147.姉妹
殺してやりたいとか、死んでしまえとか、色んな強い言葉はある。恨んだし憎んだし、傷付いた分だけ傷付けたいと思った。同じくらい、世界を別ってしまいたいとも思った。嫌いでは足りない、でもきっと、彼らだけの死を願っていた訳でもない。だって彼らを憎んで、怒って、世界の変革を望むより、全部自分のせいにして諦める方が簡単だから。人は一人では生きられないなんて、そんな面倒な事を考えずに自己完結した方が、ずっとずっと平和だから。
「幸せだなんて、思った事ないわ。少なくとも家族に幸せを連想した事なんてない。消えれば良いと思うし、無くていいと思う」
ヴィオレットの世界を彩ってくれたのは、いつだって家族以外の存在だって。家族に付けられた傷を洗って消毒して、丁寧に包帯を巻いて。今のヴィオレットに、一見して分かる様な傷がないのは、彼らのおかげに他ならない。色んな痛みを与えられた事実は消えないけれど、それを治療してくれた人がいる事実に救われてきた。
そうやって生きてきた。そうとしか生きられなかった。だから一人残されたこの家に家族が入ってきた時、色んなものの死を願った。死ねばいいと思ったし、死んでしまいたいと、簡潔に、明確に。
「──私の世界に、貴方達が必要になる日は来ない」
「っ、……ッ」
耐えきれなくなった涙が、大きな碧眼から零れ落ちる。必死に止めようとして、零れ落ちんばかりに見開かれてはいるけれど、乾くどころか大粒の雫がまろい頬を伝っていく。声を上げる事もなく、ただ泣くその姿は痛々しくて、見る者の心を抉る辛さがあって。
今自分は、自覚を持って、メアリージュンの心に爪を立てた。優しい妹が、美しい世界を生きて来た少女が、泣く程の現実を突き付けてでも、試してみたかったから。メアリージュンが自分の為に泣いた時、自分はどんな気持ちを抱くのか、知りたかったから。ベールを剥いだ、剥き出しの悪意を、加減もせずに投げつけて。
結果は──何も、無い。
(あぁ……やっぱり)
私はどうしたって、この子の様にはなれない。
泣いているのに、私を想って、傷付いているのに。
高揚も、失望も、罪悪感も。何一つない。ただどこまでも、空っぽになった世界が続いている。優しさに優しさを返せる、そんな日は過ぎてしまった。情を持っていられる時間はもう、戻っては来ない。自分とメアリージュンの間に出来た隔たりは、今更超えられる様に出来てはいなかった。
嗚咽を堪え様と必死になっている妹を、対岸の火事の様な気持ちで眺めている。可哀想だと思う、こんな人間の妹で、気の毒だと思う。でも結局、他人事以上には慮れない。今はもう、かつて程憎んでいないのに、恨んでいないのに……だからこそ、こんなにも遠いのか。
憎んだし、恨んだ。それは期待を裏切られた事への反動で、でもそれはつまり、彼らに期待をしていた事の証明で。あれほど巨大な感情を爆発させるくらい、自分は彼らに希望を持っていた。反発しながら、藻掻き苦しみながら、それでも家族になれる日を夢見ていたのか。今になってはもう分からないけれど。
沢山期待して、悉く潰されて、絶たれて。一度は全部失った。そして与えられた二度目の日々は、諦めと共にあった。愛を、信頼を、守護を対話を激励を、望まなくなった。それは諦念であったし、一つの開放だった。
愛されないなら、愛さなくていい。信じてもらえないなら、信じなくていい。守って貰えない、話を聞いてもらえない、励まして、思い遣って貰えないなら、何も返さなくていい。彼らを想わなくて良い事は、途方もなく健やかで。
憎しみも恨みも溶けた。一緒に、情も期待も消え去った。
泣いている姿を可哀想だとは思わない、ただ同時に、ざまあみろと笑えるほどの興味もない。
「メアリージュン……貴方に、姉はいないわ」
いっそ美しい程に噛み合わない歯車だけが集まって出来た家だった。家族と名付けてはみたけれど、努力の余地もなく崩壊している世界だった。いくつもの分岐点はあって、父にも母にも、勿論ヴィオレット自身にも。でもきっと、最後はここ行き付くだろう。そういう運命の元、構成された集団だった。
「忘れなさい。色んな事を、無かった事にして生きなさい。そういう割り切りが、必要な世界だったと、納得しなさい。優しさだけでは、どうにもならない事は往々に存在する……この家は、そういう所なの」
幸いにしてこの家は、メアリージュンにとっては最高の環境である。彼女を愛し、守る為の城だ。ヴィオレットの事さえ忘れ、知った事の全てを夢として消化出来たなら、彼女の楽園は崩れる事無く続いていく。それでいいし、それが良い。例えメアリージュンがこの家のお姫様であっても、ヴィオレットの存在が覆る日は来ない。あの日彼女を殺したいとさえ思った、それほどに家族を、愛を求めたヴィオレットが報われる日はもう、訪れない。
もう全部、終わってしまった事だから。
「お姉様、私……ッ、わたし、」
ソファからずり落ちる様にして、ヴィオレットの膝へと縋り付く。言いたい事がまとまっていないのか、それとも、何を言えば良いのか分からないのか。もしかしたら、言える事がない事に、泣いているのかもしれない。メアリージュンがどこまで知っているのかは知らないが、ヴィオレットに確認に来た時点で両親への不信感を抱くに足る内容ではあったのだろう。そうでなければ、メアリージュンが大好きな両親を疑う事はない。そんなはずないと、声高らかに否定する姿の方が想像しやすいくらいだ。
ヴィオレットの所に来たのは事実の確認だろうけれど、心のどこかで否定して欲しいと思っていたのかもしれない。
自分に優しい人が、誰かにとっては悪人かもしれない。善人が縋る手を振り払わないとも限らないし、悪人が善行を積む事だってある。だけどそれを、そういう物だと割り切れる人は、きっと多くない。
「ごめんなさい、私……わたし、はッ、……でも、それでも、お姉様がすきです」




