123.思い出にすると決めているから
「素敵です! よく似合ってらっしゃいます!」
「ありがとう……でも恥ずかしいから、少し落ち着いて」
放課後、最近では恒例になってきたテスト勉強の場で落ち合ったロゼットが、目をキラキラさせて何度も褒め称えてくれる。嬉しいけれど、照れ臭かった。褒められ慣れていない事もあって、どういう反応をするのが正しいのか分からない。くすぐったくて、浮付く様な揺蕩う様な、不思議な感覚だった。
「そのバレッタも髪色に合っていますし、ご自分で選ばれたんですか?」
「これは幼い頃から一緒にいるメイドが用意してくれたの」
「あぁ、それで……その方はヴィオ様の事をよく見てらっしゃるんですね」
好みは、ある程度の交流を経て本人の口から聞けばすぐに知る事が出来るけれど、似合う物となるとまた難しい。本人ですら気が付いていない事も多いし、知っているからと言って分かる事でもない。余程詳しく、丁寧にその人を見ているかに掛かっている。
そういう意味で言うならば、マリンは誰よりもヴィオレットを知っていて、見て来た一人と言えるだろう。
「人は財産で鏡ですから……良い従者をお持ちなんですね」
「そうね……家族、みたいなものだから」
本当の家族がどんなものなのかは分からない。でも、思い描く理想の中には必ずマリンがいる。
血縁とか立場とか、全部どうでも良くて、ずっと同じ様に、今のまま共に過ごしていきたいと思える人。今より近くも望まないし、遠くに行かれたくもない。主人と従者で、だからこそある信頼で、ずっとずっと一緒に居られたら素敵だと。そういう感情を全部詰め込んで表したら、家族みたいが一番しっくりくる気がした。
使用人の立場にいる相手を家族にカテゴライズするなんて、階級を重要視する社交界では邪道と言われてもおかしくはないけれど。
「ヴィオ様がそんな風にいうくらいですから、きっと素敵な方なんでしょうね」
そういう垣根を気にしない人だから、嘘も誤魔化しもしなくていい。優しく受け入れる懐の深さと、誰かの大切な物を丁重に扱う思慮深さは、沢山の意外性の中でも変わらない印象だ。綺麗に笑う、綺麗な心根の女性。姫としてではなく、女性としてでもなく、人としてこんな風になりたいと思わせる。
「私もたまには変えてみようかなぁ……」
「あら、良いわね。いつも自分で結っているの?」
「普段のは自分で。ドレスに合わせたりする時はお任せしていますけれど」
緩く編んだハーフアップに、大きめのリボンを飾ったロングヘアは、色と相俟ってロゼットの特徴になっている。腰まである髪は長さこそヴィオレットと似ているが、髪質は対照的だ。歪み知らずのストレートと言えば聞こえはいいかもしれないけれど、本人にしか分からない悩みは相応に存在する。
「絡まったりとかは少ないんですけど、その分中々癖付かないし、すぐにとれてしまうんです」
「私とは真逆ね」
「ですねぇ。それで結局いつものが安定するなって、同じのばかりになってしまって」
「よく似合ってるわ」
「ありがとうございます」
照れ笑いをしながら、毛先をくりくりと指でねじっている。指に巻き付けたりしてもすぐにツルツル滑って真っ直ぐ伸びた髪は、芯の強さを伺わせた。ヴィオレットが同じ様にしたら、あっという間に小さな毛玉の出来上がりだろう。
どちらも天使の輪が光ってはいても、そこに至るまでも維持の仕方も全く異なる。今までそういう事に頓着してこなかったヴィオレットにとっては色々と新鮮だ。どこのどの商品が良いとか、どれが合わないとか、キャッキャしながら話すのは楽しいい。ただヴィオレットの見た目を称賛するだけの取り巻きでは、出来なかった体験だ。あの頃はどんどん装飾して着飾る以外に方法を知らなかったから。元々持っている物が優れているのに、それを埋める様な事ばかりしてきたのだと、今ならちょっとだけ分かる。少なくともあの時より、少しはマシな自分になっていると思える。
「ロゼットの髪飾りは自国の物よね。色が濃いのに透明度が高いもの」
「うちは代々、王家の人間が誕生すると、その年に取れた一番良いリトスの石で装飾品を作るんです。これは私の誕生年ので、この耳飾りもそうですしネックレスとかもありますよ。正装時には必ずその一式を使うので、悩まなくて済んでます」
「あら素敵。毎回考えるのって面倒だもの」
「といっても私は普段使い用も作ってもらったので、正装に限らず楽をさせて頂いてます」
さすがにドレス合わせのアクセサリーを普段に持ってくる訳にはいかないし、その逆も然り。派手好きではないからどちらも似た様なデザインにはなっているのだけど、けじめは大切だ。幸いロゼットが生まれた年は良い原石が豊富に取れたので、多少種類が増えても問題はなかった。
「私もいつかリトスの石で何か作りたいのだれど、やっぱり輸入では限界があるわよね。ロゼットので目が肥えてしまっているし、やっぱり国まで出向かないとダメだわ」
装飾品にそれほど興味はないし、クローゼットの中で輝いている物はどれも必要に応じて用意した物だ。ヴィオレットにとって絢爛豪華なそれらよりも、マリンがくれるヴィオレットの為の安物の方が比べ物にならないくらい価値がある。いつかあの家を出た時、持っていくのは後者だけで満ち足りるほどに。
だから初めて、自分の為に欲しいと思って、自ら手を伸ばした物。大切な友人の象徴だから、一つでいい、小さくていいから、思い出にして手元に残したくて。あの父が買ってくれるなんて期待はしていないから、持っている宝石達を売って資金にしようなんて計画している。
「あの、それじゃあ私が……」
話した事で計画の穴が見えてきて、購入する事と金策しか考えていなかったが、どうやら旅行計画までもを組み込んで練り直さなければならないらしい。そんな機会がヴィオレットにあるのかは謎だが、最後の手段としてマリンにお使いを頼む事にしよう。
ほとんど独り言になっていたヴィオレットの発言に答えようとしたロゼットの言葉が止まる。詰まったいうより、方向転換した様な寸断の仕方で。顎に手を当てて思案の間、一人頷いたロゼットが下げていた視線を上げる。
「あの、もしよろしければ、私にプレゼントさせていただけませんか?」
「え? あ……ごめんなさい、気を遣わせたかしら。そんなつもりで言ったんじゃ」
「分かっています、私が勝手に送りたい物があるだけで。……お誕生日、まだでしたよね?」
「そう、だけど、でも」
「気に入らなかったら、改めて私の方で購入ルートの紹介はさせて頂きます。ただ、その……お揃いにしたいなと、思って」
こちらの反応を窺う目には、期待と不安が入り混じっている。いつも人に囲まれているから忘れそうになるけれど、ロゼットも友人という存在には縁遠い。優しい知人は多いけれど、対等に笑って話して意見を言い合える相手というのは家族以外にいない。
だから、色んな物に憧れる。きっと多くの人は幼い頃に経験する、子供みたいな交流に。
「アクセサリーじゃなくても全然大丈夫ですしっ、文具とか、何なら石だけでも全然……!」
きょとんとして止まってしまったヴィオレットに、募った不安からか早口で捲し立てる。余裕がなくなった人間はいとも簡単に醜態をさらす物だ。あたふたして、身振り手振りで、浮かんだ言葉がなんなのか理解する前に口にして。
「……ふふっ」
「あ……」
「石って……っふふ、それはお揃いの範疇なの?」
笑い出したヴィオレットに、漸く自分の発言を顧みたらしいロゼットの頬が真っ赤に染まる。石をお揃いとはまた斬新というか、どこかの風習にでもありそうではあるが、女学生のお揃いにそれは含まれる物なのかは疑問だ。
「それなら、ロゼットの分は私から送らせてもらえるかしら。もう過ぎてしまっているけれど、私からの誕生日プレゼントとして」
「ッ、はい! ありがとうございます!」
「石の方は任せ切りになってしまうから、加工の方は私の方で探してみるわね。先にどんな物にするかを決めなきゃだけど」
「やっぱり、普段使い出来るのが良いですよね。後出来るだけシンプルで主張がない物で」
「そうねぇ……テストが終わったら、色々と計画しましょうか」
「そうでした……私初めてテストが早く来て欲しいって思います」
やる気が出たのか削がれたのか分からない顰め面で、話してばかりで進んでいなかった問題に向き直る。先に楽しみがあると、今が途端に億劫になってしまう。時の流れはいつでも変わらないし、それなら今必要な事に向き合った方が合理的だと理解は出来ても、気持ちは未来にばかり向かっていて。早く眠れば早く明日が来るかもしれないとか、馬鹿げた事を本気で考えたりもして。
(早く、終わらないかな)
先の事を望んで今を過ごすなんて、不思議な気分だった。過去も未来も怖いから、今の平和が三秒後まで続いているとは限らないから、希望を乗せて明日を想像するなんて、裏切られた時耐えられないから。そうやって色んな予防線を張って生きてきたのに、今は明日も明後日も、その先の約束を楽しみにしている自分がいた。反故にされたらどうしようなんて疑いが、微塵も出てこない事に驚いてしまう。
ユランに会いたいし、ロゼットとの約束にも心が躍る。そのどちらもが、裏切られないと、言い切れるくらいに信じている事、信じていられる事が、嬉しかった。
(ユランにも、話したいわ)
ロゼットに、ユランの事を紹介したいと思った様に。ユランにも、大切な友人を紹介したい。二人に仲良くなって欲しいとか、そういうのではなくて、大切に出来る人が出来たのだと知って欲しいから。友と呼ぶに憚られる人達ばかりを見せてきた彼に、心配しないで伝えたい。
そして同時に、ロゼットにも。いつの日か、全てを捨てた後で、欲の尽きた先で、教えられたらいい。
この人が、大切な幼馴染で、弟みたいな、家族みたいな存在で。
私が初めて恋をした人で、愛している人なのだと。




