146.同族は嫌悪した
こうしてメアリージュンを部屋に入れたのは初めての事だ。彼女の部屋に招かれた事はあったけれど、もうほとんど覚えていない。まるで宝箱みたいに沢山の思い出が詰まった部屋だった事が印象に残っているだけで。やっぱり自分達はどこまでも平行線で、決して交わる事はないと再認識した日だ。
そんな相手を自室に招き入れる日が来るなんて、あの頃の自分は想像もしていなかった。今だって、どこか現実味がない。
「マリンを呼べばお茶か何かもてなしが出来るけれど」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
「そう……一先ず座りなさい」
ヴィオレットの部屋のソファは、部屋の雰囲気と同じ暗い色味をしている。濃い紫色のクッションの上、髪に肌に白を纏ったメアリージュンの存在はどこか浮いて見えた。それは同時に、この部屋に彼女の存在が異質である事を指している様で。そのくらいに、自分達は半分の血液以外似ている所なんてないのだろう。
一人掛けのソファに腰を掛けたヴィオレットの斜め前で、俯きがちのメアリージュンが置物の様に固まっている。膝の上で握り締めた両手は血の気が引いて真っ白だ。唇を噛み締めて、何かを思案している顔は、初めて見る一面だった。天真爛漫な所以外に目を向けた事がなかったから。
「それで……話と言うのは?」
「……私は、自分を幸せな人間だと思ってました」
懺悔にも似た、固くて弱い声だった。内容にまるでそぐわない、自傷の告白の様な、痛々しい音と表情。眉間に寄った皺は、涙を堰き止める為だったのだろうか。それとも、吐血にも似た言葉を止めない為の我慢だったのだろうか。
「お父様がいて、お母様がいて、生まれとか身分とかでいじわるをされても、味方になってくれる人がいて。色んな人から大切にされて、同じだけ大切にして、それが私の世界で、それが当たり前だって思ってました。お姉様がいるって知って、一緒に暮らせる様になって、家族が増えて大切な人が増えて、それは凄く幸せな事だって……当たり前の幸せだって、思ってました」
いつだって、メアリージュンの世界は明るかった。そういう風に、整えられていた。父が、母が、沢山の愛で飾ってくれていた世界は、どんな時でもメアリージュンに優しかった。それが幸せな事だと思ってはいたけれど、決して特別な事だと思った事もない。
人は、優しくすべきで、敬意を持つべきで、尊重すべきで、大切にすべきだと教わったから。当たり前の様に唱えられるから、当たり前の様に説かれるから、当たり前の様に蔓延しているから。
誰もが当たり前にそれが出来るのだと、思い込んでいた。この世界は、そういう美しい物で出来ているのだと、信じていた。
「お姉様……お姉様の世界は、どうでしたか」
「……メアリージュン、あなた」
「私達が来た時、お父様がいなかった時……私が、妹がいると、知った時。お姉様はどう思いましたか」
こんな時でも、メアリージュンは真っ直ぐにこちらを見るのだと、場違いな事を考えた。青空の様な碧い目が、今にも崩れてしまいそうに揺れていて、でも絶対に決壊させるものかと表情筋が強張っている。血色の悪い唇の奥で、歯を食い縛っているだろう事も。綿あめとかマシュマロとか天使の羽とか、白くて柔らかい物を連想するメアリージュンは、きっと真実純粋で潔白で、繊細だ。
どこで知ったのだろうか。我が家の事情は少し突けばいくらでも埃が飛び出す仕様ではあるけれど、わざわざメアリージュン自身に突撃する人間がそうそういるとも思えない。もしかしたら、どこかで誰かが話しているのでも聞いたのか。前の様に反発して応戦したりしていないといいけれど──そんな事を考えられるくらい、自分でも驚く程に冷静だった。
全部知って、その上で、ヴィオレットを訪ねたのか。何を言われるのか、分かっても尚、向き合う事を選んだのか。
「……死ねばいいのにと、思ったわ」
「ッ……」
痛みを堪える様に、でも、分かっていたという様に。震える唇も水分を増した瞳も、傷付いている事なんて明白だと言うのに。泣くまいと強張った顔が、どこか、似ていると思った。
「あなたも、父も──私も、皆」




