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117.君がくれた


 ひとしきり二人で笑ったり、時には怒ったふりをしたり。穏やかな空気で満ちている中で、ふとユランの口数が少しずつ減っていった。困っているのか、迷っているのか、視線が不安定に揺れている。


「どうかしたの?」


 両手で包んでいたカップをソーサーに戻して、半身をユランに向けて傾けた。

 完全に聞く体勢を整えたヴィオレットに観念したらしい、ユランは一度きつく結んでから、ほどけた唇は滑り悪く言葉を紡いでいく。


「えっと……さっきというか、休憩時間の事なんだけど……妹さんが来てさ」


「ぇ……」


「一緒にテスト勉強しないかって」


 予想外の所からブスリと刺されて、言葉を失った。自分から聞いたくせに、その衝撃を受け止められる耐久性は持ち合わせていなかったらしい。そもそもメアリージュンとユランが親しくなる姿を想像していなかった……否、想像したくなかったから。驚きを滲ませた表情のまま、氷の様に固まってしまったヴィオレットの脳内で、今まで避け続けていた嫌な想像が堰を切った様に次から次へと溢れていく。

 自分の気持ちを自覚する最初の最初。メアリージュンの言葉で、ヴィオレットは自分の心の奥の奥の欲を知った。逆を言えば、それだけ大きなダメージを受けたという事で。

 あの日よりも強い焦燥感が充満する。握った手の平がじっとり湿って、さっきまで潤っていたはずの喉がへばりついた様に上手く動かないけど、それで良かった気もした。そうでなければ、身勝手にも叫んでしまっていたはずだ。嫌だと。あの子の傍に行かないでと。言葉に出来ない恐怖に駆られて暴走してしまう所だった。


「それで、ね……テスト問題、俺は別の人に借りるからさ、ヴィオちゃんの分は妹さんに貸してあげて」


「え、でも、今からじゃ」


「テスト問題さえ持ってれば一人でもなんとか出来るだろうし。多分彼女、そういう伝手がないんだろうから」


「ユランはどうするの? 今から探したって、もう皆貸し先決めちゃってないかしら」


「あはは……まぁ、なんとかするよ」


 そうは言っても、きっとそう簡単には見つからない。そもそも過去問に頼ったこのやり方は推奨されている訳ではないし、下級生に知り合いがいない人の大半は早々に捨ててしまうか無くしてしまう。そして持っている者は、貸し与える相手がすでにいる事が多い。そもそも一年前の問題用紙を綺麗な状態で保管出来る割合自体がそれなりに低い。


「でも、それならメアリージュンと一緒にすればいいんじゃ」


「──いいの?」


 ジッと見つめる、その目があまりに真剣で、言葉が詰まってしまった。小さく肩を震わせた事に、敏いユランが気付かないはずがないのに。

 誤魔化しを許さない視線、でも決して怖く思わないのは、今までもずっとこの人に守られてきたからだろうか。ユランが自分を傷付ける事なんて絶対にないと、言い切れるくらいの信頼があるからなのか。


「俺は、やだったよ」


「え……」


「ヴィオちゃんと、……クローディアが一緒にいるの、やだなって、寂しいなって思ってた」


 肩を落として、悪戯がバレた子供が、怒られるのを待っているみたいに、ちょっとだけ辛そうに笑った。

 ユランが抱く、クローディアへの苦手意識を知っていた。それでも尚、自分の為に動いてくれた事に感謝して、その優しさにどう返せばいいのか分からなくて。我慢させた事とか、悩ませた事とか、色々な葛藤を強いたのだと理解していた、つもりだったけど。

 嫌だと思っていたと、寂しいと思っていたと、クローディアではなくヴィオレット自身が彼に辛い想いをさせていた事に、その口から聞くまで想像もしなかった。長い時間が理解した事と同義になるなんて、とんだ傲慢だ。

 そしてそれを──そんな想いを抱いてもなお、自分の為に行動してくれた事が一層嬉しいなんて。傲慢で、醜悪だ。

 トクトクと早くなった鼓動、これがときめくという事なら、なんともまぁ現金な物で。さっきまで、足元が崩れてしまいそうな恐怖で息も出来なくなりそうだったくせに。


「私……も」


「うん」


「私、も……やだって思うわ」


 開け放たれた扉に、飛び込む時に必要なのは、自分も曝け出す勇気。恥ずかしいとか、怖いとか、そんな理由で意地を張るよりもずっとずっと大切な事。零れた本音に、優しく相槌を打って、一つ一つに頷いてくれる。ちゃんと届いてるんだって、分かるから。声を張り上げなくいても、ちゃんと、受け止めてくれるって。


「寂しいなって、思うし、ずるいなって思うの……私だって、ユランと一緒に勉強したり、したいもの」


 一つ言葉にする度に、誰かではなく、自分の中で感情が形作られていくみたいだった。こんな事を思っていたんだって、気付かされる。こんなの、あれほど怖がり嫌がっていた独占欲そのものだではないのか。ずるい、羨ましい、似た様な事をあの時も思ってた。牢に繋がれるきっかけになった、最初の羨望で、執着で──あの時よりもずっとずっと、柔らかい嫉妬。


「でも、ユランが大変なのはもっと嫌だわ。だから、メアリージュンには貸さないし、二人が一緒に勉強するのも、止めない」


 納得をしていない事は、表情からも明らかなのに、口では反対の事を言う。強がっている訳ではない、勿論受け入れたという訳でもないが、我慢ともまた少し違って。いうなら、ユランがクローディアに頼み事をした時と同じ物。

 この人にとって、一番良い選択がしたい。無償の愛なんて大層な話ではないけれど、こういう小さな積み重ねがいつか、大きな話に繋がっていくのだと思う。


「それで、もし、ユランが良いなら……テストが終わった後で、沢山おしゃべり、したい」


 頬に上った熱を隠したいけど、きちんと向き合って話したい。そのせめぎあいの末、少しだけ逸れた視線はユランの目よりも少し下で止まった。よく笑うし、表情に出やすいタイプだと思っていたけれど、こうして鼻から口元辺りを見ると、ユランは目で物を語る事が多いらしい。引き結ばれた唇だけでは、どんな感情を抱いたのかが予想出来ないから。


「…………」


「えっと……ダメ、かしら」


「ダメじゃない、全然、ダメじゃない……けど」


 何も言わないユランに、我が儘が過ぎたのかと不安になる。自分の欲に走り過ぎたのかと、恥ずかしさで変な汗が背中を伝った。圧し掛かった感情に俯きがちになった視界で、ユランの輪郭が少しだけ逸らされて。

 その頬と、髪の隙間から見える耳が、真っ赤に染まっているのが見えた。


「ごめん、ちょっとこっち見ないで欲しい」


 大きな手が、その顔を隠そうとする。それでも染まった目元も耳も覆うには足りないし、光沢を増した瞳が潤んでいるみたい。

 いつもの、可愛らしい雰囲気を纏った精悍な男性ではなく、ただただ愛らしい姿は庇護の欲を刺激した。少しだけ顔が強張って見えるけど、拗ねているみたいなそれが余計に小さな頃みたいで。恋する男性ではあるけれど、同じだけ、長い時間を共にしてきた弟分でもあるのだと実感する。


「ふふっ」

「……笑わないで、俺もびっくりしてるんだから。そんな風に言ってもらえるなんて思ってなかったんだもん」

「驚かせてごめんなさい。でも心からの本音よ?」

「分かってます、ヴィオちゃんそういう社交辞令とか出来ないし。……もー、さっきまではそっちが照れてたのに」

「ユランが赤くなるのって珍しいから、吹っ飛んじゃったの」

「聞こえません、忘れてね」

「とっても可愛いのに」

「嬉しくありません」

「ふふ、ごめんなさい」

「心がこもってなーい。次笑ったらこのチョコ食べさせちゃうから」

「そんな事したら、私だってクッキー食べさせちゃうわよ」

「それ、俺には何の罰にもならないねぇ」


 肩を寄せて、笑う声が重なる、幸せな空間。

 下校の時刻が来るまで、二人ずっと、その柔い空気に包まれていた。

 

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