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156.領域外


 ふかふかのタオルに包まれて、車に揺られながら向かった先は、国内でも指折りのラグジュアリーホテルだった。外交の為に来た要人を止まらせるには少々警備が心許無いかもしれないが、グレードだけならば当然の様に最高値だろう。本当ならばホテルではなく別荘でも用意したかったが、流石に今日の、それも一時間程度の時間。むしろこのグレードの宿を押さえられただけで称賛すべき所だろう。

 明日にはヴィオレットの希望も聞いて、ホテルのグレードを上げるか別の場を用意するかを決めなければ。


「ユラン、あの……」


「傷は平気?」


「え、えぇ、それはもう」


「よかった。部屋は上がったらすぐだから、もうちょっと我慢してね」


 完全に状況把握が出来ていないヴィオレットに対して、自分の笑顔がどれほど有効なのかは今までの経験で知っている。冷えと傷のダメージを心配しているのも嘘ではないが、それはこれから会う人の方が正しく美しい手当てが出来るはずだ。

 目的の階に付くと、扉はすぐそこだった。困惑に揺れるヴィオレットの目がユランを見上げて、しかし不安がないのは今まで築き上げて来た信頼のおかげ。警戒心が強い彼女だから、誰に対してもこんなに無防備であるはずはない。ただ、予想が出来ない出来事を上手く消化できない事への混乱は、信頼だけで拭えるものではなかったけれど。

 そしてその混乱の答えを上げるのも、自分ではない。


「ヴィオちゃん、手貸してね」


 体温を取り戻し始めた繊手に、さっき受け取った部屋の鍵を握らせた。その鍵とユランを、ヴィオレットの視線が右往左往して、戸惑っているのがよく分かる。


「俺はここまで。着替えとかは中に用意してあるはずだけど、何かいるものがあったらいつでも連絡して。ルームサービスも時間とか気にしなくて良いから、お腹空いたらちゃんと頼んでね」


 そこで初めて、ヴィオレットの瞳が不安に陰った。ユランが帰る事に対してである事は瞭然だが、こういう場で男に帰って欲しくないと思うのは、本来は彼女の身の安全的にあまりよろしい傾向ではないのだろう。対象がユランであるから、実害が出る事はないけれど。男性としての警戒心を抱かれない事は、悲しむべきなのか信頼を喜ぶべきなのか判断に困る。

 今日に関しては、どちらにしてもユランは退散する。ここから先は、ユランの及ばない領域だから。


「おやすみ、また明日」


 小さな頭の天辺に唇を落とすと、触れた髪は冷たかった。



× × × ×



 最後まで優しく柔らかく笑んで去って行くユランを、ただ黙って見送るしか出来なかった。傍にいて欲しいなんて、この状況で言える訳がない事くらい、今のヴィオレットにだって分かっていたから。むしろこれだけ色々と手を尽くしてくれた相手を、これ以上拘束する方がどうかしている。恋はあらゆる感情に作用するけれど、免罪符になってはくれないのだから。


 手の中にある鍵が、急に冷たく感じるのは、さっきまであった温もりがないからか。

 それとも、この鍵の先にあるもてなしに、罪悪感を覚えるからか。


(……家は、どうなっているのかな)


 感情のままに飛び出した。あのまま居たら、本当の意味で死ぬだろうと思ったから。殺される危機感よりも、どうせ死ぬならもっと良い場所で息絶えたいと思ったから。

 家の心配はしていない、されてもいないだろう。仮にこ今日誰にも見つからずヴィオレットがこの世から消えていたとしても、きっとあの家は何の感慨もなく回っていく。もしかしたらメアリージュンが何かしらの痛みを覚えるかもしれないが、ヴィオレットには興味がない。諦めているだけではあるのだろうけど、これも一つの割り切り方だろう。断ち切った、ともいえるのか。

 だから気になるのは家ではなく、残して来てしまった大切なもの。きっと心配している。泣かせてしまっただろうか。あんな風に置き去りにして、悲しんでいるに違いない。もしかしたら、自分が逃げた事で酷い目にあって傷付いているかもしれない。


 マリンは今、どうしているだろうか──なんて、唯一の心残りが、どうして。


「ヴィオレット様……ッ!!」


 どうして、ここにいるのだろうか。

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