる事を知った、この時間を。生まれてきて良かったと、生まれて初めて思えた、あなたの隣にいる自分を。

 忘れない、忘れるはずがない。


 生涯色褪せぬ今日を、刻まれた記憶を抱えて、あなたと生きていくと決めた、今日の事。



× × × ×



「とりあえず、もうしばらくはこの部屋を使ってもらう事になるかな。話は通してあるし、学園にもここから通ってくれればいいからね」


「……ありがとう、何からなにまで」


「俺が勝手に用意した事だよー。家が決まるまでの間だけど、折角だから思いっきりくつろいで」


 至れり尽くせりとは正にこの事だろう。本当なら家も全部揃えて迎えに行くつもりだったので、ユランにとってはこれでもまだ足りないのだけれど。施されてばかりのヴィオレットは、ただただ恐縮するばかりだ。甘えてばかりは心苦しいけれど、現状何の力も金も持たないヴィオレットは、ユランから与えられる全てに甘んじる他ない。

 どこか肩を落としているヴィオレットに、何かしらの罪悪感を感じているのは簡単に察せられた……が、ユランからすると楽しくて嬉しくて仕方がないので、全力で甘えてもらいたいくらいだ。その辺はこれから時間を掛けて慣れていってもらうつもりだけれど。


「テストまでには登校出来そう? 無理そうなら俺から話しておくけど」


「それは大丈夫。体調とかは全然問題ないから、むしろ凄く軽いのよ」


「それなら良かった……じゃあ、怪我が治ったらにしよっか。迎えに来るから一緒に行こうね」


「えぇ、ありがとう」


 正直、学園も完全に安全かと言われれば否だけれど。メアリージュンはきっと何とかしてヴィオレットとコンタクトを取りたがるだろうし、クローディアや他の者がヴィオレットの敵にならない保証はない。少なくともユランにとって敵ではないと断定できるのは、学内ではギアだけである。とはいえそのギアも決して味方ではないのだけれど。


「それじゃあ俺はそろそろ帰るけど……マリンさん、ちょっとだけ付き合ってもらえる?」


「え……?」


 カップの中身を飲み干して立ち上がったユランが、ヴィオレットの傍で待機していたマリンに視線を向ける。予想していなかったマリンは、思わずその顔を不躾に眺めてしまった。ヴィオレットも不思議そうに視線をさ迷わせていたけれど、当人であるユランは綺麗な笑顔を崩す事なく。淡々とした口調は、マリンに向けて甘さも柔さもない。どこか、台詞染みた温度の無さがあった。


「ヴィオちゃんのと一緒に、マリンさんの服とか日用品とかも下に用意してるんだ。気に入ったのだけ運ばせるから、選別お願い出来る?」


「それは勿論、構いませんが」


「ヴィオちゃんはここで休んでててね。足怪我してるんだから!」


「大した怪我じゃないわよ?」


「俺、ヴィオちゃんの『大丈夫』と『大した事ない』だけは疑うって決めてるの」


「それは英断だと思います」


「マリンまで……」


 むっとして拗ねている表情も、ユランとマリンには可愛いという感想でしかないのだけれど。実際にヴィオレットは足を怪我しているし、過保護に過保護を重ねた二人が放っておくはずもない。出来るなら室内でもあまり歩いて欲しくないくらいだ、そこまでの拘束は逆にストレスになると諦めたけれど。


 何より、二人で話したい事があったのだ。ユランにも、マリンにも。

 ヴィオレットがいない場所で、彼女の耳が届かない場所で、交換したい情報がある。


「じゃあ、また来るね」


「それでは行ってまいります、ヴィオレット様」


 ひらひらと手を振り、微笑んで見送るヴィオレットに、同じ様な慈愛を込めて笑う。

 廊下は無言で歩いた。エレベーターに乗り込んで、扉が閉まって動き出したのを体感した瞬間に、笑みを湛えていた二対の瞳が温度を無くす。愛情を煮詰めて、幸福で飾っていた数分前が嘘みたいに、金色は鈍り夕焼け色は血に染まった。


「……それで、ご用は何でしょうか」


「気付いてたんだ」


「貴方ならヴィオレット様の好みを把握しているでしょうし、私の好みなんて興味もないでしょう」


「……思った通りの人で安心したよ」


「私もです」


 互いに前を向いたまま、視線すら向ける事無く話す。顔なんて見なくても、分かるから。きっと自分達は、それはそれは似た表情で、感情で、同じ物を心に描いて憤っている。礼儀も愛想も、今は不要だと分かっている。二人切りの時間は限られているのだから、無駄にご機嫌を窺う必要性も感じない。

 伝えるべきを簡潔に、そして正しく。自分達の間に必要なコミュニケーションはそれだけだ。


「家の人間に、君の事を伝えておいた。マリンの名前で連絡をくれたら、すぐに俺に繋ぐ様に」


 あの日、すぐに連絡の取次ぎをしなかった事。それがヴィオレットの怪我を増やした事。本来ならば件の使用人のクビを吹き飛ばしたい所だが、流石に両親の許しなくそんな真似は出来ない。その代わり、婚約の件と合わせて色々と報連相の見直しをした。

 ヴィオレットの所にはユラン以外の連絡を繋がない事。逆にユランの所に来た連絡は、全て素早く確実に伝える事。それはヴィオレットだけでなく、その傍に居るマリンも例外ではない。


「ヴィオちゃんのこれからの事は、さっきも言ったけどこっちで準備するから。君については、嫁入り道具としてじゃなくて俺の方で再雇用からのヴィオちゃん専属扱いにするつもり。じゃないと、また人質として使われかねないし」


「そうですね……では、お二人の入籍数か月前に退職の届を出しましょうか」


「それは任せる。どのみちヴィオちゃんをヴァーハンの家に戻すつもりはないし、新しい家が決まった時点でも問題はないだろう。こっちの方は、後君のサインで契約完了だから」


「そうですか……どちらにしても、私は一度戻った方が良さそうですね」


「その時は家のを一緒に行かせるから連絡して」


「畏まりました」


 既にあらかたの準備は整っていたから、この後の事は恙無く進行出来るだろう。本当はユランの卒業までに家を用意して、それまでヴィオレットにはヴァーハン家の別邸で過ごしてもらう予定だった。婚約と一緒にその許可も貰っていたのだけれど、オールドのせいで無駄になってしまった。ヴィオレットをあの家から引き剥がす口実を与えてくれたのは良いが、その代償が頬の傷だと思うと、何も嬉しくない誤算である。

 幸い、ユランにはランクの高い宿泊先を用意出来る財力と、すぐに自由に出来る家が揃っていたので、何とかなったけれど。


「この話、他の使用人にもしてもらっていいけど、人はちゃんと選んで。下手な奴に情報与えて邪魔されたら煩わしい」


「それは……私ではなく、シスイさんに頼んだ方が分かるかと思います」


 ユランが届けた荷物も、シスイと他のヴィオレット派の使用人で選んだのだ。ならば少なくとも、ヴィオレットにだけ意識を向けて来たマリンよりは、その辺りの事情に詳しいのではないか。

 思わず考え込んでしまったマリンに、さらりと何の澱みもない口調で、ユランが爆弾を投げつける。


「あぁ──そのシスイって人なら、あの家クビになったから」


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