14.反省は大切に
「ユラン……?」
予想外の名に、驚くよりも疑問を抱く方が早かった。
ミラニアがユランの事を知っている事については何とも思わない。ヴィオレット同様顔見知りであったとしても不思議はなく、仮に自分の知らぬ所で二人が交遊を深めていようとそれは彼らの自由。
問題はそこではなく、何故今この状況でその名が出てくるのかという事だ。
わざわざ聞かずとも見ていたのでは、もしくはすでに何かしらの情報を手にしているのではないかと思えてくる。
「あぁ、誤解しないで。俺に分かっているのはクローディアが何か悩んでる……落ち込んでるって事だけで、それ以上も以下も知らないから」
「では、何故ユランの事を」
「あ、やっぱ何かあったんだ」
「答えて頂けますかしら」
もしあの場で起こった事を知っているなら、ヴィオレットに黙っているという選択肢はない。ミラニアの認識がどの程度かは分からないが、僅かでもユランに責任があると判断されては困る。
「クローディアの様子からカマかけただけ、詳細は何にも知らないから……安心して」
「クローディア様の……?」
「そ、あいつがあんな風になるのはユラン絡み以外ないから」
一体どんな風になっているのだろうか。気にはなるが、自分が聞いた所で分かる訳がない。
ユランとの距離は近いと思っているが、それは自分とユランの間だけの話であって他の交遊関係については全く知らない。ユランとクローディアの間にある物の複雑さは知っているがその程度。
クローディアと親友関係にあるミラニアとは見えている物が違う。
「で、ユランがクローディアに関わる理由なんてヴィオレット嬢くらいしか無い」
「何ですか、それ」
否定したいが、実際ユランの行動はヴィオレットの為だ。
あの一件がマイナスになってユランに降り注がなかった事は喜ばしいが、代わりにクローディアの方がダメージを負ったらしい。ユラン自身が聞けば笑顔で放っておけと言っただろうけど、ヴィオレットにとっては彼もユランと同じく自分のせいで巻き込まれた一人。
自分のせいで、傷付いた一人。
「ミラ様の言う通り……少し騒動がありました」
隠した所で彼の人脈を考えればその内事実を掴むだろう。ならば自分がその役目を担うべきだ。
あの一件は、一から十まで知っていればとても単純な話。でも三や七だけ見ていたならば簡単に誤解を生み事実の捻曲がった伝言ゲームになってしまう。
ヴィオレットを黒幕とする者、クローディアという前例がいるので一番あり得る展開だ。これならば特に問題はない、多少の悪評はすでになれている。
しかしもし、ユランを悪とする者が出たなら。あり得ない話ではない、切り取り方を誤ればそうなる可能性が充分なほどの言動であったから。だからこそヴィオレットは感謝を置いて真っ先に怒鳴ったのだ。
「でも誤解なさらないで、ユランのせいではありません。元はといえば私の蒔いた種ですから」
ユランが聞けば、ヴィオレットのせいではないと言うだろう。あの時と同じ様に、相手が誰であったとしても。
でもその気持ちはどうしてもヴィオレットには届かない。あまり良いとは言えない経験値はどこまでもネガティブで、自分に対する過小評価に繋がっている。
「そのせいでクローディア様を悩ませる様な事になって……申し訳ないと思っています」
回避出来たはずだったのに、油断した結果があれだ。次回からはもっと確実に根を摘まねば、後悔も反省もしている。
「そっか……詳しい事は分からないけど、あんまり気にしない方がいいよ。多分君に責任は無いんだろうから」
「え……?」
「クローディアが怒るんじゃなくて落ち込んでるって事は、自分の行いに思う所があったんだろう」
親友の性格は熟知しているが故に、ヴィオレットの言葉全てを鵜呑みには出来ない。例え中身が分からずとも総合して考えれば事の輪郭くらいは想像出来る。
「あいつが一日中暗いから何とかしたかったんだけど、聞く限り様子見た方が良さそうだな」
「お役に立てず、すみません」
「いや、こっちこそ突然ごめん。お昼行く所だったんだよね、席埋まっちゃってるかな……」
「大丈夫ですよ、元々テイクアウトするつもりでしたし」
少し嘘が混じっているが大幅本当。場所が空いていれば食堂を使うつもりだったが、ミラニアと会ってからそれなりに時間が経っている。お昼を食べるには充分な時間が残ってはいるが、一人穏やかに過ごすならテイクアウトが最適だろう。
食堂も十二分に広いが、窮屈さを感じさせない為広さと席の数が比例しないのだ。生徒の数以上に広い外の方が色々な意味で平和な昼食を堪能出来るだろう。
「今なら教室に戻っている人も……ッ」
何の気も無く外を見た、ヴィオレットの表情が固まる。驚いた様に目を見張って、喉の奥に続くはずだった声が引っ掛かって止まった。
窓枠を額縁にした様に、外は美しく整えられた木々と草花に彩られている。この学園に通い始めた頃から変わらず、可笑しな所など何もない。
「……ヴィオレット嬢?」
目の前で驚愕と困惑を混ぜた表情のまま固まったヴィオレットに、困惑と以上に途切れた言葉への心配を声に乗せた。
どうしたのだと問うより先に、ヴィオレットの眉間のシワが深くなる。驚いている、困っている、そう見えていた顔が一気に険しくなって、生まれ持った顔立ちの影響で恐ろしいとさえ思えてしまう。
「ごめんなさい、私行く所が出来ました」
「え、あの……」
「失礼致します」
律儀に手を組んで頭を下げる様は流石だが、相手の答えを待たずに背を向けた辺りはマイナス点。普段の気を張って、張り詰めているとすら言えるほどに完璧なヴィオレットとはあまりにも釣り合わない態度に違和感を覚えた。
去っていくヴィオレットの背中に疑問を感じながら、彼女はさっきまで見ていた窓の外を見る。
特別な所など何も無い、いつもと変わらぬ穏やかさの視覚化された光景。男性であるミラニアにはあまり興味のそそられない、あそこに着飾った美しい女性でもいるのなら別だが。
「……え?」
ゆっくりと左右に動いていた視線が、一点の違和感に縫い付けられる。
草花の自然な色合いとは違う。まるで平らな絵の中に実体を持った登場人物がいる様な、そこだけあまりにも人の発する雰囲気が濃密だった。
中庭に人がいたとしても、それは何の不思議もない事だ。元々人がくつろぐ為に整えられた場所、数が多い為人気はばらけているが立ち入りは自由。
そこで優雅に過ごそうと、人数を集めて会話しようと個人の自由。
ただ、今ミラニアの目に写るのはそのどちらでもない様に思えた。
本来なら注目されるべき庭園ではなく、一見しただけでは気付かれない様な庭の端。一人を数人で囲み壁際に追い詰めて、険しい顔で何かを言っている。囲まれた側が少しでも前に出ようと……何かを発しようとする度更に捲し立てられている様で、どんどんとその一人は小さくなっていく。
声は聞こえず、経緯も分からない。ただそれでも、あの状況があまり良いものではない事くらいは想像出来た。
「もしかして……」
険しい顔で去って行ったヴィオレットを思い出す。
彼女はこれを見たのだろうか。これを見て、走り出したとするなら。
「やべ──ッ」
あの子がどこに向かったかなんて、考えるまでもない。気が付けばミラニアもその場から走り出していた。