表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
149/253

145.強く強く、想う


 最近のヴィオレットの帰宅時間は、以前よりも早いような気がする。いや、気のせいではなく、実際に早いのだろう。前までの様に校内に残っている事も減ったし、テスト勉強に取れる時間だって確実に削られている。ロゼットとだって、ほとんど話せていない。元々お互い常にべったりというタイプではないし、他の交友関係だってある。共にいる時間が楽しくて、もっと話したいと思うから一緒にいたけれど、他に用が出来てしまえばそれを優先しなければならない。

 ただヴィオレットにとって、その用は決して友人との楽しい時間を犠牲にしてまで優先したい物ではないのだけれど。


「はぁ……」


 思わず深いため息が出たけれど、今は自室に一人切り。マリンも疲労の色が濃いヴィオレットを想い席を外してくれている。もしかしたらバスタイムの準備をしているのかもしれない。

 自室での食事を制限されている今、マリンの仕事は少し減った。本人にとっては喜ばしくないのだろうけれど、ヴィオレットにとってはそれだけが唯一、食事の席に行く利点だ。逆を言えばそれ以外は何一つ良い事がないと言える。父のいる重圧の苦しさではなく、絡まり絞められている様な息苦しさ。誰もこちらを見ていない世界は孤独ではあるが楽で、一挙手一投足を観察する視線は渇望した愛の形をしているのに、ずっとずっと身動きが取れなくて。食事の時間を終えると、ヴィオレットの体は筋肉の使い過ぎを訴える様に痛んでいた。


「ん……甘い」


 マリンが仕事へ向かう前に用意してくれたホットミルクに口を付けると、猫舌のヴィオレットには少しだけ熱かった。部屋をどれだけ暖めても冷えてしまう指先でカップを包み込むと、ジンジンとした温かさが伝わってくる。水仕事が辛い時期だ、そろそろマリンのハンドケアを見繕わないと、自分に無頓着な彼女の手はすぐに赤く痛々しい有り様となってしまう。


 少しだけ減ったミルクの水面を見詰めながら、今日という時間を振り返って想い馳せる。


 久しぶりに見たユランの笑顔と、初めて見る切羽詰まった態度と声。悲しいとは違う、でも泣きそうに歪んだ、子供のお願い。辛いとか苦しいとか、疑問とか、そういう物が全部どうでも良くなってしまうくらいに、ユランで心が占められていく。ヴィオレットが頷いただけで、力が抜けて安心と嬉しさで表情を緩ませた彼の姿が、すぐ目の前に思い出せるくらい。


(明日……)


 大切な話があると言った。絶対に、聞いて欲しい話があるのだと。

 それがどういった類の物なのか、良い話なのか悪い話なのかも分からない。ただあの時は、その懇願を叶えなければと思って、それだけの為に頷いたけれど。明日、彼は自分に、大切な何かを打ち明ける。

 少しだけ、怖い気もする。大切な何かを明かされるのは、中身よりもその行為自体が少しだけ怖い。重いから、その信頼が、自分に抱えられるのか不安だから。ユランが大切だと言ったそれがもし、自分には重い物だったとして、支える所が耐えられないと壊れてしまったら。彼の大切な何かを落としてしまう未来なんて、想像するだけで恐ろしい。

 それでも逃げられないし、逃げたい訳でもない。どれだけ怖く不安でも、受け入れたい想いが全てを上回る。もし話の内容がヴィオレットを傷付ける物であったとしても、ユランがそれを望むなら、全て飲み込んで耐えられる。明日までの時間は、心を整える為にある気がした。そう思えば、今日でなくて良かったのかもしれないと。


(……あの子、どうしたのかしら)


 ユランに話があると言ったメアリージュンは、帰宅してからまだ一度も部屋から出てきていない。夕食の席にも顔を出さず、エレファと二人での食事は味わう余裕なんてなかった。ただ笑ってこちらを見るエレファの視線から逃れたくて、無心で腹に詰めた事しか思い出せない。

 欠席理由は特に告げられていないが、今日見た様子だと体調不良もあり得るだろう。というより、心を経由した体の調子が優れない、といった感じで。ユランと何を話したのかは知らないが、ヴィオレットが最後に見た彼女は、随分と青い顔をしていたから。

 それでも、メアリージュンの体調より、ユランと何を話したのか、迷惑をかけていないかの方が心配になる自分は、極々薄情であるらしい。


 ──ふと、小さなノック音が静かな室内に響く。


「はい……?」


 軽いというより、弱いといった方が正しい。もしヴィオレットが、誰かと話していたら聞き逃していたくらい些細な音で。でも確かに届いた来訪の証。マリンであったならノックよりも声を掛けただろうし、エレファであったならもっと分かりやすい音を立てるだろう。思わず疑問の滲んだ返答をしてしまったが、誰も入って来る気配はなくて。

 まだ半分程残ったカップを置いて扉へと近付く。少しの警戒を込めて、ゆっくりと、覗き込む様に戸の隙間から見えたのは煌めく純白で。関節が軋んだのを感じながら、無理矢理に開け放った視界には、真っ白い髪と碧い目の──少女。


「……メアリージュン?」


「お姉様……お話が、あるんです」


 いつもの花咲く笑顔ではなく、見た事の無い強い表情で。でもそれはヴィオレットに向けた何か、怒りとか、感情ではなく──決意。何かを心に決めた強く真っ直ぐな、でも少しだけ、堪え切れていない不安の影を滲ませたメアリージュンが、見開かれたヴィオレットの目に映っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ