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137.星に願いを


 人影が見えなくなるまで、無言で歩いた。背中しか見えないシスイがどんな顔をしているかは分らないが、離される事も追い越す事も出来ないあたり、歩調を合わされているらしい。こちらの言いたい事が残っていたので、意見も言わずについて来た。

 どんどん奥へ、元々人気はなかったが、今は遠くに聞こえていた声もなく。静まり返った空間は、切り離された世界へ続いているみたいだった。といっても、屋敷の間取りは完璧に頭の中に入っているし、シスイの向かう先にはある程度予測はついていたけれど。


 キッチンを通り過ぎて、パントリーを抜けて、勝手口から外に出る。裏庭というか、マリンにとっては仕事場の系列だ。

 屋外用ゴミ箱の上に腰を掛けたシスイが、ポケットから小さな箱を出して中から一本を引っ張り出す。指よりも細い、白い棒。一見すると煙草にも見えるし、シスイの見た目はヘビースモーカーがよく似合うのだけれど。


「ん」


「ありがとうございます」


 差し出された箱から一本抜き取って、ぺりぺりと包装を剥いていく。近くで見なければ煙草と見間違いそうだが、指で触れて匂いを嗅げば、それが何かはすぐに分かる。真っ白い紙を剥いだら、中は茶色くて香りは甘い。口に入れればより甘くて。初めて見た時は、煙草と間違い苦言を呈した物だ。洗濯物に匂いがつくと嫌だから、別の所で吸ってくれと。まさか無言で口に突っ込まれたそれが、シスイお手製のチョコレートだとは思いもせずに、驚いて吐こうとしたのをよく覚えている。味覚が鈍ったら嫌だと、煙草はしないし、お酒も料理以外では口にしないのだと、その時聞いた。彼にとっては娯楽も趣向も仕事も同列であるらしい。

 それでも、わざわざチョコレートを持ち歩く様になったのは、ヴィオレットの口直しの為だ。

 ベルローズの希望外の物を食べさせて貰えないヴィオレットの為に、隙を見ては、ヴィオレットが好きな甘いお菓子を渡せるようにと。溶ける前には自分で食べていたからか、今でもその癖は続いているらしい。


「さっきは、ありがとうございました……助かりました」


「割とギリギリだったけどな。仕事片付けてたら姿が見えなくて、正直焦ったが」


「……気付いてらしたんですか?」


 マリンのしようとしている事、考えている未来。それに伴った行動も、彼はまるでお見通しと言わんばかりだ。何を考えているのかが分かり難い人だが、それはマリンだって似た様な物だと思っていたのだけれど。


「ここ最近のお嬢様と、マリの態度で、なんとなく。ただの勘だったが、当たってたみたいだな」


 咎めたり宥めたり、諭す事もせずに、無関心にも近い平淡さ。でも実際はきっと、心配を掛けたのだと思う。そうでなければわざわざ助け舟を出す為にマリンを追いかけたりはしないだろう。誰彼構わず手を差し出す人ではないし、むしろ自分の容量について、シビアな見極めをするタイプだから。

 この自己犠牲も、同じ様に感付かれているのだろうか。それとも陶酔と咎められるか。愚かだと呆れられるか。どれであっても、もう止まる事は出来ないし、止まらないのだけれど。言い訳もしない代わりに、肯定もせず黙っているマリンに、シスイは何を思ったのか。


 シスイだけが知るヴィオレットがいて、この家があって、マリンがいる。

 それと同時に、マリンしか知らない、ヴィオレットがいる。

 そして二人ともが、理解している。この家では、一般的な常識や価値観は、足枷にしかならないのだと。


「……奥様には気ぃ付けろ」


「ッ……何か、知って」


「知らん。……いや、あの人については、何も分からないというのが正解だな。だが、分からないからこそ分かるもんがあるだろ」


 この家は、強すぎる欲が作り出した魔窟だ。ベルローズとオールドの望みは交わらなかった、それでもお互いが自らの望みだけに目を向けたツケを、ヴィオレットが払わされていて。その事に、誰も疑問を持つ事がない。

 ベルローズやオールドは、そもそもの元凶である。疑問を持てる正常さなんて、持っていると期待する方がどうかしている。メアリージュンは、オールドの目隠しによって気付いてもいない。無知は罪と言った所で、知らない物に疑問は持たないのが自然だ。

 では──エレファは? ベルローズの事も、オールドの事も、ヴィオレットの存在だって知った上で彼女は、何故なんの疑問も持たずにいられるのか。オールドの目隠しも、既に認識した後では何の効力もないだろうに。


 沢山の疑いが沸いて、そのどれもに解答がない。だからエレファは分からないけれど、分からない事が全ての理由になる。


「分かりやすい当主にばっか警戒して気付かなかったが……もの恐ろしいのは奥様の方だ」


「えぇ……」


 胸に広がる何とも言えない不快感を誤魔化す為に、残りのチョコレートを一口で飲み込んだ。ゴミとなった包み紙をポケットに突っ込んで、空を見上げれば、いくつもの星が散らばっている。それを神秘だとか、空に散る宝石だとか、美しく表現する方法はきっといくらでもあるのだろうけれど。マリンには、黒い画用紙に針で穴を開けた様にしか見えなかった。


 流れる隕石に願いを叶える力なんてないのだと、もうずっと昔に知っていたから。

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